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1988☆『思い出の索引』★でんでんむし@アーカイブス☆わたしたちが生きてきた時代とは… [年表]

われわれはどこから来て、どこへ行こうとしているのだろうか…? 

1988mark.jpg昭和63年 戊辰(つちのえたつ)
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◯米イージス艦がペルシャ湾でイラン旅客機を誤認して撃墜。290人が死亡。
◯イラン・イラク戦争で停戦協定成立。開戦から7年。
◯アフガニスタン和平協定が成立し、ソ連軍が撤退。
◯米大統領選挙で共和党のブッシュが当選。
◯ブット女史がパキスタン初の女性首相に。
◯韓国前大統領が光州事件と一族の不正で謝罪。
◯アルメニアで大地震。数万人の犠牲者。
◯ソウルオリンピック開幕。160の国と地域が参加で参加数は最多。ベン・ジョンソン薬物使用でメダル剥奪。
◯中国上海近郊で列車事故。修学旅行の日本の高校生と教師ら29人死亡。

◉国土庁の地価公示、東京の地価は前年比で68.6%の上昇で史上最高。
◉奥野国土庁長官が「日中戦争に侵略の意図なく、盧溝橋事件は偶発事件」と発言し、問題化。中韓からも批判を受け辞任。
◉川崎市助役がリクルート社未公開株で不当利得。リクルート事件の発端。
◉中曽根前首相、宮沢蔵相、安倍幹事長ら秘書リクルート社未公開株取得が判明。江副浩正リクルート社会長が引責辞任。
◉竹下首相が訪中。李鵬首相との会談で8100億円の第3次円借款に合意。
◉社民連の楢崎弥之助がリクルートコスモス社長室長らの贈賄工作を告発。日テレが隠し撮りビデオ放映。
◉天皇の容態が急変。下血が止まらず。国事行為は皇太子に委任。見舞いの記帳各地で始まり、首相らの公式日程変更相次ぐ。
◉自民党が消費税等税制改革関連6法案を特別委員会で単独強行裁決。国会審議ストップ、半年間の弾力的運営など一部修正で衆院通過。
◉東京外為市場で1ドル=121円57銭の戦後最高値を記録。
◉衆議院リクルート問題調査特別委員会で証人喚問。議院証言法を改正し、テレビ撮影を禁止。
◉竹下首相が「ふるさと創生」で全市町村に一律1億円の交付金配布。
◉リクルート事件の証人証言と答弁に食い違いで宮沢蔵相が辞任。
◉税制改革関連6法案参議院本会議で成立。野党は26時間の牛歩戦術で抵抗。

・この年に亡くなった人にはこんな人も…。宇野重吉。有沢広巳。田谷力三。田宮虎彦。桑原武夫。17代目中村勘三郎。小沢栄太郎。山本健吉。荻昌弘。井手俊郎。武智鉄二。土光敏夫。清水幾太郎。中村汀女。茅誠司。草野心平。三木武夫。楠本憲吉。小磯良平。大岡昇平。イサム・ノグチ。ゲオルギー・マレンコフ。リチャード・P・ファインマン。ロバート・A・ハインライン。

◎53.85キロで世界最長の青函トンネルが開業。青函連絡船は80年の歴史に幕。
◎東京ドーム球場が、後楽園球場跡に開場。
◎世界最長となる道路と鉄道併用の瀬戸大橋が開通。海峡部9368メートル。宇高連絡船は廃止。
◎文部省が小学校学習指導要領で教えるべき10人に東郷平八郎元帥を含め問題化。
◎島根・鳥取の両県知事が中海・宍道湖の淡水化事業の凍結を表明。
◎横須賀沖の東京湾で、海上自衛隊の潜水艦「なだしお」と釣り船「第1富士丸」が衝突。30人死亡。防衛庁長官が辞任。
◎自民党の高校英語教科書の日本軍の残虐行為に関する記述が不適切との指摘を受け、出版社が大幅に改定。
◎天皇の容態悪化を受けて、行事・興行・広告・宣伝などに自粛が広がり、論議も。
◎東京地検がリクルート本社などを一斉捜索。前社長室長を逮捕。
◎労働基準法の改正により、フレックスタイム制が可能に。
◎北海道の十勝岳が噴火。26年ぶり。

◎粉塵公害防止のため、スパイクタイヤの製造を中止。
◎プロ野球の南海と阪急が身売り。ダイエーホークスとオリックスブレーブスに。
◎「平凡パンチ」休刊。「少年ジャンプ」は初の500万部。
◎ゲームソフト「ドラゴンクエストⅢ」が発売。ドラクエ・フィーバー。
◎4大婦人雑誌のひとつ講談社の「婦人倶楽部」が廃刊、68年の歴史に幕。
◎全日空が「スチュワーデス」の呼称を「キャビンアテンダント」に変更。
◎奈良二条大路の長屋王邸跡から、考古学史上最多となる大量の木簡を発見。
◎奈良県斑鳩町の藤ノ木古墳の石棺が開けられる。1400年ぶりに遺骨と多くの金銅製の副葬品が多数現れる。

■流 行:ワンレン・ボディコン・ドライビール。
■テレビ:クイズ百点満点・探偵!ナイトスクープ。
■邦 画:佐藤純弥/敦煌・宮崎駿/となりのトトロ・高畑勲/火垂るの墓・大友克洋/AKIRA。
■洋 画:ベルナルド=ベルトルッチ/ラストエンペラー・エイドリアン=ライン/危険な情事・リンゼイ=アンダー スン/八月の鯨。
■ 歌 :光GENJI/ガラスの十代/パラダイス銀河・長渕剛/乾杯・南野陽子/吐息でネット・荻野目洋子/ストレンジャーtonight・Wink/愛が止まらない 〜Turn It Into Love〜・TUBE/Beach Time・サザンオールスターズ/みんなのうた・吉幾三/酒よ・堀内孝雄/ガキの頃のように・川中美幸/豊後水道・小林幸子/雪椿。
■ 本 :広瀬隆/危険な話・吉本ばなな/キッチン・村上春樹/ダンス=ダンス=ダンス・いとうせいこう/ノーライフキング・シドニイ=シェルダン/ゲームの達人。
■ことば:ペレストロイカ・オバタリアン・DINKS・カウチポテト族。

❖年表の元ネタ主な参考資料河出書房新社『昭和・平成 家庭史年表』下川耿央・家庭総合研究会編。小学館『昭和・平成 現代史年表』神田文人編など。

dendenmushi.gif(2015/04/01 でんでんむし蛇足の記)
 やっぱりまた出してきた。消費税と名を変えて。さっそく前からの準備を活かして、企業の実務や対策を中心にした本を出した。
 当然ながらこれがよく売れて、なんとか専門出版社の面目は保つことができた。経営的にも、これが売れておおいに助かったが、こういうタイムリーな時期を得て売れる企画というのは、めったにあるものではない。いわば、特需のようなもので、売れたら売れたで、今度はそれがなくなる後のことを考えなければならない。
 どこまでやってもきりのない、しんどい仕事ではある。売れる本はごくわずかだが、そればかり追いかけているわけではない。毎日の米の飯とも言うべき、通常の地味な経営書・実務書も、絶やさず出し続けていかなければならない。これがまた、重要なのだ。
 この少し後くらいが、出版点数もピークになっていただろう。年間で100点を超える数もの新刊を毎年出し続けていた。いささか資源のムダ使いといわれそうなものも、まったくなかったとはいいきれない。
 売れる本だけを出すということはできない。だが、出したい本だけを出すということはできる。ただし、それは会社の事情が許せば…の話。
 前に、同じ編集者という名前で仕事をしていても、出版社によってやっていることの内容は随分異なるということを書いていた。
 出版社も同様で、大出版社から零細出版社まで、別な商売、異業種ではないかと思えるくらい差がある。基本的には出版という仕事は志のビジネスで、その志とビジネスが微妙な天秤ばかりの上にのっかっているようなものだ。そのバランスの取り方次第で、その出版社の業態やありようが決まってくるようにも思える。
 一般的に言えば、志を重視するなら、大きな組織にしてはならない。
 そんなこんなで、年間100以上の新刊を出すというのは、なかなかむずかしいところなのだ。
 何枚ものいやもっともっとたくさんの書類データを関連づけ、結びつけるしくみというのは、コンピュータで初めて実現した。その基本となっているのが、ハイパーテキストというリンクや検索で相互につながる、というものだ。誰でもがインターネットを使っている現在では、何を今さらという感じだろうが、でんでんむしはMacintoshを使っていて、喜びうれしかったのがお絵かきソフトもさることながら、MultiplanとHyperCardであった。
 前者はMicrosoftが初めて出した表計算ソフトの元祖で、後におなじみのExcelへと発展していくわけだが、近頃のExcelを使っていると、昔のMultiplanや最初のExcelのほうがずっと使い勝手がよかったような気がする。
 後者は、Appleのビル・アトキンソンがMacintoshのために1987年に開発した、ハイパーテキストを初めて具現化したような、カード型の情報処理ソフトのようなものだった。
 これが発表されたときには、さっそくダウンロード(だったと思う。なにしろ数百ページもある英文のマニュアルをせっせとプリントした記憶がある)して、楽しんだ。
 自分でもスタックと呼ばれるソフトをつくっていたが、ある有名なMacエバンジェリストのひとりが、それをおもしろがってくれて、創刊されたHyperCard専門雑誌に紹介してくれたこともあった。
 そんな人たちと、どこで知り合ったのだろう。もっぱら、マイナーな手づくりの情報誌と秋葉原のイケショップだったかもしれない。秋葉原は電気街も外れ、銀座線の末広町に近いところにあったその店が、当時は数少ないMacintoshユーザーの行き交う交差点のようになっていたからだ。
 今では、街中どこへ行っても、かじるには固そうなメタリックなリンゴマークのついたケータイをいじっている人を見かけないことはない。でんでんむしはへそまがりだから、街中にiPhone5があふれるようになった頃から初代iPhoneをやめてしまった。多数派に混じっているのは、どうも居心地がよくない。
 が、iPhoneが出るまでのずっと長い間、AppleもMacintoshも常に少数派であった。少数派は仲間を探して集まる習性がある。Macintoshのユーザー会をつくろうと思ったのは、いったいなにがきっかけだったのだろう。
 その頃はレインボーカラーの横縞リンゴマークだった。今でこそ直営店を中心にうまくやっているようだが、Appleの日本市場に対する方針は、長いこと定まっていなかったような印象があった。アップル・ジャパンの組織も安定せず、代理店をめぐってのごたごたも尾を引いたりしていたのだ。
 だから、ユーザーの間では「オレにアップル・ジャパンの社長をやらせれば、たちまち3倍くらいは売ってみせる」といった話が聞かれたりしたものだった。
 近頃なにかとお騒がせの会社を渡り歩いている“プロ経営者”とかいうものが話題になっているようだが、MacからMacへと喧伝されていたその人にしても、別にその手腕でどうかなったということはなく、たまたま革新的で魅力的な新製品であるiMacが登場しただけではないか、というのが多くのMacユーザーの声であろう。
 おっと、iMacが登場するのは1998年だから、またまた10年も先走ってしまったよ…。
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タグ:年表
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