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1985☆『思い出の索引』★でんでんむし@アーカイブス☆わたしたちが生きてきた時代とは… [年表]

われわれはどこから来て、どこへ行こうとしているのだろうか…? 

1985mark.jpg昭和60年 乙丑(きのとうし)
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◯米ソ外相会談がジュネーブで開かれ、包括的軍縮交渉で合意。
◯ブラジル21年ぶりの民政移管。
◯韓国で反体制派政治家グループが新韓民主党を結成。
◯韓国総選挙で新韓民主党が第一党に。(ただし、276議席中の67)
◯ソ連チェルネンコ書記長が死去。後任にゴルバチョフ。
◯ヴァイツゼッカー西独大統領が、“敗戦記念日”に「歴史を思い起こせ」と演説。
◯メキシコで大地震。
◯ソ連ゴルバチョフ書記長が対米軍縮新提案を発表。
◯コロンビアのネルバドデルルイス火山が大爆発。町がひとつ消え2万5000人が死亡。
◯メキシコで大地震が連発。首都メキシコシティなどでビルが倒壊、5526人が死亡。
◯レーガン、ゴルバチョフの米ソ首脳会談、ジュネーブで開催。
◯AIDSの恐怖が世界に拡大。
◯米英で、アフリカ救援募金ロックコンサート「ライブ・エイド」が開催。
◯中国共産党中央委員会の機関紙「人民日報」が、昭和12年の南京事件の中国人犠牲者は34万人、と発表。

◉石橋社会党委員長が、“ニュー社会党路線”の強化・発展を大会で強調。
◉竹下登を中心とする創政会、40人で初会合。
◉中曽根首相が“建国記念日を祝う会”主催の式典に初めて出席。
◉竹入・佐々木会談で、公明党と民社党の連合政権協議再開を確認。
◉最高裁が現行の議員定数配分規定は違憲と判決。
◉自民党が国家秘密法(スパイ防止法)案を議員立法として衆院に提出。(継続審議→廃案)
◉中曽根首相が防衛庁の中期業務見積もりの政府計画に格上げすることを指示。(防衛費GNP1%枠撤廃検討の具体化)
◉河本敏夫沖縄開発庁長官が、オーナーである三光汽船の倒産で辞任。
◉中曽根首相が戦後で首相で初となる靖国神社参拝。閣僚18人も公式参拝で野党批判強める。
◉国鉄の6分割・民営化を骨子とする「国鉄改革のための基本方針」を政府決定。
◉自民党が両院議員総会で憲法改正検討推進の新政綱を了承。
◉日本電電公社、日本専売公社が民営化。NTT(日本電信電話会社)、日本たばこ産業会社として発足。

・この年に亡くなった人にはこんな人も…。向坂逸郎。石川達三。国分一太郎。中野好夫。藤山愛一郎。藤堂明保。小池朝雄。笠置シズ子。野上弥生子。宮口精二。若山セツ子。今里広記。川口松太郎。谷口雅春。黒沼健。岩切章太郎。天知茂。坂本九。夏目雅子。源氏鶏太。大友柳太朗。入江相政。川上宗薫。永田雅一。白洲次郎。石山透。田中美知太郎。藤原釜足。加藤唐九郎。佐々木更三。立川清登。ユージン・オーマンディ。マルク・シャガール。シモーヌ・シニョレ。ロック・ハドソン。オーソン・ウェルズ。ユル・ブリンナー。フェルナン・ブローデル。

◎東北・上越の新幹線の始発が大宮から上野になる。
◎つくばで科学万博開催。
◎厚生省が国内のAIDS患者1号確認を発表。
◎徳島地裁、刑事事件では初となる死後再審「徳島ラジオ商事件」の富士茂子被告に無罪判決。
◎羽田発大阪行きのボーイング747日航ジャンボ機が、群馬県上野村御巣鷹山山中に墜落。乗客乗員520人が死亡、4人が奇跡的に生存救出。

◎三光汽船、5000億の負債(実質1兆円)で戦後最大の倒産。
◎プロ野球選手の労働組合(中畑清会長)が東京地方労働委員会で正式に認定される。
◎中核派の同時多発ゲリラで国鉄の通信線が各所で切断され、国電がマヒ。
◎新両国国技館落成。横綱北の海引退。
◎警視庁が「いじめ相談コーナー」を開設。横浜市教育委員会は「いじめ110番」を開設。
◎宇宙開発事業団が、日本人の宇宙飛行士3人を決める。TBSからもソ連の宇宙船に乗船させると発表。
◎北海道夕張市の三菱石炭鉱業でガス爆発。62人が死亡。
◎本州四国連絡橋の神戸=鳴門ルートの大鳴門橋が開通。全長1629メートルは“東洋一”。
◎関越自動車道の関越トンネル(全長11キロ弱)が開通。
◎詐欺容疑で取調中の豊田商事の会長が、自宅で2人組に刺殺される。
◎長野市の地滑りで特別養護老人ホームなどが埋没・倒壊。老人ホームの26人が死亡。

◎奈良県斑鳩町の藤ノ木古墳から大型石室と家型石棺、装飾馬具を発掘。
◎奈良県明日香村の伝飛鳥板蓋宮跡付近から大量の木簡発見。「大津皇子」の文字を確認。
◎セ・リーグで阪神タイガースが21年ぶりに優勝。日本シリーズも制してトラ・フィーバー。
◎東京・青山に「こどもの城」開館。(2015年に閉館となる)
◎キヤノンが5万円を切るワープロを発売。
◎任天堂のファミコン、前年夏から1年間で350万台を販売。ゲームソフト「スーパーマリオブラザーズ」4900円で発売。
◎出版各社の文庫本競争が盛況。
◎CD=ROM(コンパクトディスク型読み取り専用記憶装置)が普及し、初めての情報商品(三修社「最新科学技術用語事典」)も発売される。
◎郵政省電波研究所が、ハワイなど太平洋の島々が1年間に4〜8センチメートルずつ日本に向けて移動している、と発表。
◎環境庁が、日本列島の海岸を調査。この6年間で565キロメートルの自然海岸が消えた、と発表。

■流 行:ファミコン(スーパーマリオ)・焼酎。
■テレビ:ニュースステーション・金曜日の妻たちへ。
■邦 画:杉井ギサブロー/銀河鉄道の夜・市川崑/ビルマの竪琴・黒澤明/乱。
■洋 画:フランシス=フォード=コッポラ/コットンクラブ・ミロス=フォアマン/アマデウス・ウォルフガング=ペーターゼン/ネバーエンディング=ストーリー・デヴィッド=リーン/インドへの道。
■ 歌 :小泉今日子/なんてったってアイドル・大沢誉志幸/そして僕は途方に暮れる・吉幾三/俺ら東京さ行ぐだ・アン・ルイス/六本木心中・中村あゆみ/翼の折れたエンジェル・小林明子/恋におちて -Fall in love-・岩崎良美/タッチ・荻野目洋子/ダンシング=ヒーロー・おニャン子クラブ/セーラー服を脱がさないで。
■ 本 :堺屋太一/豊臣秀長・神坂次郎/元禄御畳奉行の日記。
■ことば:ダッチロール・金妻・パフォーマンス・疑惑・家庭内離婚。
 
❖年表の元ネタ主な参考資料三省堂『コンサイス世界年表』三省堂編修所編。河出書房新社『昭和・平成 家庭史年表』下川耿央・家庭総合研究会編。小学館『昭和・平成 現代史年表』神田文人編など。

dendenmushi.gif(2015/03/22 でんでんむし蛇足の記)
 日経が試験的に開始していたN-MIXは、ちょっと覗いてみるだけであったが、それに続いて初めての商用パソコン通信となるNIFTY-Serveがサービスを開始し、一般から会員を募集し始めた。日商岩井と富士通が合弁会社を起こし、アメリカのCompuServeからのライセンス供与も受けながら始めたこのネットワークは、当然両社の社員があらかじめIDを供与されていたようだが、一般からの会員募集受付が始まった当日ではなく2日目に申し込んだのは、なぜかちょっともたもたしていたからだ。
 そのため、ID番号はPAGの100番をちょっとだけ超えていたが、当時のMacntosh仲間たちは当日に申し込んで13番目だ15番目だと自慢していた。
 この頃のパソコンには、まだモデムが組み込まれてはいなかった。音響カプラはさすがに実用には難があるので、RS-232C端子にモデムを買ってきて外付けする。そのモデムの通信速度は300ボーだった。ピピーガガガー…といいながら接続するモデムを、Macintoshの上に載っけて始めたパソコン通信は、40~50あったフォーラムを中心にした、これまでにないまた新たな世界を開いてくれた。
 もうひとつあったPC-VANは縁がなかったが、どうちらかというとそっちはホビー色・マニア色が強かったようだ。NIFTY-Serveではいくつかのフォーラムに参加していたが、後から思えば当時のフォーラムの書き込み内容は、全般に水準が高かったような気もする。お先走りな…いや、当時としてはある程度先進的な意識を持った人が多く会員になっていたので、ということもあっただろう。
 それでも、書き込みに対する意見の衝突などでもめる(いまでいう炎上まではいかない)ことはあったし、管理人の手腕が期待されるところもあったが、結局見知らぬ人間同士がテキスト画面の上でやりあうことの危うさと限界は感じることはあった。そんな経験から、反省したり学んだりすることも多かった。
 NIFTY-Serveの始まりから隆盛そして停滞までは、10年くらいの歩みがあっただろうか。インターネットが登場したときに、ニフティはこれからどうするんだろうと、心配してあげたりしていたものだが…。
 社長のアイデアで出した漢字の雑学本が売れたので、これに続く漢字もので、今度はもう少しホネのあるものを出したら、もっと売れるのではないかと考えた。
 こう言うととにかく「売れる」ことばかり考えていたように聞こえるが、売れさえすればよいというわけではない。やはり、読者のためになる、読者に喜んでもらえる本をつくることが、常に第一義として念頭にあった。
 中身がないのに誇大な仕掛けをして売らんかな、というのとは一線を画し、地道にコツコツと売れる本を考えていきたい。著者の知名度や、流行やトピックを追いかけていくのではない、もう少しちゃんとしたオリジナルな企画で勝負をしたい。そう考えていた。
 その読者の支持は、やはり売れ部数に表れるわけだから、結果として売れる本を考えることになってしまう、というだけのことだ。
 漢字をネタにした分野では、もっともっといろんな方法ややり方があるはずだ。そう考えて、いろんな著者と会い、打診をしてみたところ、ある著者からおもしろいアイデアが出てきた。
 なるほど! これはいける! 直感でそう思って、思わず手を打った。というのも、国語や漢字に関するいろいろを調べていて、そのテーマについても「これはまだ単行本ではどこの出版社からも出していないのではないか」ということもあらかじめ知っていたからだ。問題はどういう本にするか、だ。
 さっそくその場でその著者に執筆を依頼した。そうか、たくさん集めて辞典にするところからやってみればいいのだ…。
 毎月本社で開かれる役員会に出たのは、8月は世間がお盆の休みに入るところであった。ホテルに帰ると、一時行方不明になっていた日航機が、群馬県と長野県の県境付近の山中に墜落した、と大騒ぎになっていた。大阪からの帰りに、名古屋で降りて、中央本線に乗り換えたのは、木曽福島の別荘で執筆中のその著者と原稿の確認と打合せが予定されていたからで、木曽の山に向かって行く特急列車の車内でラジオを聞いていると、生存者が救出されたというニュースが飛び込んできた。
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