1279 堂ガ崎=珠洲市高屋町(石川県)尖った出っ張りと小さく凹んだくぼみが連続する奥能登の北海岸に… [岬めぐり]
鰐崎を過ぎると高屋町に入り、前方に小山と防波堤が見えてくる。小山は岳山という陸経島のようで、ジョイント部分に高屋の集落があり、その向こうが港になっている。
現在では高屋と折戸とふたつある狼煙漁港のひとつとなっているが、良港の少ない外浦では、北前船の貴重な寄港地、風待ちの港だったという歴史をもっている。
前にもふれたように、大きな縮尺の地図で見るとほぼまっすぐに斜めのラインを描いているように見える外浦の北部海岸だが、当然ながら細かく多くのデコボコがある。とくに大崎から北に禄剛崎にかけては、おろし金のように尖った出っ張りと小さく凹んだくぼみが連続している。
こういう地形の海岸もめずらしいのではないかと思うが、岩の固い地盤があるところだけが岬となって残っていて、その間は浅い入江になっている。
大きな川がない能登半島では、こうした地形の変化を生む要因は、海食や地盤変化によるとみていいのだろう。たゆみなく繰り返される日本海から押し寄せる波浪は、冬季はとくに北西からの強風をともなって、大地にも人にも厳しくあたってきたのだろう。
それが岬を削りだし、入江をえぐり、その奥に固まる能登の集落に独特の間垣を生んだ。そうした凹みの多い奥能登の海岸でも、岩礁などの障害物がなく、大きな船を寄せるだけの水深と、風よけ波よけの条件を備えた入江は少ない。北前船が往来していた頃では、輪島以北では唯一そうした条件を備えていたのが高屋の港だったのだろう。
風を待って、佐渡方面に向かう船が集まる港は、海運にともなうさまざまな人も集まり、夏期には“破船奉行”などという役人まで高屋に常駐していたという記録もあるらしい。米を運ぶ船の海難に備えて事故処理に当たるのが主な任務だったというのだが…。
やがて、帆船から汽船の時代になると、風待ちの必要もなくなるので、地理的な利点も意味をなさなくなる。今では、地方の一漁港に過ぎないこんなところにも、かつてのにぎわいを刻んだ歴史がある。
高屋の入江から北に飛び出しているのが、堂ガ崎で岬の先には岩場が張り出している。ここも100メートルのピークのある小さな尾根がちょんと出ているところで、県道がそこを坂道で越えながら回り込んで行く。
やはり、県道28号線を通すために、尾根を削って道をつけたものだろう。この県道はドライバーに人気らしく、車載の動画がいくつもある。これがいつ開通したのかはわからないが、県道認定は1972(昭和47)年に行なわれている。
堂ガ崎を回る道は、県道のほかにもうひとつ破線の道が地図には示されている。その道は、県道よりずっと下の海岸の岩場を辿りながら、高屋の北東の木ノ浦に通じている。
県道などは、旧道が拡張されて整備されるケースが多いと思われるが、ここでは旧道の海岸線を避けて、より高いところを県道が走っている。それというのも、堂ガ崎から北東にかけては100メートルくらいの高いところを走ることになるので、ここから登りになるのだ。
ヘアピンカーブを折れ曲がって高度を上げたところから、振り返ってみると堂ガ崎が、そして高屋の港の防波堤の端が、ちょこんと見えた。
珠洲市にはかつて原発の計画地がこの高屋と寺家(能登半島の東端)にあって、どちらも凍結になっているが、高屋の予定地というのは、この付近だったのだろうか。
▼国土地理院 「地理院地図」
37度31分27.09秒 137度14分49.83秒
北越地方(2015/09/13 訪問)
タグ:石川県
コメント 0