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1431 群来岬=奥尻郡奥尻町字米岡(北海道)海岸段丘の上は空港の滑走路でその西北端は岬より岩島のほうで馴染まれている [岬めぐり]

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 「群来(くき)」は、春にニシンが産卵のために大群となって沿岸に押し寄せることを言う。まさに群れが来るわけだ。その昔、といっても明治・大正の頃には、そういう風景が、ここでも見られたのだろう。
 西海岸で青苗の集落にも近く、少し高くなっていた岬が見張り所になったのかもしれないし、あるいはこの海岸にニシンがやってきたのかもしれない。いずれにしても、そういう時代の名残りが、この岬の名に残されていることだけは確かなのだろう。
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 江戸時代に江差付近で始まったとされるニシン漁は、明治時代になってニシン漁の制限が解かれると漁場は開放され、積丹半島から留萌海岸など、北海道の西海岸に各地に広がっていく。だが、それが最盛期だったのは1900年頃で北の地域にいっときの繁栄をもたらす。だが、1950年代以降はその漁獲量は激減してしまう。
 今や幻の魚と言われるほどになり、たまに食べるニシンそばは、どうしてニシンは来なくなったのだろうという疑問とともに味わうことになっているが、その原因はいろいろ言われてはいるが、実のところはよくわかっていない。
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 バスが南に向いて走る藻内も、集落が津波でほぼ全域で流された。群来岬は、その北側にあたる藻内付近の海岸からも遠望できる。岬の先には、岩島が群れていて、群来岩という名がついている。地元の人の間では、“群来”といえば岬のことではなく、この岩島群を指すようだ。稲穂岬の食堂のおはさんと話していてそう確信した。
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 今ではニシンの見張りをする必要もないので、岬には用はないし役にも立たないが、岩が散らばる岩礁地帯は、ウニやコンブなどの貴重な漁場に違いないからだろう。
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 名前がついている岬の先端は、南に向いているので、ここはやはり南から見るのがよいだろう。この岬は、奥尻空港の滑走路の西端にある。標高50メートルくらいの海岸段丘の上に広がる空港の東を走る道道39号線は、フライトの関係なのか、空港ビルまでに入って行く場合と、道路の空港前だけの場合とがあるようだ。
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 滑走路の東の端、海岸が折れ曲がって南に向かうところに、地理院地図では“貝取澗”という表記がある。これは先にも“澗”にからんでリンクしたように、奥尻島対岸のせたな町大成区にもまったく同じ地名があった。
 これも当然ながらアイヌ語源だと思われるが、だからといって意味が明確になるとは限らない。
 “カイェウトゥル”(kaye-uturu)は、“折岩の間”というのだが、それを想像し理解するのはむずかしい。せたなの貝取澗は、海岸線が波打つように折れ曲がってはいたが、ここの貝取澗は50度に海岸が折れているだけ。なんとはない印象だけだが、岩礁との関連があるのではないかと思う。
 ここから島の南端部へ海岸線は折れ、字地名も米岡から青苗に変わる。先っちょをちょん切られたトカゲのしっぽのような、青苗岬の細長い出っ張りもここから始まっている。
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 貝取澗の南には、整然と区画された緑ヶ丘という住宅団地がある。震災前からあるのか、それとも震災後にできたものだろうか。どうも後者ではないかと思われたが、調べてみると違っていた。この団地の整備計画は、1968(昭和43)年から始まっていたものだった。震災後の高台移転は、この緑ヶ丘の周辺で行なわれたようだ。
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 緑ヶ丘のずっと南、震災被災者の慰霊碑「時空翔」というモニュメントに登ってみると、ここからは3キロ先の群来岬が順光できれいに見える。
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 この灯台から南の青苗岬地区は、全戸が津波で流出している。
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▼国土地理院 「地理院地図」
42度4分17.75秒 139度25分19.03秒
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dendenmushi.gif北海道地方(2016/09/04 訪問)

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タグ:北海道
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