番外:碁石海岸=大船渡市末崎町(岩手県)北の岬は今もなお忘れられない「おもいで岬」 [番外]

碁石岬の灯台を後に、北へ続く海岸の松林のなかにプロムナードがある。宿でもらった碁石海岸のマップによれば、ここから北へが碁石海岸で、いろいろな名前のついたいろいろな大小の岩がたくさんある。その最北にあるのが、穴通磯と名付けられているメガネ岩のように穴が3つも開いた岩だが、そこまではおよそ3キロ以上の道を上り下りしなければならない。

このコースは、自動車道もなく、海岸の遊歩道としては途中の大浜くらいまでがいいとこで、たいていの観光客はそこまでも行かず、せいぜいが海馬(とど)島あたりまで行けばいいほうであろう。

見事な松林は、この碁石海岸の特徴になっているようだが、この松林の歴史も古く、1816(文化13)年に地域の住民が防潮防風林として植林したのが始まりだという。
この道は、「美しい日本の歩きたくなる道500選」に選定されているのだそうだが、こういう「…選」も大流行で、実にいろんなのがある。碁石海岸は、このほかにも「日本の渚・百選」であり、岩に打ち付ける波の音が雷のように響くという雷岩の音は「残したい日本の音風景百選」に選ばれているという。

前項の碁石海岸とはどこかという設問だが、地理院地図では2万5000の縮尺までは西海岸に、それ以上の地図では東海岸に、その表記をつけている。

西海岸には、広い道が碁石浜から博物館のほうに通じており、その沿道には歴史もありそうな温泉旅館やら遊覧船乗り場やらがあるので、どうやらこちらのほうがもともと開けていた、古くから意識されてきた碁石海岸なのだろうと推測できる。

ところが、大船渡市が博物館やら温室やら大駐車場やらガイドセンターなどの施設を海馬島からも碁石岬からもそう遠くない中間点に整備した。
どうやら、これ以降観光客がやってくる碁石海岸は、東海岸にその比重が移っていったのではないか。

そんなふうに想像できるが、おそらくそう的外れではあるまい。
そう考えながら歩いていると、三陸復興公園に指定されてから後に環境省が建てた看板では、「碁石海岸は、末崎半島の太平洋側に面した約6kmの海岸線を指しています。」とのっけから“太平洋側”に限定した表記に出くわした。
もっとも、その説明のなかには碁石も入っているので、碁石浜のある西海岸はまるっきり除外されるということではないらしい。

雷岩と高さ数10mの断崖が切り立つ乱曝谷の付近は、東海岸の一般観光コースの中心であるらしく、テラスなどの設備が整っている。その先の海馬島付近から西へ道を辿ると、ネイチャーガイドセンターのしゃれた建物があるが、これも国の支援ででき、大船渡市に管理運営が移管されているようだ。

その駐車場の向かいには椿館という大きな温室があり、世界から集めた椿が展示してある。

その前に結構大きな石碑がでーんと座っている。道路のほうには背が向いていて、駐車場側の表には「おもいで岬」という歌詞が刻んである。これはご当地出身の歌手・新沼謙治のデビュー曲の歌碑なのだ。

テレビのオーディション番組で出てきた1975年の新人歌手は、それまで左官をやっていた。5回目の挑戦となるその決戦で合格したときの、審査員の一人だった阿久悠の講評は、なかなかこの純朴な青年の真骨頂と将来を見通していたような鋭さがあった。(本人が出た何かの番組でそのエピソードを知った。)どうやら、阿久悠の予言通り、持ち前の純粋さを保ちながら長くこの芸能界を渡ってこれたのは、喜ばしい。碁石海岸を思いながら「おもいで岬」を歌ったという歌手は、その後の活躍で大いに大船渡市の知名度向上に貢献したことを称えて、この碑は建てられた。そこに刻まれた歌詞はその阿久悠が、彼のために書いた。
北の岬は 今もなお 忘れられない
忘れられない おもいで岬
近年は、震災後の被災地の復興活動にも、お隣の陸前高田市出身の千昌夫とともに活躍していて、“いわてけん!”のスターである。

そこから道路を下ると、大船渡市立博物館の大屋根がある。この博物館もなかなか見事な、工夫された展示がしてあって、こどもたちがこの海岸と地域を勉強するのにも役に立っているのだろう。

博物館から下ると、いよいよ碁石のある碁石浜に出るが、書ききれなくなったのでこれはまた次項に…。そうそう、この道の途中に「新沼」という表札の家があった。この地方に多い名前なんだろうか。
▼国土地理院 「地理院地図」
38.985952, 141.741747




タグ:岩手県
2015-01-28 00:00
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