1338 太鼓鼻=高松市庵治町(香川県)花崗岩の庵治石で有名な庵治半島の東海岸北寄りで飛び出た岬 [岬めぐり]

海岸の赤っぽい砂をみて花崗岩を思ったのは、でんでんむしがこどものころからなじんできた砂と同じだったからだが、中国・四国の山地は一帯に花崗岩が主体である。

岩石は、その生成の種類形態によって、大きく3つに分類されている。マグマが冷えてできた火成岩と、海底に積み重なった地層が固まった堆積岩と、それらがマグマと接して熱や圧力が加わった変成岩の3種類。火成岩のうち、マグマがゆっくりと冷えたときにできるものは別に深成岩といい、その分類のなかに花崗岩がある。
もうひとつ岬めぐりでおなじみなのが石灰岩であるが、これは堆積岩の一種で主に生物の死骸が固まったもの。
で、とくにこの庵治半島で産出する花崗岩は、「庵治石(あじいし)」として有名なのだ。花崗岩は、石英と長石それに黒雲母と角閃石が含まれているが、正式名称を「黒雲母細粒花崗閃緑岩」という庵治石は、それらの成分が非常に微細できめ細かいのが特徴だという。
紀伊半島から香川県の庵治半島、小豆島、屋島、五色台を貫いて九州まで達する瀬戸内火山帯は、2000万年くらい前に形成された。飛行機からみると紀の川、吉野川、佐田半島、阿蘇へと中央構造線がはっきりと横に一線を描いている北側一帯の地質は、専門家は領家帯と呼ぶらしい。その基盤が花崗岩でできている。
前項でふれた標高375メートルの五剣山(八栗山)を中心とする庵治半島の牟礼町・庵治町がその良質な特徴を備えた庵治石の産地なのだ。

普通、採石場などがあると遠目にも山肌が削り取られている姿が顕わになるもので、瀬戸内海の島にもそういう島がいくつかある。しかし、この庵治半島では、それがあちこちで目立つということもなかった。
ところが、「ajistone.com」によれば、「一般の人が立ち入ることのできない神聖な”丁場”が50カ所」あるのだそうで、なるほどそうなのかと思った次第。”丁場”というのが採石場の呼び名らしい。
地理院地図を見ると、確かに五剣山周辺には山の中に複雑な線を描いた道がある。

五剣山から北北東に2.5キロのところにある竜王山(238メートル)の周辺にも複雑な道の線が激しくのたくっているので、最初はそこらも庵治石の砕石場ではないか、と勝手に見当をつけていた。その竜王山の東の篠尾の南で、ちょっととんがって飛び出ているのが太鼓鼻なのである。
けれどもその予測はハズレで、竜王山のほうにも石切り場がないことはなさそうだが、篠尾にかけての細かい道は、採石場ではなかった。
では、それはなんだったのか。どうやら、そこはかつて計画され今では放棄された大規模開拓(墾)地の跡らしいのだ。今では植樹などが行なわれているようだが、詳しいことはわからない。

鳶ヶ巣崎のところは高松市牟礼で、太鼓鼻があるところは高松市庵治。
2006年より前はどちらも香川県木田郡の牟礼町と庵治町だったのが、高松市に編入されている。手前に黒くはっきり見えている高島は庵治町だが、その向こうの薄くぼんやりしているのは小豆郡土生町と小豆島町。

当然、この牟礼町・庵治町には、石材業者や関係の会社や作業場などがたくさんある。石の彫刻の話題も何度か讃岐とその周辺の島などであったのを記憶しているが、世界的に有名な流政之も、この讃岐で活躍していたことは、なにかで読んだことがある。そのスタジオは、太鼓鼻の南南西850メートルのところにあるようだ。
そして、前項の木工家具作家ジョージ ナカシマの記念館が牟礼にあるのも、元はといえば流政之が彼をこの地の職人グループに招いたことからなのだという。

太鼓鼻の次の岬は、同じ庵治半島北端の竹居観音岬になる。そこへはまた別の日にルートを変えて西側から行くことなるので、ここはひとまず琴電の駅に引き返して瓦町へ戻る。

それにしてもお腹すいた。さっきから海岸までダシのいいにおいが流れてきていた。駅前うどんはちょうど昼の営業を終える直前だったが、なんとかすべりこんでセーフ。だが、肉ぶっかけは肉が切れてしまっていたので温玉ぶっかけで…。流石に、おいしゅうございました。店内も広くてテーブルもたくさん並んでいたので、駐車場もこの広さ。


▼国土地理院 「地理院地図」




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