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1986☆『思い出の索引』★でんでんむし@アーカイブス☆わたしたちが生きてきた時代とは… [年表]

われわれはどこから来て、どこへ行こうとしているのだろうか…? 

1986mark.jpg昭和61年 丙寅(ひのえとら)
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◯米、スペースシャトル「チャレンジャー」打ち上げ直後に爆発。乗員7名死亡。
◯フィリピン大統領選マルコス当選するも、国軍が支持せず。アキノ大統領が主任宣言。マルコス亡命。
◯韓国の全大統領が89年に大統領直接選挙制へ改憲を言明。
◯スイスの国民投票で国連加盟を否決。
◯ソ連、チェルノブイリ原子力発電所で大事故。炉心溶融、放射能で周辺が汚染。死者31人。
◯オーストリア大統領、前国連事務総長のワルトハイムがナチ疑惑をおして当選。
◯レーガン大統領とゴルバチョフ書記長が、アイスランドのレイキャビクで会談。
◯中国安徽省合肥の学生、民主自由を要求してデモ。天津、上海、北京に波及。
◯ソ連、反体制派物理学者サハロフ夫妻の流刑を解除。

◉「建国記念の日を祝う会」主催の式典に首相以下閣僚17人が出席し、国家行事色を強調。
◉天皇在位60年記念式典、両国国技館で開催。
◉東京サミット開催、リビア名指しテロ反対、チェルノブイリ事故の情報要求を声明。
◉中国政府と韓国から「日本を守る国民会議」の日本史教科書の是正要求や批判を受け、政府が修正を要請。修正のうえ合格。
◉衆参両院同日選挙の結果、衆参で自民党圧勝。
◉第3次中曽根内閣、副総理金丸信、官房長官後藤田正晴。
◉16閣僚が靖国参拝。首相・外相らは近隣諸国へ配慮して公式参拝せず。
◉新自由クラブ、選挙で敗北し解党。田川誠一を除き自民党に復党。
◉藤尾文相の「日韓併合は韓国荷も責任がある」との発言により、日韓外相会談が延期に。首相は文相を罷免。
◉韓国訪問の中曽根首相が前大統領に陳謝。
◉社会党委員長選挙で、土井たか子が上田哲を破り当選。日本初の女性党首誕生。
◉自民党両院議員総会で党則改正。中曽根首相の任期を1年延長。
◉中曽根首相が「黒人などのいるアメリカは知識水準が低い」と発言、アメリカで激しい非難をあび、謝罪のメッセージ。国会で国民にも陳謝。
◉神奈川県警が共産党幹部の電話を盗聴していたことがNTTの調査で発覚。
◉国鉄の分割・民営化のための8法案が成立。
◉政府予算案で防衛費GNP1%枠を突破。整備新幹線の凍結も解除。
◉男女雇用機会均等法が施行。

・この年に亡くなった人にはこんな人も…。梅原龍三郎。石母田正。宮田東峰。原弘。前田久吉。小山田宗徳。三保敬太郎。前川國男。戸川エマ。杉原千畝。石坂洋次郎。木村秀政。荻須高徳。小佐野賢治。円地文子。島尾敏雄。増村保造。仁木悦子。東君平。松下正寿。ジェームズ・キャグニー。シモーヌ・ド・ボーヴォワール。ベニー・グッドマン。ヘンリー・ムーア。リリー・クラウス。ヴャチェスラフ・モロトフ。アンドレイ・タルコフスキー。

◎神奈川県逗子市、池子弾薬庫跡地の米軍住宅建設に反対する市民が起こした市議会リコール成立。建設推進派の富野市長の解任請求は不成立。市議会選挙は建設容認派が過半数。
◎第1次教科書裁判、国家賠償請求の控訴審で家永三郎敗訴。
◎東北自動車道の浦和=靑森間が全通。
◎マニラ郊外で、三井物産の若王子マニラ支店長が武装勢力に誘拐。後に身代金を払い救出。
◎伊豆大島三原山が209年ぶりの大噴火。島民などに避難命令。
◎三菱銀行有楽町支店前で現金輸送車が襲われ、3億3000万円が強奪される。1年後に犯人はフランス人と判明。
◎ビートたけしら12人が、取材方法に抗議し「FRIDAY」編集部に乱入。障害・暴行で逮捕。
◎ハレー彗星が地球に大接近。
◎英王室皇太子とダイアナ妃が来日。
◎「リーダーズダイジェスト」日本版が廃刊に。
◎文部省が初の「いじめ体罰実態調査。昭和60年上期の7か月で、いじめ15万5000件、体罰2819件と発表。
◎静岡県熱川温泉大東館で火災。非常ベルが作動せず、24人死亡。
◎富士写真フイルムが使い捨てのカメラ「写ルンです」を発売。この年だけでも300万本の大ヒットになるが、使い捨ての呼称は後に変更。
◎国鉄が手荷物取り扱い「チッキ」を廃止。明治5年以来続いた114年間の歴史に幕。
◎東京都心の再開発をめぐり地上げ屋が横行。

■流 行:激辛ブーム・レトロブーム・ダイアナ=ファッション。
■テレビ:世界=ふしぎ発見!・いい旅=夢気分・ニュースステーション。
■邦 画:畑正憲/市川崑協力/子猫物語・宮崎駿/天空の城ラピュタ・山田洋次/キネマの天地・熊井啓/海と毒薬。
■洋 画:ロバート=ゼメキス/バック=トゥ=ザ=フューチャー・ジェームズ=キャメロン/エイリアン2・トニー=スコット/トップガン・リチャード=ドナー/グーニーズ・     リチャード=アッテンボロー/コーラスライン。
■ 歌 :中森明菜/DESIRE・小林旭/熱き心に・テレサ=テン/時の流れに身をまかせ・渡辺美里/My Revolution・石川さゆり/天城越え・堀内孝雄/愛しき日々・うしろゆびさされ組/バナナの涙・少年隊/仮面舞踏会・荻野目洋子/ダンシング=ヒーロー・とんねるず/やぶさかでない。
■ 本 :家田荘子/極道の妻たち・阿川弘之/井上成美・磯村尚徳/アメリカからの警告』・ファミコンマガジン/スーパーマリオブラザーズ完全攻略本。
■ことば:ぷっつん・財テク・新人類。

❖年表の元ネタ主な参考資料河出書房新社『昭和・平成 家庭史年表』下川耿央・家庭総合研究会編。小学館『昭和・平成 現代史年表』神田文人編など。

dendenmushi.gif(2015/03/26 でんでんむし蛇足の記)
 たまたまその以前からつきあいのあった著者が、自分のかつての編集者としての経験を活かして書いてくれた原稿は、中国古典の故事成語に絞った四字熟語を集めたもので、出典がはっきりしているものだけになった。
 実は、編集者でんでんむしとしてはもっと広げて、たとえば「一球入魂」とか、「天地無用」「雨天決行」「規制緩和」とか、(三原じゅん子先生お気に入りの)「八紘一宇」「一億玉砕」なども、一章を設けて入れたかったのだが、そうなると二字熟語の組み合わせでいくらでもできてしまう。そうなるとまた別企画になる(こう書いておけば、そのうちどこかで本が出るかもしれない。ちょっと工夫は必要だけどね)ので、やはりここは古典に絞ることにした。やってみると、故事成語だけでもかなりな数があるので、それだけで充分に成り立つ。
 ページのつくりかたにも工夫が必要だった。漢字四文字をまずできるだけ大きく目立たせることで、ぱっとみた目の印象効果を狙ってレイアウトを考え、どこからでもぱらぱらめくってみるようにした。
 B6判並製のごく普通の本で、初版部数もいつものとおりで、編集者本人以外は誰も期待もせず、経営関係の本といっしょにそっと出したようなものだが、これが初版発売と同時に追加注文が相次ぎ、増刷も重ねていくうちに1万増刷というようなロング・ベストセラーになった。
 類書がないことは企画当初から確認済みで、これはいけるぞと密かに期待していたような動きがはっきりしたところで、今度はもっと収録語数を増やした本格的な辞典も企画し、この線の商品を育てて続けていくことにした。
 今これを読む人のほとんどは、そういう本っていっぱいあるよねと思うことだろう。事実、四字熟語の本はもう何年も前からいっぱい出ている。それらを集めてみれば「汗牛充棟」…。
 おそらく、あんな出版社で出して売れるのなら、うちで出せばもっと売れるだろう。漢字の本ならうちのほうが本家本元じゃないか。そんなふうに考えた版元は、少なくなかったろう。
 その後、同じように四字熟語をうたった本は、ごまんと出た。なにしろ、あの岩波書店まで出したくらいだ。本だけでなく、テレビの番組などでも四字熟語は盛んに使われるようになり、地味ながらブームといってもいいような様相を呈するようになる。
 長年週刊文春でコラムを書いていた中国文学者の高島俊男さんも、その現象を奇異に思われたのだろう。いったいいつからこんな本が出始めたのかを、ブームの経緯と源泉を調べて連載の一記事にした。そして、その最初のきっかけをつくったのがこの本だったと、コラムのなかで“四字熟語の本はこの本が最初”と証明してくれたのである。
 こういうのも、めずらしいだろう。だが、週刊誌で書かれたときには、見ていなくて知らなかった。後にそれを単行本「本が好き、悪口言うのはもっと好き」シリーズの何巻目かでそれを読んだときには、なにか昔の恋人と街で偶然すれ違ったような、不思議な感じがしたものだった。
 この頃には、印刷現場の大勢はオフ化が進行していたと思う。いつ頃からそれが顕著になり始めたかは、はっきりしないのだが、だいたい1980年代の初め頃からだったのではないか。確か、その頃からオフセット印刷の試行錯誤が始まっていた。
 こちらも興味があったので、印刷所の社長がやってきては、こんどこういうことができるようになった、こういう機械を入れたといって、売り込まれた。
 活字のよさやその伝統的なイメージを好む風潮も根強いものがあった。それに黎明期の電算の文字と馴染んできた活字とでは、見た目にもなにか曰く言い難い違いがあった。しばらくは、活字でなきゃダメだという声も強かったが…。
 けれども、脱鉛の趨勢には逆らえない。こちらもいつまでも活字にこだわるわけにもいかないので、実験台になる覚悟で電算写植の本もつくっていた。
 電算写植への切り替えは、印刷所にとってはかなりの設備投資であったが、簡単に言えば活版印刷の技術で養われた熟練の文選工や植字工をお払い箱にして、電算入力ができるオペレータに切り替えるという、業態改革に等しいものであった。
 それだけに後に引けない、必死なものだったが、電算への切り替えの当初はかなり苦労させられた。以前の熟練工が恋しく懐かしくなるようなことが、たくさん起こっていた。
 活版印刷の時代から、活字で表現できない図や表や絵などは、亜鉛版に焼き付けた凸版をつくっていた。そこに使う活字は写植の機械で印画紙に焼き込んだ文字を切り貼りして版下をつくるので、そうした細かい作業をやることを仕事にする人や会社もあった。
 また、デザイナーなども文字処理には写植を多用するので、自分のところで写植機を入れたりするところもあった。デザイナーの文字処理は、細かく文字の周りだけを印画紙部分を薄く切り取って版下をつくるという、これまたある種芸術的なワザによる作業が一般的であった。写植の需要は、電算とは別のところで、案外広かった。この時代、街のビルの窓には「写植」という文字が張り出されているところが眼についていたものだ。
 近頃、電車の中などで数独をやっているおじさんをみかけると、この頃の自分の姿を思うことがある。
 Macintoshでは、相変わらずBASICで遊んでいて、株もやらないのに株価グラフを描くプログラムを書いたり、マンデルブロー集合のプログラムを入れて、レーザーライターで長時間かけてプリントしたりしていた。
 BASICのプログラムをいじるのは、暗号を解くようなおもしろさがあった。実行してみても必ずエラーが出る。その原因となる印字ミスやバグがどこにあるのかを探すデバッグも遊びであった。もっぱら電車の中でそれをやっていたが、電車の中ではすぐに試してみることができないので、もっぱら紙と鉛筆でパズルを解くように推理しながら、論理の矛盾を見つけ出すようなものだった。
 この年になって、MacintoshはMacintosh Plusにアップグレードされ、そこで日本市場向けにつくられた新しいOSは「漢字Talk」と呼ばれた。
 やっと、Macintoshでも漢字が使えるようになったのだ。これで、BASICで遊ぶ時期も終わった。
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