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1194 蛇ヶ崎=陸前高田市小友町(岩手県)大蛇の伝説がその名の元らしい岬こっちのほうへ行けばよかった… [岬めぐり]

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 碁石海岸口のBRT駅から気仙沼方面に向かうバスに乗ると、旧線路だった専用道路はしばらく門之浜湾に沿って南へ下って行く。その西、進行方向の右手には低く尾根が降りてきて、その尾根寄りに高清水、烏崎といった集落があるが、尾根を突き抜けるトンネルが、ちょうど大船渡市と陸前高田市の境界線になっている。
 つまり、その尾根の稜線を境界線が走っていて、箱根山という445メートルのピークを越えた北側を高田道路、国道45号線の通岡(かよおか)峠と通岡トンネルが通っている。
 BRTの路線は、それよりずっと南を、蛇ヶ崎の付け根を横切って丸く北西に向きを変えていくが、蛇ヶ崎の出っ張りは、全域が陸前高田市の領域になる。
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 蛇ヶ崎は、館ヶ崎と東西に並んで門之浜湾を固めていたと思われる。こういう岬の出っ張りの上に城館が築かれていたという例は、全国に数多い。このリアス海岸でもこれまでいくつもあったが、蛇ヶ崎の城跡は戦国時代の前期くらいという記録がある。
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 1315(正和4)年に千葉氏の一族が広田湾付近に勢力を拡大するにあたって築城され、天正年間には葛西氏に連なっていたが、1590(天正18)年頃にはその没落とともに伊達家の支配に入っている。その後にほどなく戦略的価値がなくなった城は取り壊されたようだ。
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 それ以前には、蝦夷東征に関わる伝説もあって、都から二万数千人の軍勢をひきいてやってきた田義友という将軍が、小友の戦で討ち死にし、その遺骸を箱根山の中腹の烏山に葬ったのだそうだ。その後も、埋葬地から現れた大蛇が賊に立ち向かったといい、岬にその霊を蛇ヶ崎大明神として祀った。
 さらに伝説では、出崎の背後に鶴島・亀島があり、そこには女沼・男沼という沼があり、最後に大蛇はその沼で死んだとされ、大波のときはこの沼に波が入る、ともいう。
 現在、蛇ヶ崎には蛇ヶ崎神社と八幡神社のふたつの社があるが、鶴島・亀島も、女沼・男沼もどこにあったのかわからない。ただ、岬の西側では船溜まりがあり、そこから内陸には池がふたつあり、さらにその奥には水田が広がっている。
 将軍を葬った烏山というのは、今に残る烏崎の集落名とつながりがあるのかも知れない。が、それは箱根山の中腹よりはずっと下のほうだ。
 地理院地図では蛇ヶ崎の先端部に「 ∴ 」マークがつけられている。いくつもの岩島を擁した海蝕地形の海岸線は、国指定の天然記念物になっているのだ。
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 この項に掲げている蛇ヶ崎の写真の多くは、門之浜湾の漁港のほうから見たものである。この方向からだと、逆光線のなかにシルエットで浮かぶ。蛇ヶ崎と館ヶ崎、その間の広田半島と黒崎…。こういう位置関係になる。
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 こちら側のほうが岩礁が発達しているところのようだが、岬の西側を遠くに眺めたものも付け加えておこう。
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 これは、小友駅から南へ広田半島へちょっと入り込んだ長根洞の付近から見たところである。なるほど、緑が茂る林と海岸の景色が期待できそうな岬だ。
 これはしまった。こっちの道へ来ないで、蛇ヶ崎に歩いて行くべきだったのかな。判断を間違えてしまったかもしれない。そのほうが矢館崎も恵美須崎も釜ヶ崎も鵜の巣崎も、もっと近くで見られた…。
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▼国土地理院 「地理院地図」
38.982104, 141.716498
tatejyagaM.jpg
dendenmushi.gif東北地方(2014/11/06 訪問)

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タグ:岩手県
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