番外:帽子のこと織田のこと=丹生郡越前町織田(福井県)コレに比べれば帽子のチョンボなどはかわいい…ついでに武生も鯖江も [番外]
“鎌倉帽子屋”のタグは、木ノ本駅に電話したとき、こちらが失くした本人であることの確認にも役立ったようだ。そのメッシュの黒いキャップは、さほど高価なものではないはずだが、わざわざ探して買ってきてもらったものなので、そう簡単に「失くしちゃったのよ」で済ますわけにもいかなかった。これまでも、岬めぐりの道中で紛失したものは、手袋やマフラーやウインドヤッケや帽子(これとは別にほかの)やハンカチやタオルや…いろいろある。
老化現象というよりも、旅先の移動中の行動で、ともすると注意力が散漫になる瞬間があるらしい。そのことは自覚も意識もしているのだが、どうもいけない。今回にしても、木ノ本駅のベンチに座っていて、帽子を脱いで汗を拭ったことまでは覚えているのだが、電車に乗って座席に座ってしばらくしてから帽子がないことに気がついた。
昔の映画に出てくるような、男がみんなかっこよく帽子をかぶっていた時代とは違って、今は帽子はかぶらないほうが普通である。けれども、頭の天辺が涼しくなってくると、冬は寒さよけに夏は日よけにどうしても帽子は欠かせなくなる。
年寄りの帽子は、なかなかむずかしい。ベレー帽やハンチングはまったく似合わない。毛沢東や林彪がかぶっていたスタイルをアレンジしたのもこの頃ときどき見かけるが、あれもだめ。仕事がらみで外に出るときにはつばのある帽子をかぶることにして、それ以外はもっぱらキャップ(野球帽)ですませてきた。
しかし、でんでんむしとしては、なかなか気に入ったというか、かぶる気になれるのがない。だいたい、あんなどこの会社だか商品だか知らないが、わけもわからん縁もゆかりもないアルファベットのロゴやマークなんぞを、でかでかつけて歩く気にはならない。もっとも、プロゴルファーのようにそれで大金が入ってくるとか、小金でよければ払うとでも言うなら話は別なので、相談に応じる用意はあるが…。
それと、中国製はできるだけ敬遠。日本製でロゴなどが入っていないもの。となると、でんでんむしが買ってもいいキャップは、実際そこいらの百貨店でも大型店でもまずないのだ。
世の中一般にも、おじさんの帽子といえばキャップというのは多いようで、みんななんの抵抗もないらしい。ロゴマークつきのキャップは、おじさんスタイルでは定番なのである。また、おばさんの帽子も、この頃ずいぶん増えているようだ。これも、少し前までは主流とは言えなかったはずだが…。
それで、前々から非常に気になっていることがある。テレビでたまに公開録画などの映像で客席が映ることがあるが、このときに帽子をかぶったままで座っている中高年のおじさんおばさんが、やたら多いのだ。
だいたい常識としては、帽子は戸外でかぶるもので、室内ではぬぐものである。少なくとも、でんでんむしの常識ではそうだ。近頃の狭小住宅に慣れている人にはわからないだろうが、かつての家や部屋では、入ったとこに“帽子掛け”というものがあったくらいだ。(西洋のエチケットでは、婦人の帽子はこの例外が認められているものがある、というようなこともうろ覚えだが。)
たまたま、数日前の新聞の投書欄に、でんでんむしと同じ常識を持ち合わせている人からの投書が載っていた。趣旨はまったく同じ。投書者は、なぜ主催者は館内放送で事前に帽子は脱ぐように言わないだろうのか、と指摘していたが、同感である。
ひと昔かふた昔の映像でちょっと見たところでは、館内座席で帽子をかぶっている人はほとんどいなかったはずだ。どうして、こういう常識はずれのバカな中高年おじさんやおばさんが増殖してしまったのかねえ。ほんとに嘆かわしいことだ。(2016/11補足:中高年に人気のさるBSの歌番組の公開コンサートの放映があった。それをみると、これまでとは客席の様子が一変して、帽子をかぶっている人がひとりもいない。これまではたくさんいたのだ。やはり、あの投書のおかげで、やっと気がついた主催者側が、ちゃんと注意をしたものと思える。)
最初にお断りしたように、実際の行動順とは異なり、ブログの掲載順は琵琶湖から北陸線で北上し、越前海岸を南下しつつ岬を拾っていく。
実際の行動では行程の終わりの2日になるが、武生まで行ってそこからかれい崎まで往復し、武生から鯖江に向かった。
岩崎ちひろが生まれた街という武生は、蔵の並んだ一角を保存していて、ほー昔の武生の街はこんなだったんだ、と感激する。いっぽう、市役所の近所ではこんなものも…。確かに、こういう時代もあったよね。
いわさきちひろとその絵を知ったのは、1960年の「わたしは赤ちゃん」(松田道雄・岩波新書)を読んだときだった。その少し前から、彼女は福音館の「こどものとも」で作品を発表していたが、その頃はまだその読者ではなかったのだ。
JRの武生駅と福井鉄道の越前武生駅は、微妙な距離を残して離れていて、その間にまるまる平和堂というスーパーとその駐車場を長細く挟んでいる。
福井鉄道に乗って鯖江まで行き、そこで西鯖江の駅のそばのホテルに一泊したのは、最終日早朝に福井鉄道で神明駅まで行き、そこからバスで織田に行く必要があったからで、できるだけ神明まで近寄っておきたかった。
福井鉄道に乗って鯖江まで行き、そこで西鯖江の駅のそばのホテルに一泊したのは、最終日早朝に福井鉄道で神明駅まで行き、そこからバスで織田に行く必要があったからで、できるだけ神明まで近寄っておきたかった。
やってきた鯖江は、メガネの街という触れ込みが有名で、そのことだけは知っていた。なるほど、大きなメガネの会社も見かけたし、中心街のアーケードにもそれをデザインしている。また、つつじもシンボルになっているようだ。
この鯖江の通り、車が片側だけに駐車している。日を決めて、駐車できる側をどちらか一方に決めているからだ。なるほどね。
政治にもバランスが必要だが、かねてから右翼の御用メディアの常連で、日本会議にも関わり彼ら右派の代弁をし、靖国参拝を盛り上げ率先してリードしてきたメガネのおばさんは、どうやらこのへんが地盤らしい。波長が合うらしいアベ内閣改造で右大臣になったが、メガネを常用しているのは地元産業のPRを兼ねたダテメガネなのだと、新聞の新大臣紹介にはあった。
政治にもバランスが必要だが、かねてから右翼の御用メディアの常連で、日本会議にも関わり彼ら右派の代弁をし、靖国参拝を盛り上げ率先してリードしてきたメガネのおばさんは、どうやらこのへんが地盤らしい。波長が合うらしいアベ内閣改造で右大臣になったが、メガネを常用しているのは地元産業のPRを兼ねたダテメガネなのだと、新聞の新大臣紹介にはあった。
大きなお寺も多く、その前の駐車場に停めてあった車にはびっくり! こんなんがあったんだ。クルマには縁がないから知らなかったよ。(でも、この岬めぐりから帰って数日して、近くの町で色も同じこのメガネクルマを見かけた。)
武生も鯖江も、だいぶ内陸の盆地(福井平野)に開けた町である。北陸本線の武生駅からかれい崎までは西南西に16キロ離れている。同様に、福井鉄道の神明駅から真西には、直線で21キロの距離があるのだ。
そして、この南北二本の線の間にあるのが、福井県丹生郡越前町で、その中心は標高100メートルほどにある小さな盆地、そこが織田(おた)なのだ。
ここらも、バスの便は非常に悪い。神明から織田の便も少ないので、早起きして電車に乗るが、織田までやってきても、そこで2時間も待たされる。
が、ほかに交通機関はないので、とにかくバス。
国道365号線にある織田バスターミナルと織田病院を結んで、結構複雑に路線が入り交じっているらしいが、ほかは無視して、とにかく平日しか運行しなくて本数も少ない越前地区巡回ルートの左右(そう)行きのコミュニティバスを待つ間、町の中心にある劔神社へ。神社への通りには“駅前通り”とあったが、ということは、ここにも昔は鉄道があった?
やっぱりね。大正12年開業の鯖浦線(せいほうせん・さばうらせん)が、鯖江から織田を結んで、1973(昭和48)年の全線廃止まで走っていたのだ。このバスターミナルもその名残りというわけだ。そして、ターミナル前の大道りは“信長通り”。
ほかにすることもないのでゆっくり参拝もし、いつもは無視するおみくじまで引いてしまった。100円を入れて丸い穴に手を入れて勝手に取れというタイプだが、ここのおみくじには少々がっかり。吉か凶かの内容(それもなかったが)にではなく、おみくじそのものがどこかで印刷して全国の神社に売り込んでいるかのようなもので、劔神社ならでは感や、そこはかとないありがたみがどこにもない。
武生も鯖江も、だいぶ内陸の盆地(福井平野)に開けた町である。北陸本線の武生駅からかれい崎までは西南西に16キロ離れている。同様に、福井鉄道の神明駅から真西には、直線で21キロの距離があるのだ。
そして、この南北二本の線の間にあるのが、福井県丹生郡越前町で、その中心は標高100メートルほどにある小さな盆地、そこが織田(おた)なのだ。
ここらも、バスの便は非常に悪い。神明から織田の便も少ないので、早起きして電車に乗るが、織田までやってきても、そこで2時間も待たされる。
が、ほかに交通機関はないので、とにかくバス。
国道365号線にある織田バスターミナルと織田病院を結んで、結構複雑に路線が入り交じっているらしいが、ほかは無視して、とにかく平日しか運行しなくて本数も少ない越前地区巡回ルートの左右(そう)行きのコミュニティバスを待つ間、町の中心にある劔神社へ。神社への通りには“駅前通り”とあったが、ということは、ここにも昔は鉄道があった?
やっぱりね。大正12年開業の鯖浦線(せいほうせん・さばうらせん)が、鯖江から織田を結んで、1973(昭和48)年の全線廃止まで走っていたのだ。このバスターミナルもその名残りというわけだ。そして、ターミナル前の大道りは“信長通り”。
ほかにすることもないのでゆっくり参拝もし、いつもは無視するおみくじまで引いてしまった。100円を入れて丸い穴に手を入れて勝手に取れというタイプだが、ここのおみくじには少々がっかり。吉か凶かの内容(それもなかったが)にではなく、おみくじそのものがどこかで印刷して全国の神社に売り込んでいるかのようなもので、劔神社ならでは感や、そこはかとないありがたみがどこにもない。
実は織田家の発祥の地がこの織田で、 劔神社も神官などをしていたその勢力によって守られてきたらしい。バスターミナルの角には、信長の銅像も立っていたが、ご本人はあまりこことも直接縁はなかったはずだろう。
ところで、おみくじやお賽銭の一部は、やっぱり日本会議の活動費に回るんでしょうかね。
越前岬へ行く越前地区巡回ルートのバスに乗りそこねた件は、どうしたかって? よく覚えていましたねぇ。
そうそう、そのバスはね、越前岬の北の左右(そう)行きのコミュニティバスのことなんだけど、なんかばかばかしくて恥ずかしくて、詳しく書く気にもなれない。
だが、コミュニティバスもいろいろあって、いろいろなところで乗っているが、ちょっとしたサービスや気遣いや、乗る人のためを思うという点で、ここ越前町のコミュニティバスはフレンドリーどころかまるでなっていない、最低だということだけは書いておこう。
行き先表示も「織田病院行き」になっているから、旅行者はまさかそのバスだとは思わない。しかも「織田病院行き」が何台もほぼ同時にターミナルに並ぶ。運転手はそこに立っている客に一声かけるでもなく、降りてタバコを吸いながら携帯でなにやらトラックを借りる相談をすると、空車のまま行ってしまった。その後には、もういくら待っても左右行きはやってこなかった…。
2時間待ったあげくが、コレだよ! シンジラレナイ (`ヘ´))?
これは、でんでんむしの岬めぐり史上、最低最悪の大チョンボ!として記録と記憶に残るだろう。
▼国土地理院 「地理院地図」
35度29分57.56秒 136度10分32.09秒
北越地方(2016/07/19〜20 訪問)
越前岬へ行く越前地区巡回ルートのバスに乗りそこねた件は、どうしたかって? よく覚えていましたねぇ。
そうそう、そのバスはね、越前岬の北の左右(そう)行きのコミュニティバスのことなんだけど、なんかばかばかしくて恥ずかしくて、詳しく書く気にもなれない。
だが、コミュニティバスもいろいろあって、いろいろなところで乗っているが、ちょっとしたサービスや気遣いや、乗る人のためを思うという点で、ここ越前町のコミュニティバスはフレンドリーどころかまるでなっていない、最低だということだけは書いておこう。
行き先表示も「織田病院行き」になっているから、旅行者はまさかそのバスだとは思わない。しかも「織田病院行き」が何台もほぼ同時にターミナルに並ぶ。運転手はそこに立っている客に一声かけるでもなく、降りてタバコを吸いながら携帯でなにやらトラックを借りる相談をすると、空車のまま行ってしまった。その後には、もういくら待っても左右行きはやってこなかった…。
2時間待ったあげくが、コレだよ! シンジラレナイ (`ヘ´))?
これは、でんでんむしの岬めぐり史上、最低最悪の大チョンボ!として記録と記憶に残るだろう。
▼国土地理院 「地理院地図」
35度29分57.56秒 136度10分32.09秒
北越地方(2016/07/19〜20 訪問)
タグ:福井県
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