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1398 藤ヶ崎=長浜市木之本町飯浦(滋賀県)“僕のあの帽子どうしたでしょうね”実は木ノ本駅ホームのベンチに置き忘れて… [岬めぐり]

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 藤ヶ崎は琵琶湖最北端の入江をつくる木ノ本のちょこんと南に飛び出た岬で、300メートルのピークをもつ小山の南端である。そのピークから東に尾根を辿ると、標高421メートルの賤ヶ岳(しずがたけ)で、その北側が余呉湖になる。
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 地図からは、一部を除きほとんどが消滅している刀ぶっ違いの古戦場マークは、ここでももうない。だが、賤ヶ岳は歴史にも名高い古戦場で、1583(天正11)年に羽柴秀吉と柴田勝家の両軍が衝突し、勝者秀吉がポスト織田体制の継承と豊臣政権に向けて大きく踏み出したポイントになるものだった。このときに“七本槍”などといわれて戦功をあげた若者たちが、その後の豊臣体制を支える有力者になっていく。
 賤ヶ岳のすぐ西麓の集落は飯浦(はんのうら)といい、ここから藤ヶ崎は見えるはずである。
 そして、飯浦へは近江塩津駅から湖国バスに乗って行けば、この岬をぐるっと回ってくれる…はずであった。ところが、誤算シリーズの誤算は海津大崎が見えないところからもう始まっていて、いよいよ佳境に入りかけている。
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 近江塩津駅は狹い谷間の狹い小さな駅で、ホームも狹い。湖西線と北陸本線は水のしたたる洞窟のような通路を通って、別ホームに移動しなければならない。駅を出たところが塩津街道、国道8号線で、しばらく待ってバスがやってきたのはいいが、木ノ本駅まで行くはずのバスが途中の道の駅までしか行かないという。
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 ネットで流布している時刻表は古いもので、どうもすでに変わっていたらしい。おかげで、「道の駅あぢかまの里」で、菅浦から来る別路線のバスを長いこと待たなければならなかった。海津大崎の項で書いていたのはこのことで、こんなことだとわかっていれば、マキノか中庄で降りてちゃんと大崎の見えるところまで歩いていけたはずなのだ。
 “あぢかま”というのはなんだろうと思っていたら、これは琵琶湖の水辺で冬を越すカモのことで、塩津地域を示す枕言葉なのだという。
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 もう店じまいを始めている道の駅では、鮒寿司も食べられなかったが、ツバメが軒の巣に出入りするのを眺めながら、時間つぶしをしていると、誰もやってこないだろうという裏手の奥のほうにこんなものがあった。
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 北陸と京大坂を結ぶ琵琶湖の、湖上交通運搬の主役として活躍した丸子船である。二つ割りの丸太を舷側に取り付けた、全長17メートル・幅2.85メートルの木造船は、米俵220俵を積み込むことができた。
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 江戸亨保年間の記録では、西浅井ではこの丸木舟が89隻登録所有されていて、その数はいちばん多くあったと、その説明看板にあった。やはり、琵琶湖最北の、藤ヶ崎の入江は、北陸路への出入口として、琵琶湖交通の要衝であったということがよくわかる。水上の航路も道も、最短ルートをまず目指すのが当然で、自然にそういう道ができていくのであろう。
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 やっときたバスは、入江に出る手前で左折するとトンネルに入っていく。
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 あれれ、湖岸の道は通らないのか? 人家もない湖岸は通りません。考えてみれば、バイパスのトンネルを通るのは当然であった。そのトンネルの名も藤ヶ崎トンネルで、これを抜けたところが飯浦で、そこで藤ヶ崎は右手に見えてくる。
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 夕暮れの湖岸を走るバスの車窓からの写真は、もちろん気のせいというか思い込みだろうが、いかにも湖北の寂しさを表わしている。
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 塩津街道は賤ヶ岳の下もトンネルで抜けると、木ノ本駅まで一直線。この途中にある木ノ本黒田という地域が、黒田官兵衛の黒田氏の本貫・近江国伊香郡である。
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 計画よりはだいぶ遅くなって、木ノ本からは北陸本線に乗って、敦賀まで行くのがこの日の最終行程。
 ところが、このとき、ホームに帽子を忘れてきた。電車に乗って、あれっ? ない。帽子どこへいったんだろう? またやってしまったか…。
 この始末は、結局いろいろな経緯を経て、翌日また木ノ本駅までとりに戻ることになる。これも、まことに微妙な紙一重の綱渡りで、危うく紛失してしまうところを戻ってきたのだが…。
 この帽子にちょっとこだわりというか経緯があったので、このままなくしてしまうのはちょっと具合が悪い。三方の駅の人に頼んで木ノ本駅に問い合わせてもらった。だが、いったんは“ない”という返事が返ってきた。やっぱりないか。
 それが三方の駅でなかなかこない電車を待っている長い間に、再び木ノ本駅から連絡が入った…。どうも、届け物忘れ物には記録はないと返事したあとで、木ノ本駅ではホームまで探しに行ってくれたらしい。そして、一晩ホームのベンチに置き去りになっていた帽子を発見したので、三方駅に連絡してくれた…。
 そんなところだったのだろう。が、三方駅で長いこと電車を待っている時間がなかったら、せっかくの連絡も届かなかったし、人が大勢行き来する大きな駅で問い合わせたのでは、駅員さんが待合室まで木ノ本駅の電話番号を書いたメモを届けてくれることもできなかっただろう。
 そもそもは、「またなくしたか」ともう半分諦めかけていて、敦賀の駅では問い合わせることにも思いつかず、やってきた三方の駅では時間がありあまっていたから、思い直して駅の人に聞いてみたのだ…。
 偶然というか、たまたまというか、いいほうにいいほうに綱渡りが続いて、“鎌倉帽子屋”のメッシュのキャップは、でんでんむしのアタマに戻ってきたのでありました。どんな帽子? 別にたいしたものじゃありません。それはね、もうすでにこのブログで写真に写ってました。いや、そんな昔じゃなく最近の島で…。

▼国土地理院 「地理院地図」
35度29分57.56秒 136度10分32.09秒
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dendenmushi.gif近畿地方(2016/07/16 訪問)

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タグ:歴史 滋賀県
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