1187 弁天岬=大船渡市赤崎町(岩手県)南北に細長い湾の対岸にある岬は平らな埋立かなにかのようで横からはよく見えない [岬めぐり]

三陸駅で降りて次の南リアス線の便を待っていると遅くなるので、崎山から折り返しで大船渡市民病院まで行く路線バスに乗ることにした。そのため、ここは海岸沿いに北から南へ下っていく順番を少し変えて、行程の順にしている。
そうすると、脚崎からワープして、次の岬は大船渡湾の弁天岬となる。

脚崎を遠く眺め、大船渡三陸道路というバイパスの大工事が進行中で、巨大な橋脚が渡されている三陸町越喜来からは、西の山の中に入って行く。越喜来湾に別れをつげ、国道45号線で西へ行くと、道はすぐに上りになり大峠を越える。大峠からは、長い緩やかな下り道が延々と続き、南に向きを変えながら大船渡市街に入って行く。
同じリアス海岸の湾でも、ひとつひとつがさまざまに形が異なるのは当然なのだが、同時によく似たような地形がある。大船渡湾とよく似ているのが気仙沼湾で、細長い水面が北に向かって伸びており、その奥まったところに市街地の中心部が納まっている。
当然、津波の被害を大きく受けた。盛駅の北側付近までは浸水があったようだが、大船渡町など町の南側ではとくに壊滅的被害を被ったようだ。その割には人的被害が少なかったらしいが、それは湾に面した平坦な市街地のすぐ西側が高くなっていて、短時間に避難ができた人が多かったからだとも言われている。
越喜来湾の崎浜から乗ったバスが、どこをどう通るのか、よくわかならいが盛駅へは行かないらしい。市役所前で降りて歩くのだろうか。そこで、運転手さんに駅へはどこで降りたらよいかを尋ねると、ショッピングセンター前の停留所を教えてくれた。
なるほど。そこから盛駅はすぐであった。路線バスが大船渡市街を走るのは、ドラゴンレールより2〜300メートル西の山寄りに上がったところにある、通称浜磯街道のほうなのである。

盛(さかり)駅は、三陸鉄道南リアス線の起点終点であるとともに、JR大船渡線と接続している。その大船渡線が大震災以降は鉄道が不通になったままで、代替バスで運行している。その名が“ドラゴンレール”なのだが、これは一関からの大船渡線の描く線が龍のようだというところからきている。

宮城県側の被災地の岬めぐりでももうおなじみになっていたが、気仙沼線の柳津=気仙沼も代替バスであるが、こちらにはその名はつかない。それだけでなく、この辺りの大船渡線と気仙沼線関係はなかなかややこしいうえに大船渡の駅は「盛」だし、その読み方は“もり”ではなく“さかり”だし、代替バスだしで、慣れないとまごつく。


代替バスは、一部は鉄道の線路があったところを専用道路にして走っている。観光客を意識してつくられたバスもあるが、そのバスが進む線と湾の間は一面復旧工事だらけで、あちこちにクレーンが目立っている。その一方では、解体もされずに被災したままの姿で残っている建物もある。


魚市場が近くなってくると、わずかに見える海面の向こうに、長いタンカーのような船が入ってくるところで、その先に小山のように見えるところがある。その下に白いタンクのようなものが並んでいるところがあって、その右手が弁天岬だと地図は教えてくれる。
だが、ここももうとうから実質的には岬のような形ではなく、山が削られ、海が埋め立てられて、その埋立地の先っぽに弁天岬の名だけが残っているような風情である。しかし、その上の小山のてっぺんに神社マークがあるので、どうらやそれが名前の元の弁天さんらしい。

この小山の下の、工場か何かができる前の岬の様子を想像することはむずかしい。

弁天岬の飛び出しが小さな入江をつくり、その岸には大立とか永浜、小浦といった字名が見える。入江の口には防波堤が伸びているが、弁天岬も平べったいうえに、こちらは対岸を走るバスの車窓から見ているので、横しか見えない。

弁天岬からこちらの魚市場の岸壁までは、約1キロ、だいたいそのくらいの幅で、大船渡湾は南北5キロほど続いている。だが、もしも震災と津波が起こる前に、ここを通ったならば、大船渡線の車窓からは弁天岬は家並みやビルなどの建物に隠れて見えなかったのだろうと、やっと気がつく…。
▼国土地理院 「地理院地図」
39.051397, 141.734554




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