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1585 トウガ鼻・帆槌ノ鼻=高松市男木町・女木町(香川県)高松港の北ふたつの島の両端にふたつの岬 [岬めぐり]

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 高松市の男木島と女木島は、各島の各地を結ぶたくさんの連絡船やフェリーが出入りする高松港の北側で南北に並んでいる。高松港に近い少し長めの島が女木島で、その北で狭い水道を挟んで男木島が続く。小豆島と高松を結ぶフェリーはこのふたつの島の東側を通り、豊島経由で高松へ向かう船は、男木島と女木島の間の加茂ヶ瀬戸を通り抜けて行くらしい。
 男木島北端のトウガ鼻と、女木島南端の帆槌ノ鼻は、ともに灯台があって、行き交う船の拠り所になってきた。
 豊島の最南端礼田崎からは3.5キロのところに男木島トウガ鼻があり、井島最南端の鞍掛ノ鼻を回り込んで西へ向かうフェリー航路からは南東6キロに位置することになる。
 これまで、トウガ鼻と帆槌ノ鼻については、他の項目でついでにちょこっと名前だけあげたことがある。
 今回は、遠望ながら直接この二つの島とふたつの岬を視認確認できたということで、通算番号をつけた項目を設けて勘定に入れることにした。
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 トウガ鼻の背景に写るのは、庵治半島とその北に点在する島々。
 庵治半島で、ぴょんと鍋ブタのつまみのように飛び出しているのは八栗山(五剣山)であろう。また、ふたつの島の間には、屋島の南部も見える。
 フェリーが大きく方向転換するので、それに連れて島とその背景が変化する。男木島と女木島の間に屋島が見えるのも、ほんのわずかの間、微妙な位置にあるときに限られる。
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▼国土地理院 「地理院地図」
34度25分59.50秒 134度3分39.01秒 34度22分46.68秒 134度2分17.76秒
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dendenmushi.gif四国地方(2018/10/12 訪問)

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1584 礼田崎=小豆郡土庄町豊島唐櫃(香川県)縄文早期の貝塚があるという豊島最南端の岬は秘境 [岬めぐり]

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 東西6.3キロ、南北4.5キロの豊島は、豊島唐櫃・豊島家浦・豊島甲生と大きく3つの集落と地域に分けられるが、主なのは北海岸に面していてフェリーが寄港する唐櫃と家浦のふたつだけで、南海岸にある甲生(こう)は島を周回する道路は通ってはいるものの、フェリーも寄らないので完全に取り残されたような格好になっている。
 豊島南端の礼田崎は、当然この甲生の領域だと思っていたら、ここは唐櫃だという。甲生の領域は、集落の周囲に限定されていて、豊島最高峰の壇山340メートルは家浦だし、その南にある230メートルのピークも唐櫃になっていて、そこから南に張り出して、礼田崎の大きな出っ張りも丸ごと唐櫃に所属している。
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 この岬は、秘境といってもいいのだろう。いちばん近いはずの甲生からは南東にわずか1.5キロしか離れていないが、そこへは道がない。いちばん近い道路まではピークを越えて1.25キロ北になる。船で行こうにも接岸できるような場所もないのだろう。
 距離的にはさほど遠く離れているというわけではないが、道がないということで、秘境になっているようだ。
 そういうわけだから、ここには行けないし、フェリーからも鞍掛ノ鼻の南を回り込んで西へ転回するときに、その前方や後方に遠く見えるだけでよしとしなければならない。
 位置的には、礼田崎の南は高松市で、男木島の北の端も視界に入ってくる。
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 地図で見ると、礼田崎の付近は、切り立った断崖や岩礁が続いているようで、最南端の出っ張りの東側には、崖が小さく盲腸のように飛び出しているところがある。ここが礼田崎貝塚のある場所だろう。
  約9000年ほど前の、西日本では最も古い縄文早期のヤマトシジミなどからなる貝塚は、その出っ張りの上のほう、高さ17メートルのところに、その層があるらしい。
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 つまり、鞍掛ノ鼻の旧石器人と違って、早期の縄文人たちは、海進が進んだ瀬戸内海東部で、島となった丘の上でシジミを食べていた、とシロウトには想像できるが、それでいいのだろうか。ということは、この頃には海上の往来を自在にする術も持っていたことになる。
 ダッダガ鼻からは南東に3.8キロ離れている礼田崎を後に、フェリーは西へ進んで行く。鞍掛ノ鼻を南に回り過ぎるところで、その向こうに姿のいい山が現れる。これは小豆島の最南端である白浜山299.7メートルで、その下が釈迦ヶ鼻になる。
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▼国土地理院 「地理院地図」
34度28分31.59秒 134度2分38.87秒 34度27分34.08秒 134度4分52.27秒
スクリーンショット 2019-04-16 16.29.49.jpg
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1583 ダッダガ鼻=小豆郡土庄町豊島家浦(香川県)ダッダガ!だっだが!Daddaga Hana! [岬めぐり]

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 井島の南端鞍掛ノ鼻と、豊島の西端后飛崎の間の水道を、南に向かっているフェリーが、西に向きを変える頃、その後方に見えてくるのが豊島のダッダガ鼻。
 この奇妙な名前の岬は、后飛崎の南東3.8キロのところで、砂浜の中にぽつんと飛び出している細長い尾根の先端部で、フェリーで海から見ると丸い小山のようになっている。
 その東南側は、神子ヶ浜という小さな集落があり、西北側は豊島産廃事件の現場に続く行き止まりの一本道がある。丸い小山はふたつ見えるが、左手のは后飛崎の南の船溜りの出っ張りで、右側がダッダガ鼻になる。
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 そのずっと右手奥、遠くで飛び出しているのは、壇山から南に落ちてくる礼田崎。
 ダッダガ鼻で検索してみても、当然のようになにも中身のある情報はまったく得られない。ところが、不思議なことにスペイン語版のWikipediaには、Daddaga Hana というページがちゃんとあって、そこには日本語表記も明記されているのでそれが検索されてくる。なにやらたくさん書いてあったが、あれはいったいなにが書かれていたのだろう。
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 また、mapcartaの地図には、Daddaga Hanaとちゃんと表記されているだけでなく、Teshima no kokoro Museum(おそらく産廃跡地の見学者など向けの施設だろうと想像される)とか、Uomi=yamaなど、日本の地図などにもない表記まであったのも不思議だ。
 この地図では、后飛崎の表記が Ushirotobi Saki となっている。

 1581 后飛崎=土庄町豊島家浦(香川県)あの豊島産業廃棄物事件の現場はここだった

 后飛崎の項では、その岬名をどう読むのか、はっきり確認できなかったのでスルーしてきたのだが、「后」は「ご」とは読めるけれど「うしろ」の意味はないだろう。字ズラからはここも神功皇后伝説との何かがあったのかもしれないとは思ったが、それも確認できないので書かなかった。が、ここで「うしろ」が出てくるとは予想もしなかったので、ちょっと驚いた。「ご=後」の音からの連想で「うしろ」という解釈と読みが出てきたのだろうか。
 (…と書いていたのだが、コメントいただいたのをみて、あそうだった!と思いました。「後」もあったんですね。すみません!)
 ただし、地名の読み方には理屈ではない部分もおおいにあるので、案外「うしろとびさき」が正しい読み方であるのかもしれない。(…とすると、「后」→「後」→「うしろ」という変化も、自然にあり得た、ということでしょうかね。)
 いずれにしても、こういう日本語の読み方などが、外国語のサイトでされているというのがおもしろい。いったい、誰がどこでこんな作業をやっているのだろう。
 それに、肝心の当の日本語のサイトではどこも誰もなにもしていないので、それらについてなんの情報もないというのもおかしなものだ。
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 ダッダガ鼻についても、その名の意味も由来もなんにもわからない。
 その岬は、鞍掛ノ鼻を過ぎてもなおずっとその後ろにあるのだが、まだその前に…。
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▼国土地理院 「地理院地図」
34度28分31.59秒 134度2分38.87秒
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1582 鞍掛ノ鼻=香川郡直島町(香川県)旧石器時代の井島遺跡が物語るものを想像してみる [岬めぐり]

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 人が住んでいる北側、島の3分の1ほどは岡山県の玉野市石島になっている井島は、南北に長く山火事で焼けた山肌を晒しつつ、南に行くほど細く狭くなっている。その南端は、二つのコブをもつ出っ張りとなって飛び出している。大きめのコブのほうには灯台が立っていて、鞍掛ノ鼻という名は、南の小さいほうの出っ張りの最南端につけられている。
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 鞍掛ノ鼻は切り立った断崖で、その断崖の途中には、ちょうど何かを引っ掛けるのにいいような岩の出っ張りもあったので、これに鞍を掛けるのかと思ったが、そんなことはない。
 鞍掛というのは、鞍を置く台のことなのだから、この二つのコブのある出っ張り全体が、その台のようだということなのだ。
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 フェリーはこの鞍掛ノ鼻を、深目の中華鍋のようなゆるいカーブを描きながら、東から西へと回り込んで行く。
 相沢忠洋による岩宿での旧石器の発見から2年後の1951(昭和26)年、この鞍掛の鞍部でも旧石器時代の遺跡が発見されている。井島遺跡と名付けられたこの遺跡からは、石槍や石鏃(せきぞく=ヤジリ)やナイフ形石器など多数の石器が見つかっている。この地域で石器といえば、サヌカイトを連想してしまうが、それと関係あるのかどうかは明確に書かれた情報は見当たらなかった。
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 岩宿以前には、日本には旧石器時代はなかったとされていたのだが、現在ではなんと日本列島全体で4000(ええっほんとかよ!)もの遺跡が確認されているのだというのだから驚いてしまう。時期的には、約3万年前から1.2万年前の後期旧石器時代と呼ばれる時代のもので、とすると縄文海進で海域が広がる以前のこの地域は、まだ海ではなかったと想像される。
 約2万年前頃はまだ氷河期で、日本列島が大陸と地続きになっていて、人類もマンモスなどとともに陸続きで渡ってこられた、というのがだいたいの定説のようだが、これにも異論があって、対馬海峡は陸続きにはなっていなかったとする説もあるらしい。1万年前には氷河期が終わって気温も海水面も上昇し始めて、瀬戸内海が形成されたのは6,000年前頃だったとされる。
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 大小の島がたくさんある瀬戸内海のこの辺りは、おそらくは陸地で本州と四国も繋がっていたのだろう。
 つまり、現在の風景からは、島に後に遺跡を残す居住地があって、丸木舟で海を往来していたかのような状況を想像してしまいそうだが、実はそうではないようだ。
 さらに想像を膨らませれば、海進によって海に沈んでしまった旧石器時代の居住地跡も多かったのではなかろうか。
 この鞍掛ノ鼻の遺跡は、たまたま山の上で残ったひとつだったに過ぎないのだろう。
 わからないことが多く、専門家は煮え切らないことばかり言ったり書いたりしているようにみえるが、いろいろ大胆に想像してみるのはおもしろい。
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▼国土地理院 「地理院地図」
34度28分43.28秒 134度1分13.41秒
スクリーンショット 2019-04-13 10.55.18.jpg
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1581 后飛崎=土庄町豊島家浦(香川県)あの豊島産業廃棄物事件の現場はここだった [岬めぐり]

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 豊島(てしま)のいちばん西の端に、南北に細長い高さ20メートルほどの膨らみがぽこんとある。この丘の上には鉄塔が立っていて、その下の周囲はまだ何かの工事でも始まる前の現場のような雰囲気が漂っている。この丘の北端に、后飛崎という岬の名前がついているが、その名前がどこか使われたりすることはほとんどないようだ。
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 ここが、史上最悪といわれた産廃不法投棄事件の現場であったらしい。ネットに残るその豊島産業廃棄物事件の記録を拾い読みしてみても、后飛崎は出てこないが、水ヶ浦という名で呼ばれていたのが、岬から東へ続く海岸であった。
 この美しい名をもつ美しい場所が、悪名高い不法投棄事件の現場になったのは、1970年代後半から80年代にかけて、悪質な業者によって不法に大量の産廃が集められ持ち込まれたためだった。島民は住民運動を起こしてこれに対抗しようとしたが、肝心の行政がここにあった古代遺跡まで破壊してゴミため場にしてしまう札付きの業者に無策であるばかりでなく、学者出身の当時の知事と行政が逆に住民運動を牽制して業者に有利な扱いを繰り返してきたことなど、その無責任さと職務怠慢が、問題をさらに大きくし長期間にわたって拗らせてきたと指摘されてきた。
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 1990年の産廃業者の摘発も、香川県警ではなく兵庫県警によるものだったのは、処理能力の数十倍におよぶ産廃は主に関西地区から集められたものだったためということもあるようだが、この問題を最初に取り上げたメディアも香川や四国ではなく岡山のほうからであったという。
 1997年に業者には破産宣告が出されるが、それでおわらないのが、大量の有害物質を含む残された産廃の処理だった。
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 住民運動は事件の当初から根気よく県外から全国へ展開され、結果的には半世紀近くもの長い間続くことになるが、その過程で豊島産廃事件は広く大きく注目を集めることになる。公害調停を申請するにあたっては中坊公平氏が住民側の弁護をし、やっと香川県が誤りを認めて調停が終わったのは2000(平成12)年で、残された有害産廃は直島の三菱マテリアルの施設に運ばれて処理されることになった。2017年に無害化処理と撤去はいちおう完了したとされたが、その後また新たな廃棄物が見つかるなど、事件が残した傷跡と影響は大きかった。
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 この事件でも、遠く離れた傍観者に過ぎなかったので、豊島の位置すらかつての認識からは明確でなく、ましてやその場所が豊島西端の后飛崎にあったことなどまったく意識にもなかった。
 だが、こうして豊島にも岬めぐりでやってきて、通り過ぎて行くフェリーの上からながら、その現場を眺めていると、いくらかその事件の深刻さや、運動当事者の苦労や、悪質業者への怒りや、行政の不適切な対応とそれの始末にかかる膨大な費用などなど、さまざまな不合理さ理不尽さが、層のように積み重なって見えてくるのだ。
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 これほど各方面に大きな影響をもたらした大事件も、そもそもはたった一人の人間の悪意のある仕業から始まり、その強烈な個性とパワーに適切に対応できずにまたは不適切な対応を繰り返し、無為に年月を経過させ悪化させていく行政の不作為にあったことに、問題の構造的深刻さにあったのだと改めて思わせる。

▼国土地理院 「地理院地図」
34度28分57.41秒 134度2分13.32秒
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1580 戸尻鼻=香川郡直島町・玉野市石島(香川県・岡山県)この島のこの岬を県境が通っている [岬めぐり]

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 戸尻鼻は井島の北東端に出っ張った、小さくて低い岩の塊のように、地図では見える。そこを豊島家浦港を出たフェリーから眺めているのだが、横から見ているだけなので、小さい岬のうえにその向こう側の島や陸地の景色が重なり合い折り重なって、その先端を判別するにも苦労なほどだ。
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 白い灯台が目立つくらいしか手がかりのない風景だが、この灯台があるのは筏島という。この島は井島の戸尻鼻からは、北西940メートルのところに浮かんでいる小さな無人島で、岡山県玉野市に属する。筏島と戸尻鼻の間を塞いでいる山と陸地も、玉野市の出崎半島付近になる。
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 井島は、なかなか複雑な状況に位置している。その読みは「いじま」だが、これは香川県側からみた名前で、同じ島が岡山県側からみると石島となり読みは同じく「いじま」。
 南北3.2キロの痩せたサツマイモのような島は、北側3分の1が岡山県で、南側3分の2が香川県。北東端の戸尻鼻と西端のヘラガ崎を結ぶ境界線が、稜線を辿って引かれている。小さな島に県境が引かれているのはめずらしい…と書かれた情報も多いのだが、同じく岡山県と香川県の県境が通っている島には、槌土瀬戸の大槌島のような例もあるので、この海域に関してはそうめずらしいことでもないらしい。

 1346 大崎ノ鼻=高松市亀水町・坂出市王越町木沢(香川県)円錐形の小槌島と大槌島がならぶ景色は人気で…

 その大槌島についても触れた大崎ノ鼻の項目では、讃岐と備前の境界争いの話についても書いていた。
 現在の岡山県と香川県の県境は、この付近の海域では香川県の領域がずっと北寄りに岡山県側に食い込んでいる。それは玉野市からは目と鼻の先にある直島諸島が、そっくり香川県側になっているからで、境界争いの決着をつけるのに、樽を海に流して決められたという話もいかにももっともらしく聞こえる。
 おそらくは、出崎との間の海峡が境界ではなく、島を東西に曲がりくねって分けるこの井島の境界線も、そのときの事情と絡んでの結果なのだろう。
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 そして、数少ない住民が住む集落は、岡山県側の石島にしかなく、香川県側の井島はすべて無人地帯となっている。東のフェリーから眺められるのは井島ばかりで、石島は右手の山と戸尻鼻の向こう側になるので見えない。
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 井島の山全体が、赤茶けたように見えているのは、2011(平成23)年に起きた山火事のせいだという。何日も燃え続け、島の90パーセントが消失したというこの山火事の発生した日には、船でやってきた男女十数人のグループがバーベキューをしていたことが確認された、という情報はあったがそれっきりで、出火原因や「犯人」についての続報は見当たらなかった。
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 現在の島の姿は、8年前の山火事から懸命に回復しようとしている植生の様子なのだ。
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▼国土地理院 「地理院地図」
34度30分23.96秒 134度1分24.85秒
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きた!みた!印(17)  コメント(0) 

1579 甲崎=土庄町豊島家浦(香川県)ここも「甲」が「兜」の意で用いられて混同されて定着したものか [岬めぐり]

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 豊島家浦(てしまいえうら)でも豊島唐櫃(てしまからと)と同じように、集落が浜と岡に分かれている。家浦浜のほうは、港に近い付近が住宅密集地で、その周囲に人家が続いている。そこから南へ島内を周回する道路に沿って、標高10メートルから30メートルくらいにかけて、家浦岡の集落が続く。
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 東北の岬めぐりで、集落と港を完全に分離して、狭い海岸には民家の一部と浜小屋くらいしかおいていない、ほとんどの住宅は港から離れた高台にあるという場所も複数あったが、ここの場合はいわゆる高台移転や津波の影響を避けるためというわけではないようだ。
 唐櫃の場合には浜から丘まで山坂を越えていかなければならず、若干距離も離れていたが、家浦の場合はごく自然に浜から緩い斜面の岡に上って集落が伸びていったような感じなのだろう。
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 甲崎は、家浦の港から1.6キロの西にある。三角形のとんがり帽子のような84メートルの山があり、その形状から付いた名前だと思われる。これをどう読むのか、はっきりしないのだが、「こうざき」よりも「かぶとざき」と読むほうが、ここの場合ピッタリするかもしれない。
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 Wikipediaによると、「元来、『甲』は鎧、『冑』は兜を表していたが後に混同され、甲が兜の意で用いられる事もある。」のだそうだ。とすると、ここの甲崎も混同組の一例で、兜のような形の岬としてこういう名になったと考えられるからだ。
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 家浦港に入港の前後に、甲崎は西側に眺められる。家浦浜から西には、道路も途中で終わっていて、岬の周辺には人家も何もない。
 唐櫃と家浦と、小豆島にまたがる土庄町である豊島での二つの寄港地に寄ったフェリーが、次に目指すのは終着の岡山県玉野市の宇野港となる。家浦港から宇野港までは、島と島の間をすり抜けるようにして西へ向かうことになる。
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 甲崎のさらに西側、遠くには、フェリーの行く手を遮るように大きく島影が見えているが、これは井島。まずはこの島を南(左手)に回り込んで行かなければならない。
 甲崎の緑とは対照的に、井島の山肌はなんだか焼けただれているように見える。
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▼国土地理院 「地理院地図」
34度29分20.85秒 134度2分36.24秒
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きた!みた!印(14)  コメント(0) 

1578 白崎=土庄町豊島家浦(香川県)名前の由来が明らかに想像できるような白い岩の小さな岬 [岬めぐり]

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 豊島は、東端の宮崎から西端の后飛崎まで6.28キロ、北端の虻崎から南端の礼田崎まで4.5キロ。その島の中心に壇山340メートルがあり、海岸で開けた三つの浜に三つの集落がある。
 それぞれ字地名として、北の東側には豊島唐櫃、西側には豊島家浦がありそれぞれ港を持つ。南にも豊島甲生があるが、そこには港はない。いや、港はあるのだが、定期船は寄港していない。この三つの集落を結んで壇山をぐるりと一回りする道路がある。
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 豊島島内を走る公共交通機関としては、豊島シャトルバスというのがあるようだ。家浦と唐櫃を日に7往復、家浦と甲生の間は3往復しているらしいが、今回の豊島の岬めぐりは、すべてフェリーから眺めるだけの横着モードで済ませることにしている。
 そのシャトルバスが通る道路の北の端に、硯という字名と小さな港を持つ集落がある。その名前からして、由来のひとつくらいありそうなものだが、どうも何もないようだ。
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 白崎はこの硯集落と港の北側に飛び出している。宮崎よりもさらに低く、高度は11.7メートルしかなく、東西に広がる砂浜のなかで、ここだけが岩のおかげで浸食を免れ、岬として残ったのだろう。
 虻崎を回り込んだフェリーが西へ進むと、だんだんとその白崎が大きくなってくる。
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 そして、白崎という名前の由来が想像できるような、はっきりした特徴を見ることができる。白崎の先端の一部が白い岩が露出した状態で、そこだけが白く目立っているのだ。硯という集落の名とここの石と関係でもあるのかとも思ったが、白い硯は聞いたことがない。
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 実は岬全体が、この白い岩でできていて、ほかの部分は植生に覆われるなどして目立ってないのかもしれない。
 白い岩といえば石灰岩だろうが、花崗岩には白っぽいものと赤味がかって見えるものがある。この付近の地域の地質傾向からみると、白い岩も花崗岩ではないかと思われるが、案に相違してここだけ石灰岩なのかもしれない。調べようとしてみたが、確かなことはわからなかった。でもまあ、ここだけ石灰岩ということはまずないだろうし、石灰岩であれば白さはもっと白いはずだ。
 次の岬は、家浦港の西にある甲崎だ。
*DSCN0546 (1).jpg

▼国土地理院 「地理院地図」
34度29分51.77秒 134度4分10.25秒
スクリーンショット 2019-03-02 9.09.04.jpg
dendenmushi.gif四国地方(2018/10/12 訪問)

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1577 虻崎=土庄町豊島唐櫃(香川県)全国で数十人しかいないらしい虻崎さんのゆかりの地なのかどうか? [岬めぐり]

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 人名と地名または地域との関わりつながりについては、おおよそのことは言えるわかる場合もあるが、個々には史料などの確かな裏付けがない場合がほとんどのようだ。
 虻崎は、豊島唐櫃(てしまからと)港の西に張り出している、虻山という115.8メートルの山から北に流れ出る、幅のある尾根の北端にあたる。
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 どうやら、ここでは虻山が先にあって、その先っぽだから虻崎になったと考えられる。しかし、事はそれですんなりおさまるほど簡単ではなく、裏を返せば逆に虻崎がある山だから虻山になったと言えないこともない。
 豊島唐櫃港に着岸したフェリーからは、一人の乗客と、テイクアウトピザ屋の車と荷台の後部に○崎組と書いてある小型トラック、二台の車両が降りていった。字が判読できなかったが、これが虻崎組だったらおもしろかったのに、なかなかそううまくはいかないようだ。
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 虻崎は、人名と地名(といってもここでは岬名のみだが)のケースとして全国でも稀なものではないだろうか。
 名前(苗字)として、虻崎さんを名乗る人は、全国でも数十人しかいないようだ。非常に少ない、レアな名前だといっていい。それも主に二箇所の地域に限定されているようで、大阪府と香川県にほぼ限られている。そして、香川県というのがこの土庄町!
 この情報は、ネット上にいくつかある姓名検索などのサイトによるものなので、どの程度信用していいのか不確かなところはあるが、なかなかおもしろい。
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 こうしたことから、土庄町でも虻崎という岬のあるこの付近が、虻崎さんの謂れのある地域ではないかと想像できるが、これも確かなことはわからない。
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 虻崎周辺には人家はなく、道路も山道が一部通っているだけ。虻山は全山花崗岩の岩に覆われた山のようで、その東側の急斜面には何やら柱状に見える節理のようなものもある。海岸に近いところには、崖崩れのような跡もあり、四角いコンクリートの横穴のようなものも見える。
 かといって採石場の跡のようでもなく、上から見ると丸く幅のある虻崎の正体はどういうものか、なかなか明確に浮かんでこない。
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▼国土地理院 「地理院地図」
34度29分59.48秒 134度5分0.86秒
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dendenmushi.gif四国地方(2018/10/12 訪問)

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1576 宮崎=土庄町豊島唐櫃(香川県)「岬まわるの小さな船が」の岬もちょうどこんな岬だったろうか [岬めぐり]

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 香川県小豆島の土庄港と岡山県玉野の宇野港の間は、直線距離で東西20.9キロ、その中間に豊島(てしま)がある。周辺海域には大小さまざまの島が浮かんでおり、広くは備讃諸島として括られ、この航路付近の豊島と直島を中心とした島々は、直島諸島と呼ばれることもある。
 直島は香川県香川郡直島町だが、豊島は香川県小豆郡土庄町。豊島の東隣に小さく寄り添う小豊島は、土庄町伊喜末と小豆島の北西部と同じ字名をもつ。豊島の西、直島の東に位置する井島は、南側3分の2は香川県の直島町で、北側3分の1は岡山県の玉野市という、なかなか微妙な線引きがされている地域・海域に入って行く。
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 室崎を後にしたフェリーの前方に、小豊島と宮崎がだんだん大きくなってくる。豊島ではまず唐櫃(からと)港に入港するが、その東手前につき出ているのが宮崎。
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 宮崎は、いかにも内海の小さな岬の典型のように見える。山上路夫作詞の「瀬戸の花嫁」に歌われる、「岬まわるの小さな船が」の岬も、ちょうどこんな岬だったろうかと想像される。
 高さも28メートルとさほど高くなく、灌木に覆われてその裾は岩が取り巻いている。長さも道路や人家のあるところから320メートルほど飛び出しているだけ。
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 地図で見ると、岬の上には人家はなく、付け根のところに鳥居マークがある。これが唐櫃八幡神社で、岬のほぼ全体が八幡神社の社叢となっているらしい。この神社があるから、宮崎の名もあるのだろう。
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 この神社のお祭りは、座布団を下から小さい順に重ねたような太鼓台を担ぎまわるのが慣わしのようで、そんな写真などもネット上にたくさんアップされている。
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 唐櫃の集落は、港を中心とした唐櫃浜と、南の壇山のほうに丘を登っていった唐櫃岡に大きく分かれているようだ。唐櫃岡には別の鳥居マークも二つあるので、唐櫃八幡神社の祭礼は唐櫃浜のお祭りなのだろう。
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 唐櫃浜から唐櫃岡に向かう坂道の途中には、豊島美術館なるものもあるらしいが、フェリーからではそれは見えない。もともと高い大きな建物があるわけではなく、「柱が一本もない水滴のような形をした建物」だというから、それでは見えないのも道理だろう。現代アートの芸術家や建築家が参加し、休耕田を利用してできた美術館は、ベネッセアートサイト直島のサイトにその紹介があった。ベネッセも直島からはみ出して、豊島まで進出しているようだ。
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 ここでは「からと」と読むことになっているが、「櫃」は「ひつ・びつ」であり、これは昔から衣服や経巻などを入れるためにあった、蓋つき脚つきの四角い箱のことで、運搬・保存用のコンテナのようなものだ。そのつくりの唐風のものが唐櫃なのだろうが、それがどうしてここの地名になっているのか、それはわからない。
 同様の地名は、兵庫県と三重県にもある。
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▼国土地理院 「地理院地図」
34度29分30.72秒 134度6分12.48秒
スクリーンショット 2019-03-02 9.07.49.jpg
dendenmushi.gif四国地方(2018/10/12 訪問)

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