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1575 室崎=土庄町伊喜末(香川県)小豆島に別れを告げる最西端の岬を右舷に見ながらフェリーは西へ [岬めぐり]

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 フェリーというと、たとえば大洗=苫小牧のような外航路の大型船を想像する人も多いだろうが、瀬戸内海では中小型のフェリー航路がたくさん走っている。島と島、本土と島を結ぶ日常の生活交通運搬手段として、旅客船(高速連絡船)とともに欠かせない存在になっているのだ。
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 土庄港からもいくつかの航路が発着しているが、なかでもその中心となっているのは四国フェリーの土庄=高松航路で、これは所要時間1時間で日に15往復もしている。 
 姫路からフェリーで小豆島の福田に渡り、そこから土庄港まで島内を走ってきた国道436号線は、ここから高松港にまたフェリーでつないで、高松上陸後少しだけはこの道路が続く。
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 フェリー経営も楽ではないらしく、会社の吸収、経営変更などもあって複雑になっていて、小豆島フェリーという名も新旧入り乱れているうえに系列もあるが、乗ったのは四国フェリー系列で土庄に本拠を置く小豆島豊島フェリー株式会社の宇野行き航路であった。岡山県玉野市の宇野からは、国道30号線に接続している。
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 この航路は途中豊島(てしま)では唐櫃港と家浦港に寄港しながら、宇野まで約1時間30分。これはフェリーとしては小さいほうで、本数も日に3往復と少ない。
 ちなみに、土庄=宇野の運賃は、旅客1,230円、自動車6,870〜8,590円、二輪車1,350〜1,800円で、自動車運賃には旅客1名分の運賃が含まれているが、二輪の場合は旅客運賃が別に必要だという。車を持たない人間からみても、意外に自動車のフェリー料金は高いようにも感じられるが、燃料も使わず長距離を移動できるのだから、まあそんなもんと言えるのだろうか。
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 室崎は、土庄港の出入口の北西側に、カギのように飛び出ている岬で、畝木崎からは北西1.6キロにある。
 室津や室崎の語源には、家の中のように波も穏やかという意味も持たせられているが、ここではどうだろう。確かに土庄港を北西の風から守っているように見えないこともないが、港からは少し離れているので、直接防風防波の役に立っているとも思えない。
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 土庄港を出るすべてのフェリーは、この岬を右舷に見ながら西へ南へと進んで行く。室崎は小豆島本島(前島を除くという意味)の最西端。これで雨に祟られた小豆島とはお別れだ。
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▼国土地理院 「地理院地図」
34度30分18.48秒 134度9分23.39秒
スクリーンショット 2019-02-23 9.30.17.jpg
dendenmushi.gif四国地方(2018/10/12 訪問)

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1574 畝木崎=土庄町土庄(香川県)「世界で一番狭い海峡」の港から豊島経由宇野行きのフェリーに乗る [岬めぐり]

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 土渕海峡が、「世界で一番狭い海峡」としてギネス認定されたのは、1996(平成8)年のことであった。それまでは、そこが海峡だという意識は全般的になかったか乏しかったらしく、そいう名前もなかった。土渕海峡という名前は、そのギネス申請に際して必要になったからつけた、というのが真相らしい。
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 ネット情報では、土渕(どふち)海峡と、ふりがなをつけてあったが、へそまがりはこういうことも気になる。普通、読むとき呼ぶとき「どふち」と発音するだろうか。頭が濁るのであれば、「どぶち」と言うほうが自然なのではなかろうかと思ったりする。
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 現在の住居表示では、海峡の南側が土庄町土庄で、北側は土庄町渕崎なので、字名の頭一字をくっつけてそう呼ぶことにしたというのだが…。「渕」は「ふちざき」と読むのだからというのであれば、「土」も「とのしょう」という読みに寄らなければならなくなり、どうも無理が多い。
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 海峡で仕切られた南側は、はっきり島になるわけでその名前も判明した。どこにも表記がないし、海峡の説明をする時以外では誰もそう呼ぶことはないようだが、「前島」という名前がちゃんとあるらしい。
 海峡の狭いところは10メートル足らずの幅しかなく、バスで通ったが、写真も撮り損ねるくらいほんの短い橋を渡るだけ。海峡自体の長さは、東の伝法川の河口付近から西の畝木崎までの2.5キロ。
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 その海峡を背にした港の東寄りに、香川県出身の彫塑家の作品である、「平和の群像」というブロンズ像が建てられている。題材は原作と映画の「二十四の瞳」をモデルにしたといい、映画公開2年後の1956(昭和31)年に当時島の交通を担っていた小豆島バスが建て、土庄町に寄贈されたという。
 明らかに高峰秀子の大石先生とこどもたちの群像なのだが、その題名のつけかたに企画制作者の明確な意図が感じられる。同時に、場所を明確に特定していない原作はともかく、映画の舞台になっているとは言えない土庄町に、これが建てられている積極的な理由を強調しているようでもある。この像の題字揮毫が、時の内閣総理大臣であった鳩山一郎の手による(しかも右から横書き)というのも、なにやら当時の周辺の思い入れの勢いというか意気込みが感じられる。
 土庄港の付近では、さすがに世界一狭い海峡も広くなっていて、何本かの船着場が並んでいて、そこから高松や宇野などと結ぶ航路のフェリーが発着する。
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 畝木崎は、港の出入り口の南側の製油工場の敷地の先に出っ張っている岬なので、港に出入りする船は必ずここを回り込んで行かなければならない。
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 でんでんむしの今回の岬めぐり計画では、ここから豊島(てしま)経由のフェリーに乗って宇野まで行き、そこから乗り換えて直島に渡るというつもりでいる。行程の最終日なので、直島から宇野に戻り岡山から新幹線で帰京する予定で、結局全行程で晴れたのは出発の日と帰る日だけ、という岬めぐりになってしまった。
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▼国土地理院 「地理院地図」
34度29分35.84秒 134度10分0.11秒
スクリーンショット 2019-02-23 9.29.51.jpg
dendenmushi.gif四国地方(2018/10/12 訪問)

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1573 黒崎・門ヶ鼻=土庄町土庄(香川県)庵治半島や屋島を望みながら「島」の最南端をひと回りして… [岬めぐり]

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 運転席横の最前列の座席は、通常の路線バス車両ではほとんどの場合一人がけになっている。その席を占領されてしまったということは、岬を前方から見ることができない。後ろの席からだと、斜め前か横にしか見られない。
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 黒崎が近づいてきても、斜め前方の端っこにかろうじて引っかかっているという感じになってしまう。どうやってみても窓ガラスの映り込みも避けられないし、構図も思うようにはならない。
 千軒という字地名は、人家が多く集まっている地域を意味したものだろうか。戸形崎から南東方向に向かって伸びる長い砂浜海岸に沿って、集落が続く。その集落の先に黒崎がある。
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 三角点16.8と水準点17.2が並んでいる黒崎は、鋭く鋭角に突き出た三角形で、二つのこぶが目立っている。
 ここから南には、庵治半島の先端に散らばる小島とともに、遠目にも特徴的な平べったい屋島が見える。黒崎からほぼまっすぐ南に7キロほどのところには竹居観音岬があり、その西に根太鼻や長崎ノ鼻が続いている。それぞれ、過去に訪問した記録もあり、そのときには北に小豆島の島影を眺めていたのだが、今はこうして逆に庵治半島や屋島を眺めている。

 1339 竹居観音岬=高松市庵治町(香川県)お天気も回復して庵治半島の北端から瀬戸の海の風景を楽しむ
 1340 根太鼻=高松市庵治町(香川県)備讃諸島に臨む岬から“純愛の聖地”を南へは石だらけの道
 1341 長崎ノ鼻=高松市屋島西町(香川県)“源平屋島古戦場”はいったいどこなのかという昔からの疑問解明に挑んでみた(大げさ!)

 こんなふうに岬めぐりが、海を越えてつながっていくのも、なかなかおもしろい。
 黒崎から東へ折れ曲がる道路に沿っていくと、小さな山を越えた先に柳の集落があり、そこに門ヶ鼻があるのだが、これはうまく見ることができなかった。バスの後方座席からでは、まったくその姿を捉えられなかった。
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 柳からしばらくは山の中を走り、次に海が見えてくるところは、大余島・中余島が見える土庄東港近くになってからだ。
 土庄東港付近には、観光ホテルの大きいのも数軒あって、弁天島から中余島につながる砂州のエンゼルロードは、有名な観光ポイントでもあるらしい。
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 前にも書いたが、だいたいオリーブにしろ「二十四の瞳」にしろ醤油にしろ寒霞渓にしろ、小豆島の代表的な観光ポイントは、そのほとんどが土庄町ではなくて小豆島町のほうにある。その意味でも、ここらは数少ない土庄町の目玉スポットなのだろう。
 そういえば、もうひとつ土庄町にもギネスものがあった。「世界一狭い海峡」というのがそれで、役場付近の北側の狭い川のような土渕海峡を渡る橋の上には、それが麗々しくうたってあった。
 土渕海峡は、その西が土庄港になっている水路で、確かにそれは川のように細くなりながらも、東の池田湾につながっている。小豆島の本島とは、この海峡で切り離されている。
 つまり、西浦線のバスでぐるっと一回りしてきた大きな出っ張りは、半島ではなく島だったのだ。その中央には大深山という標高226.6メートルの山をいただく島だった。
 それでもその名前もわからないほど、島という意識は希薄で、3つの橋でつながって完全に小豆島の南西部の一部として一体化している。

▼国土地理院 「地理院地図」
34度27分37.68秒 134度9分7.04秒 34度27分45.72秒 134度9分47.01秒
スクリーンショット 2019-02-23 9.29.21.jpg
dendenmushi.gif四国地方(2018/10/12 訪問)

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1572 戸形崎=土庄町土庄(香川県)男木島北端のトウガ鼻と豊島南端の礼田崎もいっしょに望めます [岬めぐり]

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 3日ぶりの青空となったこの日は、まずは小豆島の土庄(とのしょう)で残っている岬を一周りする。小豆島は小豆島町と土庄町に分かれているが、島の北西部を主にその領域に占める土庄町で、南西部に張り出している半島のような部分がある。その一帯全部が、現在の住居表示では土庄町土庄という大雑把に括られまとめた表記で表わされるが、元はもっと細かい字名がついていた。
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 泊まったホテルはオーキドホテルというが、それは土庄の港に面したこの所在地が大木戸という字地名だったからだ。
 ホテルの前から出る、朝一番のオリーブバス西浦線の西回り始発バスに乗って、この出っ張りをぐるっと3つの岬を回って、また港まで戻る。…つもりだったのだが、ここで思わぬ競争相手が現れて、運転席横のいちばん前の座席を先に占領されてしまった。
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 ガラガラの車内でまさか、の事態であったが、仕方がないので後ろの座席の海側に座る。
 大木戸をでて、畝木、小瀬と字地名を辿りながら、まず戸形崎へと向かう。海岸線に出ると、右手の車窓に現れてくるのが豊島(てしま)と小豊島で、この二つの島までは同じく香川県小豆郡土庄町の領域なのだ。
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 土庄町伊喜末の住居表示をもつ小豊島までは、土庄町土庄の小瀬付近からだと1.6キロくらいしか離れていない。その間を、高松へ向かう白いフェリーが通って行く。
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 地理院地図を見ると、重岩という岩のある山の北側を、送電線が伸びてきて、海岸のところで消えている。そこから西の対岸にある小豊島でも、豊島から続く送電線が伸びてきて、島の北東端で消えている。
 これは土庄小瀬と小豊島の間を海底ケーブルで繋いでいる、ということなのだろうか。
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 南へ向かって走るバスの右側車窓で、その端っこにぽこりと姿を見せるのが小瀬港と小瀬集落の南に飛び出している小山。港はこの小山の陰を利用してできている。
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 戸形崎の名は、その南でわずかに出っ張っている岩棚につけられている。岩棚の上には何やら白い柱とやはり白くセメントで固めた祠がのっかっている。どうやら弁天さんか何かのようで、この祠のある部分は、満ち潮になると島になるのだろう。
 車窓から通りすがりに見えた道路脇には、「ウミガメ産卵の地」という石標が建てられている。なんか、まだ新しいように見える。
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 地図では、この下の海岸には砂浜も広がっている。調べてみると、ここにアカウミガメが産卵したのは、2000年の夏のことだったようだ。これが子亀が孵化して海に帰っていき、翌年もまたちゃんと繰り返されるというのならめでたいのだが、なかなかそうはうまくいかないらしい。
 ウミガメは生まれた浜へ帰ってくると言われるが、それが続かないということは、何十匹も孵化しても、無事に成長して帰ってはこられないということなのだろうか。それとももっと待っていれば、2000年に海に帰っていったカメがまたいつか戻ってくるのだろうか。
 戸形崎は地味ながらそれなりに名所のようで、映画のロケも行なわれたり、白い柱にロープを渡してこいのぼりを海の上に泳がせるといったイベントがあったりするという。
 白い祠と柱の向こうに見える小島は、地図ではアアラ島となっている。その右手奥にあるのは、豊島の最南端にあたる礼田崎と、その向こうは直島諸島の一部であろう。
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 左手の島が男木島(その右手先端がトウガ鼻)と女木島で、その背景に遠くあるのは四国本島の山々。望遠レンズで見れば、瀬戸大橋の橋脚も見えるだろう。
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▼国土地理院 「地理院地図」
34度28分13.30秒 134度8分30.02秒
スクリーンショット 2019-02-23 9.28.58.jpg
dendenmushi.gif四国地方(2018/10/12 訪問)

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1571 ハヤ崎=土庄町滝宮(香川県)走るバスの車窓から眺めた岬を特定するのは思いのほかむずかしい [岬めぐり]

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 走るバスの車窓から眺めた岬を特定するのは、思いのほかむずかしい。もちろん、疑問の余地なく簡単にわかる場合のほうが多いのだが、若干でも疑問が残ると、あれこれ迷ってしまうこともある。
 たとえば、このハヤ崎の場合は、先端に岩島がくっついているという見た目に明らかな特徴があるので、それと判断することは容易にできる。まず間違いないので問題なかろう。
 しかし、その背景に遠く薄く長く突き出してる岬はどこのなんという岬だっただろうか。
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 ハヤ崎の東にあたる岬は、屋形崎鼻のはずなのだが、この岬は緩く丸く張り出してはいるが、屋形崎集落が北端に切れるところで人家も多く、ハヤ崎から見ると、ほとんどその出っ張り具合だけでは特定できない。
 ひとつには、天候と光の関係もあるけれど、もともと折り重なったようになっている岬はわかりにくい。ハヤ崎からは2.8キロの距離にあるのだが、その向こうに大きく飛び出して見える岬のようなものと、完全にかぶっているので、その写真から屋形崎鼻を特定することはできない。
 山が落ちてくるこの辺りがそうだろうか、という推測ができる程度でしかない。
 すると、背景の先端で山が飛び出しているところはどこなのだろう。
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 屋形崎鼻からさらに北東には、7.5キロ先の妙見崎があるのだが、これがそうととはすんなりと思えない。この天候では到底望むことはできないだろうし…。
 とすると、このいちばん奥で突き出しているのは、屋形崎鼻からは1.5キロ先、ハヤ崎からは4.4キロのところにある小島なのだろうか。屋形崎鼻の先に小島が重なって、横から見るとひとつの岬のように見えてしまっているのか。

 1552 屋形崎鼻=土庄町屋形崎(香川県)大阪城残石記念公園のざんねんな石たちも眺めているだろう岬

 屋形崎鼻については、トップにはこの項と同じ場所からの遠望も掲げているが、「大阪城残石記念公園」を通るところの道路から主に眺めていた。
 この写真で見ると、大島がすぐ手前にあって、その向こうに屋形崎鼻があるという構図になっていた。このときの写真で見る大島と、ハヤ崎から遠くに見える岬は、比べて見ると同じ場所だとは思えない。
 第一、高さが違う。小島は20メートルくらいなのに対し、こちらはもっと何倍か高いように見える。山容も緑に覆われた小島に対し、ここも石切り場のような崖が目立つ。
 こう見比べてみると、見えているのは小島ではなく、やはり7キロも先になる妙見崎が見えているのだ、という結論になり、最初の判断は間違っていたことになる。
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 このように、最初には一見そうだと思っていても、よくよくいろいろな角度から検討してみると別の結論に至ることもある。とくにバスで通り過ぎるだけの岬の場合には、その場でじっくり観察することもできないので、あとから写真と地図とを照合しながら、岬の特定をすることになるので、なかなか簡単でもないのだ。
 ハヤ崎の沖合には、岩礁が散らばっているが、ここは昔は二見ヶ浦のような岩があったらしい。それが台風か何かで崩れて、その名残だという。
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▼国土地理院 「地理院地図」
34度31分16.53秒 134度11分35.77秒
スクリーンショット 2019-02-06 16.48.09.jpg
dendenmushi.gif四国地方(2018/10/11 訪問)

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1570 蕪崎=土庄町小江(香川県)野菜とは関係なくて神功皇后伝説に由来する名前だという [岬めぐり]

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 蕪崎はここでは「かぶらざき」と読むようだ。字面からは「かぶざき」と読むほうが自然のように思える。野菜の「カブ」が日本の地名になることは、あまり普通とも言えないはずなのだが、その形からいかにもカブを転がしたような岬もないわけではない。
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 蕪崎という同じ名前の岬が、ここから北へ11.7キロの岡山の牛窓にもあるが、そこはまさしくカブのようだった。それに比べると、ここはダイコンに近くてカブらしくはない。しかし、それは横から眺めた場合で、もし上空から眺めれば、あるいはカブのように見えたかもしれない。
 確かに蕪の別名はカブラではあるけれども、それよりも可能性としてよくあるのは、「かぶら=鏑」のほうではないだろうかと思えたりする。蕪になるのは、最終的にそういう文字を当てるというケースだ。
 ここではどうだろうか。ここでは野菜は関係なく、「かぐら=神楽」が「かぶら=蕪」になったものだという。それには、神功皇后伝説が絡んでいる。
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 神功皇后は三韓征討の帰路に、筑紫国から畿内に向かうのに、海路をとって瀬戸内海を東に進んで行った。伝説ではその途上では各所でさまざまな出来事があったとしているが、ここでも「岬の沖合で暴風雨により難破しそうになったが、そこでその付近に上陸して神楽を奏し舞うと嵐もおさまった」といい、神楽崎がその由来なのだという話がある。
 また、黒船騒ぎで世情騒然としていた嘉永年間には、この蕪崎から一枚の古代鏡が発掘されたので、これこそ神功皇后の神器であろうと埋めなおして神鏡塚として奉った、ともいうのだ。その鏡は現在はいくつかの破片に割れているようだが、土庄町が蕪崎神鏡塚出土鏡として保管しているようだ。
 こうした神功皇后伝説は、讃岐にもあるので、想像するとその船団が讃岐から北上して小豆島の北側に回り込んでいることになる。これは、当時の船と航海術からすれば、島伝いに陸地を見ながら進むのが基本で、そう考えると島もない広い播磨灘に漕ぎだすよりも、小豆島の北側に回り込んで、吉備の国との間の比較的狭い水域を航路に選ぶのは当然だったのだろう。
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 細く長く突き出しているが陸繋島ではなく、岩石の部分が浸食を食い止めて残ったという感じだ。この蕪崎では1987年度版の「二十四の瞳」の撮影も行なわれたという。
 長浜、渦江といった海岸の集落を通り抜けながら、北に向いて出っ張っている蕪崎を眺めるとき、ちょうど潮汐の加減なのか干潟が広がっていた。
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▼国土地理院 「地理院地図」
34度31分42.75秒 134度10分19.44秒
スクリーンショット 2019-02-06 16.47.42.jpg
dendenmushi.gif四国地方(2018/10/11 訪問)

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1569 ナガ崎=土庄町小江(香川県)オリーブバスの四海線に乗り換えて島の北西部へ [岬めぐり]

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 でんでんむしの遠い先祖の一人には、近道だと通りかかった広島倉橋島の石切場で転落事故死した人がある。子孫への訓戒とともに、その経緯を記録した香典帳が残されていたので、それがわかった。それだけが原爆で焼けなかったのは、祖父がそれらの書付が入った仏壇だけは、郊外に疎開させていたからだ。
 子孫であるでんでんむしは、その教えを守って軽挙を慎み、特に高い崖の上などでは慎重に注意しているので、奇禍にも遭うことなく今日まで永らえている。
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 これまで、家島諸島から始まった岬めぐりでは、採石場には非常に多くの縁があったが、だから好んでそれを取りあげているというわけではなく、この地域にたまたま採石場とその痕跡が多いというだけの話だ。
 ただ、採石場という場所は、危険が多い場所だということ、むやみに立ち入るような場所でないことは、忘れてはならない。採石場の跡地などを整備管理せずに、放置しておくなどは非常に問題でもあるわけだ。
 池田港から土庄港までバスできて、そこからまたバスを四海線に乗り換えると、土庄港から北へ、伊喜末、小江を経由して馬越浜まで行く。四海線というのは小江の漁港に四海漁港という名があるので、今は地図から消えた古名に四海があり、バス路線はそれを名乗っているということだろう。
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 四海線の終点でUターンして、また土庄港まで戻ってくるだけだが、この四海線に乗らなければならないのも、この小豆島の北西海岸にもいくつかの岬があるからだ。
 土庄港からは、いったん東へ戻ってから海峡の対岸に渡り、そこから北西にバスは進む。その途中にまず、畝木崎と室崎があるのだが、それは港の出入口なので、もう二日続きの雨も上がって晴れるであろう翌日に回すことにする。
 とすると、次の岬は小江のナガ崎となるが、実はこの岬は道路からは見えない。見えるのはナガ崎の西に出っ張っている小さな出っ張りだけ。ナガ崎の表記はそこからは北東へずれたところについている。
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 それも、小江の集落と四海漁港を過ぎて、沖島とナガ崎の間に千振島が見えてくるほんのわずかの間にかろうじて見えるだけ。道路はすぐに海岸を離れて、ナガ崎と蕪崎のある出っ張りを横断して行く。
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 このときには、見えないナガ崎と道路の間には400メートルの距離がある。そして地図ではそこには丸い崖に囲まれた凹地があり、中途半端な道が描かれている。これはなんだろう。
 地理院地図でも空中写真・衛星画像に切り替えて見ることができる。でんでんむしはグーグルアースよりは、こっちのほうがすぐ簡単に見られるうえに、色調など補正して明るくするなどの手間がいらないのでいいと思っている。
 それを見て驚いた。なんとそこは丸い池で水が溜まっている。池とか湖とかの表記も何もないので、まさか水があるとは思わなかった。だが、これは池でもなく単なる大きな水溜りなのだ。
 では、なぜこのようなことに…。調べてみると、ここも採石場の跡だった。周囲をクレーターのような崖に囲まれたこれは、まるで火口湖のようだ。
 ここはもうだいぶ前に業者が倒産か何かして、その跡がほったらかしになっている場所らしい。小豆島の採石にも何度か触れたが、このナガ崎と千振島の周辺では、古くからの採石の記録もあるようだ。
スクリーンショット 2019-02-10 16.34.04.jpg

▼国土地理院 「地理院地図」
34度31分31.30秒 134度10分7.26秒
スクリーンショット 2019-02-06 16.47.08.jpg
dendenmushi.gif四国地方(2018/10/11 訪問)

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1568 大角鼻=小豆島町坂手(香川県)どうしても行くべき岬とも思えないのでここも遠望で… [岬めぐり]

 最近、So-netブログトップの右上に広告のリンクボタンが表示されるようになった。「ぽっこりお腹になったら」だの、「お肌の漂白剤」だのを毎度見せられるのは不愉快で迷惑そのものだ。せっかく有料ブログにして広告表示を一切排除しているのに、これはいったいなんだ。目障りで仕方ない。

 最上部の一行ヘッダーは、ブログの本体ではなく、So-netのエリアだから有料ブログでもユーザーにかかわりなく運営者の好きに使っていいという考え方なのだろうか。そんな姑息な手段まで使って広告を取りたいと思うところまで追い詰められているのだろうか。

 そこで、こちらも姑息な手段で対抗することにした。背景を白ではなく濃い目の色に変えれば、AD文字は見えなくなる。リンクボタン自体を消すことはできないが、少なくとも目に触れなくなるので気にはならなくなる。(「デザイン」→「テンプレート管理」→「ヘッダー」→「設定」→「現在選択中のテンプレートに合わせる」のチェックを外して色指定)

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 ここも半島の名前はわからないが、小豆島ではいちばん南東方向でちょこんと出っ張っている。ウシの後ろ左足に相当するところで、その先端が、大角鼻(おおかどはな)になる。
 坂手港からは3.75キロの大角鼻までは、50〜60メートルくらいの高さで岬を巻いている道路はある。途中にふたつくらいの集落はあるようだが、人家もほとんどない。そのほとんど山道(車は通れる舗装道路)を行けば、灯台のある岬に到達するはずだが、この半島にはバスが通っていない。田ノ浦映画村線のオリーブバスは、途中で申し訳のように、その付け根に位置する坂手港と坂手の集落に寄って行くのだが、そこから先は公共交通機関がない。
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 ネットを見ると、何人かの人が大角鼻灯台を訪ねて行ったという記録を公開しているが、いずれも自転車であった。マウンテンバイクなど本格的なツーリングで行く人はあるらしい。大角鼻には藪の中の灯台以外とくに何があるというわけでもないようなので、自動車を転がして行くドライブコースとしては、どうやら釈迦ヶ鼻ほどの人気もないようだ。またひとりはタクシーで行ったというのもあったが、そこまでして行くこともない。
 でんでんむしの場合は、どうしても行かなければならないとすれば、レンタサイクル(どこにあるのかわからないが、あったとしてもそこからまた坂手港までくるだけでも大変そうだ)というしか足がないが、そうまでして行くべき岬でもないような気がする。レンタサイクルもそれはそれでなかなかうまく利用するにはコースに高低差がないこと、電動自転車があることなど条件が整わないといけないし、だんだんそれもしんどくなってきた。
 そこで、計画の段階から、ここは遠望でやむを得ないだろうというつもりだった。というわけで、ここは三都半島の東海岸から坂手湾を挟んで、8.4キロの遠望になる。
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 160メートルの峰がふたつ並んでいて、先端は急に落ち込んでいる。地図を見ると灯台は50メートルくらいの斜面の上に立っているようだ。
 岬のある細長い半島の北側には、洞雲山・碁石山という400メートル前後の山々が連なっており、とくに北寄りの碁石山のほうは、でこぼこが目立っている。この碁石山の北2キロのところを、福田港と土庄港を結ぶ国道436号線がトンネルで抜けている。
*DSCN0245 (1).jpg
 その手前で黒く見えているのは、映画村のある田ノ浦の半島で、その先端は塩谷鼻となろう。
 大角鼻の右手にお椀を伏せたような島はフクベのようには見えない福部島で、塩谷鼻の南1.86キロのところにある無人島だ。
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 遠望が続いているが、それぞれ条件が異なるので混乱しそうだ。整理しておくと、三都半島の南端の釈迦ヶ鼻は、その西の土庄の出っ張りから雨が上がった翌朝に眺めたところで、大角鼻はやはりそこからは西に位置する三都半島の東海岸から眺めたところになる。
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▼国土地理院 「地理院地図」
34度25分59.97秒 134度20分14.67秒
スクリーンショット 2018-12-28 10.05.30.jpg
dendenmushi.gif四国地方(2018/10/11 訪問)

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1567 崩鼻・釈迦ヶ鼻=小豆島町神浦・蒲野(香川県)遠く西からの遠望で眺めただけの岬はまとめて [岬めぐり]

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 この項では別々の岬であるふたつの岬を一緒にしてまとめているが、それはどちらも実際には現地またはその近くへ行くことができず、遠く西の黒崎付近から眺めただけだからだ。
 三都半島西の小豆島町崩鼻と土庄町黒崎の間は、7.8キロ離れている。かなりの遠望だが、雨の小豆島めぐりの翌日、きれいに晴れあがった早朝にオリーブバスの西浦線の西回り一番の始発に乗って一周した。このときに、土庄南の大きな出っ張りを回り込んだ黒崎付近から、土庄港へ北上して戻るところで、東の海の向こうに崩鼻・釈迦ヶ鼻がある半島の南端が見える。
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 釈迦ヶ鼻はその先っちょのところだろうという見当ぐらいはつくが、崩鼻に至っては、とてもここがそうだとは特定できない。ただ、白浜山という標高300メートルの形のいい山が、北西(左手)に切れるあたりがそうだろう。
 ネット情報で岬・崎・鼻の情報が得られることはほとんどないと書いたばかりだが、ここでは権現崎に続いて、崩鼻・釈迦ヶ鼻についてもいくつかあった。
 そのひとつコトバンクの三都半島の項の説明では、崩鼻では讃岐岩質玄武岩の柱状節理が発達し、大規模な採石が行なわれている、と書いてあった。なるほど、地図を見ると、採石場らしい崖地形や道や池が描かれていた。さてはサヌカイトかと思えば、香川県の石でもあるサヌカイト(讃岐石)は安山岩らしいので微妙に違うようだ。白浜山から崩鼻にかけては玄武岩なのだ。
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 バスは神浦までしか行かないが、この先にも白浜山の裾をぐるっと回る道があって、そこを1.2キロも歩けば崩鼻に行ける。そこからさらに南に進んで1.5キロも歩けば灯台のある釈迦ヶ鼻まで行くことができる。
 灯台の名前は地蔵崎だが、岬の名前は釈迦ヶ鼻。ある情報によると、その昔土に埋まっていたお釈迦様を掘り出して祀ったところ海難事故が減ったといい、その石造の釈迦座像も安置されているというのだが、釈迦と地蔵の関係がよくわからない。
 三都半島最南端には釈迦ヶ鼻園地というのがあって、播磨灘から備讃瀬戸に入るもっとも狭い水道に面しており、一日に通る船の数は約700隻を数えるという。行ってみればなかなかの絶景もあるのだろうが、残念ながら車でもないとなかなかそこまでは行けない。
 でんでんむしの岬めぐりは、下調べをしない行き当たりばったり原則と、もうひとつの原則である公共交通機関で行けるところに制約される。車で行けばわけないところでも、バスが通っていないところには行けないのだ。それでも、昔はバスがないところでも5キロも10キロも歩いていたこともあるのだが、この頃はもうそんなに歩けない。
 ここも、最初からそのつもりで計画に2時間の行程を組み込み、バスの時刻に合わせられるならば、不可能ではなかったのだが、たとえ雨が降っていなかったとしても、それもちょっと…。
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 だから、崩鼻・釈迦ヶ鼻は西からの遠望の後回しにして、また町営バスで東海岸に戻る。東海岸から南を望むと、小山の出っ張りがあるが、そこには岬の名はない。釈迦ヶ鼻は、この出っ張りのずっと南西になる。
 コトバンク情報では、この出っ張りのところにある谷尻集落は1976(昭和51)年9月の台風17号による土石流で壊滅状態となり24人の死者を出した、とあった。
 谷尻、市神子、吉ヶ浦、目見ヶ谷と集落を辿る東海岸には、道路脇と沖合にも大きめの無人島が見える。
*DSCN0255 (1).jpg*DSCN0247 (1).jpg

▼国土地理院 「地理院地図」
34度25分31.78秒 134度13分29.67秒 34度24分54.31秒 134度13分56.10秒
スクリーンショット 2019-01-28 16.47.19.jpg
dendenmushi.gif四国地方(2018/10/11 訪問)

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1566 権現崎=小豆島町神浦(香川県)これはもう「人の褌で相撲を取るの巻」になってしまったな [岬めぐり]

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 何度か書いている通り、でんでんむしの岬めぐりは、交通宿泊関係以外の事前の調査・情報収集はいっさいなしの行き当たりばったりが基本なので、岬以外の周辺の観光ポイントなどは、原則見向きもしない。だが、それでも後から調べて思えば、事前に知っていればついでにそっちのほうにも行けたら行ったかもね、ということもままある。
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 この権現崎は、長者鼻と崩鼻を結ぶ「コ」の字型の入江の南の中央に、小さく突き出た小山で、一応三都港という名前のついた小さな港と神浦(こうのうら )集落にある。一見陸繋島のようでもあるが、ここでは砂州を生じるほどの強力な潮と波の動きがあるようにも思えない。*DSCN0210 (1).jpg
 地図には史跡マーク付きで、「皇子神社社叢」との表記がある。
 ネットでは、個々の岬について記述された情報は、極めて少ない。普通の場合まず調べてみても、なんらか意味のある情報に出くわすことは、ほとんどないのだが、ここでは2代目小豆島町長(任期は平成22年4月23日~平成30年4月22日)であった塩田幸雄氏が、小豆島町のサイトで連載していた「町長の「八日目の蝉」記」のなかの、第1785回にあたる「潮耳荘」というタイトルの記述が見つかった。
 少し長くなるが、その一部を引用させてもらう。

第1785回 「潮耳荘」(平成28年10月13日)
 小豆島の三都半島の神浦(こうのうら)地区の海岸に、「潮耳荘(しおみみそう)」と名づけられた作品ができました。制作したのは、広島市立大学芸術学部教授の伊東敏光さん、同大学卒業生で小豆島在住の康(吉田)夏奈さん、同大学有志の皆さん、そして地元の皆さんです。 
 三都半島は、牛のかたちをした小豆島の前足にあたる部分です。神浦地区は、その突端の入り江にあります。丸みを帯びた山に囲まれ、ないだ海をながめていると、名前のとおり、神様がここに降りてこられたことがあるに違いないと感じます。
 入り江の権現崎と呼ばれる陸続きの小さな島に皇子神社があります。その社叢は全山ウバメガシで覆われ、その間にイブキ・ネズミモチ・ネズ・クロマツ・ヤマモモなどが混じり、なかでもイブキの国内の稀有な自生地として国の天然記念物に指定されています。今も地元の皆さんが保存に努めてくれています。
 もうひとつ、権現崎では、約1300万年前、地球のマグマがそのまま地表に噴出したマントル直結型の安山岩を見ることができます。神戸大学の巽好幸教授が発見しました。地球の生成を知ることができる貴重なもので、「神浦は世界のマントル研究者の聖地」と巽教授はおっしゃっています。 
 「潮耳荘」は、その神秘的とも言える権現崎の砂洲に建っています。「潮耳荘」は、小豆島の廃屋の木を組み立てて、造った人工の山です。高さは8メートルほどあります。山肌から波打ち際に向かって、じょうごの先のような造形物が1本突き出ています。木の山の中に入ると、じょうご型の造形物が集めた波の音を耳を澄ませて聞くことができます。
 「潮耳荘」の先の、皆さんがきれいに整えられた灌木をくぐっていくと、海岸にたどりつきます。目の前に瀬戸の海が広がります。そこから、ちょっと向こうの先にマントル直結安山岩も見えます。そこは、もう本当に、神浦(こうのうら)そのものです。 (以下 略)

 元の文はもっと長く続き、写真も添えられているが、塩田前町長はこんな調子で毎日のように「町長の「八日目の蝉」記」を公開し続けていたようだ。これはなかなか大変なものだが、角田光代さんの作品にちなんで、小豆島の「海と、空と、雲と、光と、木と、花と、きれいなものぜんぶ入った、広くて、大きな景色」を、「町長の日々の仕事を通して訪ねてみようと思います」と綴っていた。(現在の小豆島町のサイトからは、「小豆島町の概要データ」の「歴代小豆島町長」から「町長の「八日目の蝉」記」を辿ることができる。)
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 こういうことをまったく知らないまま、権現崎を神浦から眺めて帰ってきただけのでんでんむしだが、知っていれば、その「潮耳荘」にも行ってみたかもしれない。
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 ただ、折り返しの赤い町営バスは、あまり間をおかずに帰って行くので、それに乗って帰るためには、権現崎や皇子神社や安山岩や天然記念物の自生地のほうまで行って帰るのはむずかしい。でも、そこまで行けば崩鼻もなんとか見ることができたはずなんだけど。
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 バス停の標識をみても、ここの路線はオリーブバスではなく町営バスとなっている。小型の赤いバスは、再び三都半島の東海岸と西海岸を経由して、池田港ターミナルまで戻る。
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▼国土地理院 「地理院地図」
34度25分55.56秒 134度13分59.06秒
スクリーンショット 2019-01-28 16.46.38.jpg
dendenmushi.gif四国地方(2018/10/11 訪問)

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