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1278 鰐崎=珠洲市馬緤町(石川県)「古事記」の「和邇」はアノ「ワニ」以外のナニモノでもないからして… [岬めぐり]

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 鰐崎というのも、なかなかおもしろい名前である。昨日今日新しくついた名前でなければ、明らかにワニという動物を知っていて名付けたものだろうか。地理院地図で見ると、この岬から北東方向に二本の岩が突き出るように伸びており、あたかもワニの口のようにも見えるが、そうした上空から俯瞰する空撮技術も持たない時代からある名前だろうから、そういう形からのものではないのだろう。
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 車窓からの写真ではこの鰐崎のその岩場の写真を撮り損ねていた。どうやら、デジカメで撮ったつもりが、シャッターがちゃんと降りていなかったらしい。実際はこの岩の棒のように伸びた部分は、高度がないので、上から見た地形図ほどの存在感はないはずなのだが…。
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 では、どういうわけでこんな名前になったのか、それを語るものはないらしい。
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 だが、そこですぐ思い浮かぶのが、日本神話の「因幡の白兎」の話である。「古事記」を読まなくともたいていの人が知っている有名な説話では、大国主の命がプロポーズに行く兄たちの荷物運びをやらされながら、後からついていくところで丸裸にされたウサギが泣いているのに出会う…というアノ話である。
 ここではなぜウサギがそんな災難にあったのかに話を絞るが、島から海を渡るのに、ワニを数えるからとだましてその上をぴょんぴょん伝ってこようとしたところ、最後に数を数えてやるというウソがばれて、皮をはがされてしまう。いわば災難といっても身から出たさびなのだが、問題はその「ワニ」とはナニかである。
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 そのワニと鰐崎のワニが同じかどうかも、ウサギにだまされて仕返しに皮をはいだワニがナニモノかという問題と根っこが同一ではないだろうか。
 やはり、「古事記」の時代にこの国にワニがいたのかどうかが問題とされるのも当然で、昔からえらい学者先生方が、さまざまな主張をし、議論を繰り返してきたようだ。
 さすがにワニはおらんじゃろというので、学者の間からは“竜”だの“海蛇”だのとする説のほか、ワニを南方民族自身とするのや、いやこれは舟の喩えだとするのまであったらしい。そのなかに混じって“ワニザメ”とする勢力が優勢になっていたようだ。
 実際、でんでんむしがこれまでに眼にしてきた児童向けの絵本や本の挿絵では、この“サメ”説によっているものが多かった。なかには、ワニならわかるがサメでは背中はとんがっているし並べても渡りにくそうだと、絵描きが気を利かせてか、編集者が足りない知恵をムリに絞ったか、サメが交互に向きを変えて並んでいるのもあったくらいだ。
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 しかし、“ワニ”はサメではなく、あくまでワニであるとする説が現在では支持されているようだ。現地調査をして1947年に「兎と鰐説話の伝播」という論文を発表した西岡秀雄は、“ワニ”はワニそのものと素直に考えるべきと主張した。東南アジアに広くこれと類似の説話があり、それらの話を携えてきた南方民がおり、それらとともに南方にいるワニのイメージがわが国にも自然に定着していたとする考え方にもなるほど、と思わせる説得力がある。
 折口信夫なども「古事記」にいう「和邇」は、ワニザメやフカなどを指したものではないとしているし、柳田国男は「海上の道」でこの題材を取りあげ、「鰐=ワニ」は和邇氏の祖霊であるとする独自の見解を示した。記紀の他の話にも、ワニをサメに置き換えてしまったのでは通じなくなってしまうものがある。
 …というように考えてみると、鰐崎のワニも本来のワニのイメージをちゃんともったうえで名付けられた、とみてよいのだろう。日本に残るワニに関する地名も、古くからあったワニ信仰または和邇(和爾)氏にかかわるものだろう。
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 そう思って地図を改めてみると、二本の長く延びた岩は、まさしくワニが這っているように思えてくる。その写真が撮れていなかったのは痛恨事…というほどのことでもないが、岩の写真は鰐崎の東の出っ張りのしか撮れていなかった。
 まあ、念のために上からの写真をiOSのマップで見てみるとこんな感じ…。
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*追記 この「ワニかサメか」について、ChinchikoPapaさんは、いつものようにご自身のブログでのコメントで、サメ派のお考えを熱く主張されているので、ここに並記して紹介しておきたい。

わたしは、「ワニ」はサメではないかと思いますね。山陰ですごすと、当たり前のようにワニ(サメ)が食されている(特に刺身は美味しいですね)という古くからの食文化ももちろんですが、中生代ならともかく、のちの8世紀の古事記に採取された説話が生まれたと思われる1700年ほどの時代に、ワニ=クロコダイルは日本海に非存在だということです。海外から流れてきた説話だというのなら、それがなぜ山陰のワニと結びついているのか、たとえ元はクロコダイルだったとしても、山陰でワニ(サメ)の説話に化けたのではないかと、なぜその可能性を考慮せず海外説話のままクロコダイルに固執するのか、山陰でもワニ=サメではなく、そのままサメと呼称する地域があることを取り上げて、なぜ説話のワニはサメではないと容易に断言できてしまうのか?……、学者の得意分野ごとに我田引水説が多くて、かんじんの地元の伝承や民俗が置き忘れられているように思いますね。松江の友人ではないですが、こういうのを机上論というのではないでしょうか。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>dendenmushiさん
by ChinchikoPapa (2015-11-02 22:39)



▼国土地理院 「地理院地図」
37度30分53.18秒 137度13分7.67秒
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dendenmushi.gif北越地方(2015/09/13 訪問)

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タグ:石川県
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コメント 2

soujirou-3

先日、大国主命が祭神で医薬祖神の神社に行ったとき
いろいろWEBをチェックしました
因幡の白ウサギがワニに皮をはがされ
大国さんが憐れんで蒲の穂で直したので医薬の祖神に
なったそうですがワニが日本に居たのか?と思っていました

by soujirou-3 (2015-11-02 05:16) 

dendenmushi

@soujirou-3 さん、コメントありがとうございます。やっぱりねえ、そう思いますよね。しかし、いなかっただろうからワニザメにという発想もなかなかですし、大国主命を医薬の神様にしてしまうのもグッドアイデア!
by dendenmushi (2015-11-03 21:23) 

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