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1983☆『思い出の索引』★でんでんむし@アーカイブス☆わたしたちが生きてきた時代とは… [年表]

われわれはどこから来て、どこへ行こうとしているのだろうか…? 

1983mark.jpg昭和58年 癸亥(みずのとい)
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◯米の中距離ミサイル配備に反対して、西独・英・伊・蘭の各地で20万人集会。
◯ウィリアムズバーグで第9回となる先進国首脳会議。
◯フィリピンの有力野党議員アキノ暗殺。反マルコス運動が激化、
◯乗客乗員269人の大韓航空機が、サハリン沖でソ連軍機に撃墜される。ソ連は領空侵犯と発表。
◯ビルマのラングーンで爆弾テロ。韓国閣僚4人を含む16人が死亡。
◯グレナダに米軍が侵攻。

◉中曽根首相が韓国訪問、全斗煥大統領と会談。総額40億ドルの経済協力と教科書問題に決着をつけ、「日韓新時代」を声明。
◉米の要請により政府が武器技術供与を決定。野党が武器輸出三原則に反すると抗議。
◉中曽根首相が訪米、レーガン大統領に「日米は運命共同体」と表明。4海峡封鎖・日本列島浮沈空母化発言が問題化。
◉ロッキード裁判丸紅ルートで田中元首相に受託収賄・外為法違反で懲役5年の求刑。野党が辞職勧告決議案を提出。
◉米原子力空母エンタープライズ15年ぶりに佐世保入港。世界最大の原子力空母カールビンソンも初寄港。
◉シーレーン防衛で日米共同作戦研究開始。
◉第10回統一地方選挙で、北海道と福岡で革新知事。
◉サラリーマン新党(代表・青木茂)結成。
◉社会党大会で石橋委員長・田辺書記長を選出。
◉ロッキード裁判丸紅ルートの田中被告に懲役4年・追徴金5億円の実刑判決。首相が自発的辞職を勧告。
◉米レーガン大統領が訪日。日本の市場開放と防衛努力を要請。
◉総選挙で自民250と前回の衆参同日選挙から34議席減。新自由クラブと連立で第2次中曽根内閣、官房長官藤波孝生。

・この年に亡くなった人にはこんな人も…。中川一郎。里見弴。武井武雄。井上光貞。小林秀雄。森永太平。渋谷天外。片岡千恵蔵。尾崎一雄。高垣眸。中村鴈治郎。中原淳一。伊藤久男。寺山修司。東畑精一。東 龍太郎。羽仁五郎。中村草田男。山本薩夫。小泉文夫。花登筺。堀内敬三。田村泰次郎。金栗四三。安岡正篤。武見太郎。ジョージ・キューカー。カレン・カーペンター。テネシー・ウィリアムズ。アーサー・ケストラー。ベニグノ・アキノ。ジョアン・ミロ。

◎佐々木七恵が東京国際女子マラソンで日本人として初優勝。
◎瀬古利彦が国内最高記録で東京マラソン優勝。福岡国際でも優勝。
◎国鉄が勤務時間内に入浴した組合員1174人に対し、初の減給など処分を通告。
◎中国自動車道が着工17年で全線開通。吹田=下関間542.7キロ。
◎秋田沖を震源とする日本海中部地震。津波でさらわれるなど104人死亡。
◎戸塚ヨットスクールのしごき教育で中学生ら5人が死亡行方不明、戸塚宏校長を逮捕。
◎熊本地裁八代支部、免田事件再審で死刑囚に初の無罪判決。
◎山陰地方に集中豪雨で、死者119人。
◎海上保安白書で、現在の海図より日本列島の位置が北西に470メートルずれていると指摘。
◎三宅島雄岳が21年ぶりの大噴火。溶岩琉で阿古地区の9割400戸を焼失。
◎国鉄の赤字ローカル線廃止第1号となった白糠線でさよなら列車運転。
◎千葉県浦安市に「東京ディズニーランド」開園。
◎旧立川基地に国営昭和記念公園が開園。
◎山形県蔵王温泉のホテルから出火、隣りの旅館など6棟全焼。スキー客ら11人が死亡。
◎東京青山に西友ストアが無印良品の専門店を開店。

◎糸井重里、林真理子など、コピーライターの活躍が注目を集める。
◎NHKテレビの「おしん」が最高視聴率62.9%を記録。翌年にシンガポールに輸出されたのをはじめ、4年間に18か国で放送される。
◎写真週刊誌「FOCUS」が法廷の田中被告の盗み撮り写真を掲載。
◎講談社「ViVi」、平凡社「Free」、集英社「LEE」など女性雑誌の創刊が相次ぐ。
◎パソコンの普及台数が100万台を突破。ワープロも普及し始める。
◎任天堂が「ファミリーコンピュータ」を発売。ファミコンブーム起こる。

■流 行:ファミコン。
■テレビ:世界まるごとHOWマッチ!!・全国高等学校クイズ選手権・オールナイトフジ・おしん・金曜日の妻たちへ・ふぞろいの林檎たち・スチュワーデス物語。
■邦 画:市川崑/細雪・小林正樹/東京裁判・大島渚/戦場のメリークリスマス・森崎東/時代屋の女房・今村昌平/楢山節考。
■洋 画:アラン=J=パクラ/ソフィーの選択・エイドリアン=ライン/フラッシュダンス・ウォルター=ヒル/48時間。
■ 歌 :ちあきなおみ/細川たかし/瀬川瑛子など競作/矢切の渡し・ALFEE/メリーアン・YMO/君に、胸キュン。・EPO/う、ふ、ふ、ふ、・村下孝蔵/初恋・欧陽菲菲/ラヴ=イズ=オーヴァー・RATS&STAR/め組のひと・原田知世/時をかける少女・大川栄策/さざんかの宿・梅沢富美男/夢芝居・山明生/日野美歌/箱崎晋一郎など競作/氷雨・五木ひろし&木の実ナナ/居酒屋・森昌子/越冬つばめ・柳ジョージ/ランナウェイ・麻倉未稀/What a Feeling・尾崎豊/15の夜・カルチャー=クラブ/君は完璧さ・マイケル=ジャクソン/今夜はビート=イット。
■ 本 :大江健三郎/新しいよ人眼ざめよ・唐十郎/佐川君からの手紙・赤川次郎/探偵物語・浅田彰/構造と力―記号論を超えて。
■ことば:愛人バンク・にゃんにゃん・おしん・フォーカス・リフォーム。

❖年表の元ネタ主な参考資料河出書房新社『昭和・平成 家庭史年表』下川耿央・家庭総合研究会編。小学館『昭和・平成 現代史年表』神田文人編など。

dendenmushi.gif(2015/03/14 でんでんむし蛇足の記1983)
 前年に公開された洋画では、でんでんむし的注目作がたくさん並んでいた。スピルバーグの「E.T.」は、もうこの頃になるとSFとかいう意識で見る人はほとんどいなかったのではないかと思うが、「ブレードランナー」となると、ちょっとついて行けないという人が増える。「トロン」に至っては、見たという人もあまり多くはないのではないか。アカデミー賞の審査でも、まともな映画扱いをされなかったというくらいだ。
 コンピュータ・グラフィックスを駆使し、ストーリーもコンピュータ内部の話というわけで、なかなかの意欲作であったが、やっぱり見せ所は初めてのCG駆使というくらいで一般受けはしない。けれども、この映画の題名は、後にまたまったく別な日本独自のOSの名前として、インパクトをもたらし、その一端にかかわっることになるという点で、印象深い。
 もうひとつ、前年には中国旅行にも出かけていた。これも社長の指示だったが、それには彼自身の個人的な想いが背景にあったからで、それをかみしめながら日本人と縁の深い大陸の町を歩いてきた。
 旅行自体は出版や仕事とは、直接的なかかわりはなく、北京・南京・上海を回ってきただけだが、この頃はもう外国人の旅行が解禁されて何年かは経っていた。ただ、まだ人民元は使えず、外国人旅行者には兌換券というもので、ずっと張り付いたガイドら(監視役?)に連れて行かれる決まった場所でしか使えなかった。 だが、まったく自由時間がなかったわけではないので、南京では昔絵はがきなどで見た覚えのある門のある城壁の上まで登ってみた。そこで出会った小さな女の子に日本からもっていった千代紙をあげたら、それをもってすっ飛んで近くにあるらしい家のほうに駆けて行った。家に帰った彼女は、どう親に報告したのだろう。
 南京のホテルには、アメリカの高校生?の一団も泊まっていたが、彼らが連れて行かれるのは当時すでにできていた南京事件の記念館のようなものだったはずだが、われわれが案内されたコースにそれは入っていなかった。
 考えてみれば、でんでんむしの海外旅行経験は、すべて会社から派遣されたヨーロッパとアメリカとこの中国とくらいだ。個人で海外旅行に行ったことがないのは、お金がないこともさることながら、それ以上に積極的に行きたいというモチベーションがないからだ。
 唯一、父が戦死したというソロモン諸島のブカ島には行ってみたいという気はあった。遺骨も帰ってこないので、今もそこの土になっているはずだ。が、そこはなかなか旅行者が行けない場所らしい。
 戦後70年となる2015年には、天皇陛下がパラオを戦没者慰霊のため訪問されることが決まっている。パラオからソロモンまではまたさらに南東に赤道を越えて3000キロも離れているのではあるが、それでせめていっしょに慰霊ということにさせてもらったほうがよかろうか。
 それにしても、でんでんむしの父のように、大勢の日本人が兵隊として赤道を越えたはるか南の島まで行って、そこで死ななければならなかったのだろうか。
 それを知りたいと思う。そう思っていろいろな本も読んでいるが、最近読み始めた鳥居民の「昭和二十年」(草思社文庫 全13巻)は、なかなかに興味深い。
 ともかく、外国よりもなによりも、日本国内に知らないところ行ったことのない地域や場所がたくさんあるのに、わざに海外まで行く気にならない。岬めぐりだって、まだまだ終わらないのに…。
 たとえば、同じ東京にいても、通勤途上で見る風景にしても、自分で歩いた線はほんの限られた、か細い線でしかなく、それもだいたいは同じ所をぐるぐる回っているだけだ。
 お茶の水から水道橋の間の車窓には、神田川の深い谷が切れ込み、その向こう側は台地になっている。そこには順天堂大学と東京医科歯科大学の大きな病院がふたつ並んでいるが、いつもその前の道を少なからぬ人がお茶の水橋を渡って行くのを眺めながら、不思議に思っていた。あの人たちは、みんながみんな病院へ行くわけではなかろう。いったいどこへ行くのだろう。
 会社が三崎町から本郷へ移転することになって、気がついてみれば、自分もその道を歩いているのだった。病院の間の坂道を登っていくと本郷通りと蔵前橋通りが始まり、こうしてこれまであまり知らなかった本郷台地と縁ができた。
 だが、実を言えば、でんでんむしのBASICの先生であった理工志望の息子が、前年もこの年もこの丘の上にある大学を受験していたので、その前からすでに何度かうろうろしてはいた。塾にも行ったことがなかった息子のほうは結局準備不足で本郷には縁がなかったが、でんでんむしのほうは、これから十何年か後にその台地の南片隅に棲息することになって、お茶の水橋で駿河台と本郷台地を結びながらくまなく歩き回ることになった。けれども、それも準備計画していたというわけでもない。
 人と土地、地域とのかかわり方も、偶然や成り行きがその行方を決めるとはいいながら、またおもしろいものだ。
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