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番外:仏ヶ浦=下北郡佐井村大字長後(青森県)呆れ果て驚き果てて仏ウタ念仏申すほかなかりけり… [番外]

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 仏ヶ浦へ行く方法は、車で行くのと船で行くのとふたつがある。
 車なら北の佐井からでも南の脇野沢からでも、まず国道338号線で山に登って150メートルくらいの高いルートを仏ヶ浦の上から駐車場へ降りる。そこに車を停めて、あとは110メートルの山坂を延々と下って、仏ヶ浦の磯に降りることができる。帰りはまた、そこを上ってくることになる。山道の急斜面の登り降りくらいなんでもないよ、という人と、罰当たりな展望台から仏ヶ浦を見下ろしたいという人限定のコースになる。
 船で行くらくちんコースを選びたい場合は、これも北からでも南からでも、とりあえずは牛滝港まで行き、そこで小型の遊覧船に乗り換えることになる(ほかに佐井や脇野沢から出る遊覧船もあるのかもしれない)。遊覧船には二種類あってひとつはグラスボートを標榜しているが、これは期待しないほうがよい。その遊覧船で仏ヶ浦の船着場に上陸し、周辺を散策することができる。現地には、地蔵堂と管理事務所とトイレくらいしかない。
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 二種類の遊覧船は、それぞれ時間やポーラスターとの接続方法などが異なるようなので、事前によく調べて予め予約などの確認が必要だろう。
 でんでんむしは前にその遊覧船で行っているので、今回は仏ヶ浦の沖を通るポーラスターから眺めるのみ。実は、遊覧船で行って帰りは脇野沢で大湊方面に行くバスに接続できないかも検討してみたのだが、数少ないバスが出てしまった2分後に脇野沢に帰ってくるようになっていた。2分くらいどうにかして、バスに接続できないのかとむつ市に問い合わせてみたが、それはまったく考えていなかったらしい。つまり、遊覧船は、ポーラスター接続しか考えていない。
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 往路のポーラスターが牛滝港に入ると、小さな港なのにやたら長い堤防(これは地理院地図にはまだ表示されていない)と、何の工事だかよくわからないがこれまた長い構築物を港につくっていた。そこで同乗者はみんな降りて遊覧船に乗り換えて行ったので、船室はそして誰もいなくなった状態。
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 船が牛滝港を出て北の仏ヶ浦へ向かうとき、大細間沢という谷を通過する。遊覧船より大きいポーラスターは、仏ヶ浦を通るときは、極力海岸近くを徐行する。船からの写真ではどうしても平板になるのと、大きさのイメージがつかない。前項でもふれた前の031 福浦崎の項も合わせて見ていただきたいが、地蔵堂の建物と岩の間に浮かんでいる遊覧船を見ると、その岩の大きさがわかる。人間は豆粒のようにしか見えない。
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 地蔵堂の前から、背後の山の上の国道につながる駐車場と登り降りする道がある。岩にはそれぞれ仏などの名前が付けられているが、それはまあどうでもいいというか…。どうでもいいが、当初ここを見た人が仏の世界と連想を広げ、昔はここが「佛宇陀」と呼ばれたのは、なるほどと思わせる。「宇陀(うた・うだ)はアイヌ語で「浜」という意味なのだが、それに佛をくっつけ、その読みが転訛して仏ヶ浦になったものだろうか。
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 ポーラスターの船内放送でも、ガイドのアナウンスが流れる。往復同じものを聞かされたが、そこでもやたら引用されていたのが、大町桂月だった。地理院地図で地蔵堂の下の岩磯に石碑の記号があるが、これも大町桂月の歌碑なのだ。
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 ここだけでなく、とくに東北ではどこへ行っても大町桂月の名がでてくることは多い。誰も行かないようなところへでも、積極的に出かけているからだろう。そうした各地の歌碑などの紹介には「文豪」としているものが多く、ここでも遊覧船のページでは「文豪」となっていた。
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 へそまがりでんでんむしは、前からこれに苦言を呈していてどこかで書いてきた。代表作の名前ひとつ誰も知らない「文豪」はあり得んだろう。美文調の紀行文は当時広く読まれたらしいが、確かに仏ヶ浦に関して言えば、この地を世間に広く紹介したのは彼の功績といえるのだろう。桂月がここを訪れたのは、1922(大正11)年のことで、亡くなる3年前だった。
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 仏ヶ浦の景観をつくっている緑色凝灰岩(グリーンタフ)は、海底に堆積した後に隆起し、それが長い間の風雨波浪の影響によって侵食され、現在見るようなさまざまな形をした巨岩が残った、と考えられている。
 前項で緑色凝灰岩の形成背景については触れていたが、このグリーンタフの仲間のひとつである石は、われわれのごく身近にあって(とくに関東では)、誰もが見たり触ったりしているはずだ。それは大谷石という名で、石垣などに広く使われているからだ。復路のポーラスターは、一路南へ向かい脇野沢港を目指していく。
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▼国土地理院 「地理院地図」
41度18分39.31秒 140度48分14.71秒
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dendenmushi.gif東北地方(2017/09/05 訪問)
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