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1344 紅ノ峰鼻=高松市亀水町(香川県)讃岐では比較的水に恵まれた地域にはいくつか水に関わる伝承があって… [岬めぐり]

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 神在口からまたバスに乗って、弾正原、生島を経て亀水(たるみ)へ向かう。「垂水」ならわかるけど、「亀」ですよ。誰だってそうは読めないでしょ。バスの終点は弓弦羽(ゆずりは)集落の東の空き地で、北に亀水湾がありその東の山の北端が紅ノ峰鼻になる。
 弓弦羽バス停の北に覆いかぶさるように聳える山は、二つ三つの盛り上がりがあるが、屋島のような山上の崖露頭がある西の峰の向こうがその岬になり、その名は東峰の紅峰(245メートル)という山の名からつけられている。
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 紅ノ峰鼻を見るには、弓弦羽のテニスコートや終末処理場などがある公園の岸壁に出て亀水湾に面しても、その岬は全貌が明らかにならない。
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 県道16号線を湾に沿って北上して、赤鼻の上くらいまで行くと、ようやくその岬の北の頭が見えてくる。
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 この岬も周りは道もなく、崖が海に落ち込んでいる地形が東隣りの生島湾まで続いているので、どこから見てもさしたる景色の違いは見つけにくい。
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 亀水川が紅峰の南を流れて亀水湾に注ぎ、尾根に挟まれた谷戸の斜面にある弓弦羽の集落が、いわば高松市の西のはずれで、ここから先は人家もない道が岬の先端を北へ続く。山の尾根の上に高松市と坂出市の境界線が引かれている。その尾根は五色台スカイランなる道が通っている。五色台には休暇村もあるのだが、今回も縁がない。
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 さてさて、なんで「亀水=たるみ」なのかという問題に関しては、これといって確かな答はないようだ。だが、伝説では、昔干ばつのときに阿利真という人が滝の水を引いて孝徳天皇の御殿の飲料水を確保した功により、垂水公の姓を授けられ、その子孫が讃岐に移り住んでその地を垂水と呼ぶようになった。そして、亀水川の上流には大亀が棲むとの伝承と結びついて垂水(たるみ)が亀水(たるみ)と表記されるようになった、と下笠居地区コミュニティ協議会の情報にはある。
 それだけではなく、この地域には水に関わる伝承がほかにもいくつかある。その場所は確認できなかったが、生島には泉があるらしく、それが古くから備讃瀬戸の島々への水の供給源になっていたらしい。島を生かすという意味から生島の名になったという説もある。
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 また、これも場所が特定できないが、こんな話もある。昔青峰山の麓の村に旅に疲れた一人の僧がきて水を飲ませてくれと頼んだが、あまりに汚い坊主なので、水はないと断った。するとその僧は川の中に杖を突き立てて「この川は,空谷だの」と言った。たちまち流れていた水が川底へ浸みこんで音はするのに水が流れなくなってしまい、空谷川の水は生島の突抜泉に出るようになった…。
 その汚い坊さんが弘法大師だったというのだが、これもあんまりといえばあんまりな話で、仏法に帰依する僧の行為とも思えない。だいたい、川があるんならそこで水を飲めばいいしねえ。空谷川も突抜泉も地図にはないが、こういう伝承が意味するものは、やはり古来から水をめぐる争いが少なからずあったということだろう。
 降水量の少ない讃岐では溜池が多い。満濃池の例をもちだすまでもなく、とにかく至る所に溜池はあり、この付近でもその例には漏れないが、他に比べると比較的水には恵まれていたようだ。その理由は、五色台の山塊が水を貯め、湧水をつくり、深く切り込んだ亀水川が水を絶やさなかったからなのだろう。それがまた、水に関わる言い伝えを残すことになったのだろう。
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 紅峰の南、生島側にも香川県の総合運動公園があり、弓弦羽にも体育館やテニスコートがあるが、そこの公園にはバラ園がある。バラ園もいろいろ行ったが、バラを美しく見せるには根元をどのように見せるかが重要ではないかと思う。そこに配慮しているバラ園は少ない。
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▼国土地理院 「地理院地図」
34度22分49.77秒 133度56分57.03秒
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dendenmushi.gif四国地方(2015/10/31 訪問)

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