1184 鬼間ヶ崎(大塩岬)=大船渡市三陸町越喜来(岩手県)実はこの付近には鬼の伝説もたくさんあるらしくて… [岬めぐり]
羅生トンネルを出た南リアス線の車窓左手に見えてくるのは越喜来(おきらい)湾である。三陸町の中央に位置する越喜来地区も、かつてはこの湾の沿岸だけで一村をなしていたが、昭和31(1956)年に、北の吉浜村、南の綾里村とと合併して三陸町になったが、平成13(2001)年に大船渡市の一部になっている。
南リアス線の駅の名は「三陸」で、そこで降りて越喜来湾の北岸にある崎浜という集落まで行くバスを待つ。
三陸駅からは5.5キロ東南東に位置し、県道209号線が終わる崎浜も、港に近い平地部分はすべて津波で被災している。この崎浜は半島が真ん中付近で山が切れて少しくびれたようになっているところの南側の集落で、北の吉浜湾側にも道が通っている。そこには北里大学という名が地図にみえるので、なんでこんなところに北里大学が…という感じがするが、当方の知らない深いワケがいろいろあるのだろう。
山寄りのところにあった小学校も閉校になって、そこには仮設住宅などがあるらしい。崎浜にあった小学校は甫嶺小学校とともに越喜来小学校に統合されてなくなっていたが、これは震災を契機に復興計画が進むなかでのことだったようだ。
先に紹介した吉浜と比べるのは酷なようだが、崎浜でも1896年の明治三陸津波では波高11.6メートルの津波に襲われ、集落のほとんどが全滅している。そこで、共同で元集落があった低地に地方としてはめずらしく整然とした区画整理を実施して復興再建した、と記録は言う。
つまり、崎浜では復興を土地の区画整理で対応していたわけで、そのため1933年の昭和三陸津波では波高7.8メートルの津波で、原地に区画整理で再建された集落の大部分が大被害を受け、流失倒壊31戸、死者50人をだした原地再建失敗の例、とされることになってしまった。
崎浜の港の回りは、コンクリートの防波堤が背丈を超えてあるが、これは流されることなく大半が残っているようだった。
崎浜の漁港の南に飛び出しているのが、鬼間ヶ崎(きまがさき)である。坂上田村麿呂の征伐で蝦夷の頭が討たれたという伝説があるこの岬には、館か砦のようなものがあったとも伝えられる。“鬼”の字も蝦夷の頭目のことを意味しているという説もあり、崎浜の西の大六山はその鬼の名前であったということになっているらしい。
先端部は樹のシルエットが美しい岩島になっているが、やはりここも港湾の復旧工事中で、先へ進むことができない。鬼間ヶ崎まで行けば、そこから湾の北岸で目立っている大塩岬も見えたのだろうが、ここからはそれは見えない。
後から考えてみると、この三陸駅で降りずにそのまま南リアス線に乗って行ったほうが、次の甫嶺駅を過ぎた付近で大塩岬も見えたはずであった。だが、降りてしまったために、北岸をバスで通ったのでは大塩岬が見える角度にならなかったのだ。
では、なぜ三陸駅で降りてしまったのか。それは、崎浜へ行くバスというのは当初計画の残滓であって、南リアス線全部車窓というのでなく、その計画のひとつくらいは…と思ったからだ。
降りて次の盛行きを待てばいいというわけにいかないので、降りた以上は崎浜から折り返して大船渡へ行くバスに乗らなければならない。
こんなことをくどくど書いても、当事者以外にはなんのことやらよくわからないだろう。要は、ここも公共交通機関だけに頼る計画の弱点で、なかなか思うようにはならない。
南リアス線は、三陸→甫嶺→恋し浜→綾里→陸前赤崎→盛と大きくいくつかの半島の内側を迂回して行く。ところが、越喜来湾の南に続く綾里湾では湾口先端の脚崎と綾里崎しか岬はなく、小黒岬と小路岬がある大船渡湾側では電車の線が内陸を走っているので、車窓は期待できない。つまり、これ以上南リアス線に乗っているメリットがない。
そう判断して、三陸駅で降りてバスで国道45号線回りに切り変えたのだが、その結果、大塩岬が犠牲になってしまった、そんなところだ。
▼国土地理院 「地理院地図」
39.09719,141.863311
東北地方(2014/11/05 訪問)
タグ:岩手県
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by シラネアオイ (2014-12-29 06:50)