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1468 帆越岬=せたな町大成区富磯(北海道)陸からは見えない岬に最接近するために苦労してついにここまでやってきた [岬めぐり]

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 富磯のバス路線の終点は「第二富磯」。第一「第一」がどこかにあるのかどうかわからないし、この終点がどこなのか、探してもわからなかった。いちおうバス停を表示しているはずのMapionも、ここではまるで無印。
 なにしろここまでバスでやってくるだけでも大変なのだが、秘境というにはそぐわない、開けた明るい海岸沿いに集落がいくつか連なっている。
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 どうやら「第二」というのは、その集落のいちばん奥まった、北のはずれのことであるらしい。
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 バスを降りたところの海岸には、岩の間になにやら船寄せの構築物のようなものがある。地理院地図を見ると、確かに堤防のできそこないのようなそれが描かれている。「第二富磯」の正確な位置が、やっと判明した。
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 そこは、帆越岬をくぐる帆越トンネルの南の出入口まで、およそ1.5キロのところで、道道740号線が北へ向かう道の先には、黒々とした大きな山塊がある。この三角に飛び出た最高点が321メートルの帆越山で、この下を全長1,857メートルの帆越山トンネルが通り抜けている。
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 富磯から見ると、2キロに渡る南北に縦長の山塊の南のはじっこを見ているだけなので、そんなに巨大には見えない。
 帆越岬の岬名表記は、地理院地図では帆越山ピークの西南西に、ちょこんと突き出た岩場についているが、そこは見えている南の山の端と海岸の崖に遮られる。それはどの海岸からみても同じことで、要するに帆越岬も厳密にここがそうだというには船でもチャーターする以外に、そこを眺める方法はない。
 船? そうだ。乗ったよね。いちおうは眺めたよね。
 
 1443 尾花岬・帆越岬=久遠郡せたな町大成区太田・富磯(北海道)難所の見えない岬だからムリしてでも…
 
 チャーター船ではないけれど、奥尻航路の船から眺めたその遠望写真でも、切り立った崖の凄さはよくわかった。この山を帆越トンネルで越えられるようになったのは、2004(平成16)年のことだから13年前。そう昔ではない。
 では、それまではやはり富磯で行き止まりで越えられなかったのかというと、トンネル以前は海岸線の崖と岩の間に僅かな隙間をつくり、そこを覆道にして山を迂回していく海岸沿いの道があった。
 帆越山の北側には、太田という集落がある。太田集落と他の世界をつなぐルートはその覆道の道しかなかったが、落石や高波の影響を受けて、しばしば不通になって孤立したという。
 本当は、その太田まで行ってみたかった。前項でふれた函館バスの久遠線のダイヤには、大成学校前発06:06=太田着06:21の便があると表記してあった。帰りは太田発06:22=大成学校前着06:37である。これだけ。行ったとしてもすぐ折り返す以外に帰りの便は、ない。どうするんだろうね。出かけた人も必ず一泊して翌朝の便で帰ってくる、ということなのか。このバスの情報も、せたな町の提供情報には入っていない。
 帆越山を越えて太田までバスで行くには、前日に久遠に一泊し、翌日は太田に一泊という計画が必要になる。とまあ、行ってみることはできないので言ってみる書いてみるだけで実行はしない秘境。
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 富磯から北に見える出っ張りをよくよく見ると、トンネル開通以前に使っていた海岸沿いの旧道に、確かに覆道の名残りらしいものがある。
 どこにでも行く釣り人や、廃墟・廃道・廃線好きなマニアなら、当然この道にも入り込んでみたくなるのだろう。
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 さて、あんまり深入りしたくはない岬の名前だが、元の音がアイヌ語から来ているとしても漢字を当てた段階で、もうそこには当時の和人の考えた意味が付加される。
 でんでんむしは勝手に、陸のルートは行けない越せないので、船に帆をかけて越すということからこんな字を当てたのではないかと思っていた。
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 ネット情報によると、「北海道人」と称した北海道の名付け親で探検家・松浦武四郎の残した「西蝦夷日誌」には、「ホグシは帆卸の轉か。此岬を過る時は必ず帆を少し下げ太田山を拜し行が故號ると。」とあるという。
 岬の神社を敬って、帆を下げて通るというのは、瀬戸内海でもある話で、それがこちらに流用されたという感じが強い。いささか根拠の信頼性は?である。
 それは違うのだ、アイヌ語の「ポロ ポㇰ ウシ」大崖の下という意味だというのがアイヌ語源の解説で、たとえそれが正しいとしても、しかも大きな崖の下であることにも異論はないとしても、心情的にはやはりピンとくるところは違うような気がする。

<追記>いつも、ご自身のブログ「落合道人」に、nice!返礼コメントを書いていただくChinchikoPapa さんから、この項について以下のような貴重なご意見をもらったので、参考までにこちらに記録しておきたい。

松前藩によるアイヌ語地名への漢字の当てはめ方は、「音」でひろって後から現地を知らぬ役人が机上で漢字を当てはめたもの(幕府への書上げ=報告書など)が多く、現地の地形や風情を認識したうえで、つまり意味を考えて漢字に置き換えたもののほうが少ないと思います。松浦武四郎のように、現場を逐一踏査してから採取し、しかも意味まで考えているケースは、むしろ例外ではないでしょうか。だからこそ、のちに地名の用字(当て字)について、アイヌ民族からさまざまな異議が出て、カタカナにもどされたところも少なくありません。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。dendenmushiさん by ChinchikoPapa (2017-08-05 14:11)

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▼国土地理院 「地理院地図」
42度15分33.66秒 139度46分36.02秒
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dendenmushi.gif北海道地方(2017/06/30 訪問)

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タグ:北海道
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