1947☆『思い出の索引』★でんでんむし@アーカイブス☆わたしたちが生きてきた時代とは… [年表]
われわれはどこから来て、どこへ行こうとしているのだろうか…?
❖年表の元ネタ主な参考資料:三省堂『コンサイス世界年表』三省堂編修所編。河出書房新社『昭和・平成 家庭史年表』下川耿央・家庭総合研究会編。小学館『昭和・平成 現代史年表』神田文人編など。
1947昭和22年 丁亥(ひのとい)
○パリ平和条約調印。連合国とイタリア、ブルガリア、ハンガリー、ルーマニア、フィンランドの旧枢軸5か国との講和。
○英仏が50か年同盟条約に調印。
○モスクワの米英仏ソの四国外相会議で、対独、対オーストリア講和問題で米ソの対立が表面化し、決裂。
○パレスチナ問題で第一回国連特別総会開催。
○米国務長官マーシャルが、ヨーロッパ経済援助計画(マーシャルプラン)を発表。
○ソ連はマーシャルプラン参加を拒絶、西ヨーロッパ16か国が受け入れ。
○ジュネーブの国際貿易会議でガット(関税と貿易に関する一般協定)に23か国が調印。
○ロンドンの米英仏ソ四か国外相会議、対独賠償は決定、その他は決裂。
○国連総会でパレスチナ分割案を採択。
○ブルガリア人民共和国憲法を制定。
○ギリシャ北部に、国民解放戦線の自由ギリシャ政府樹立。
○ルーマニア、王制を廃し、人民共和国を宣言。
○英、最初の原子炉完成。
○中共が国府の和平提案を拒否。
○北朝鮮人民委員会の結成。
○台北で反国府大暴動が起こり、戒厳令。
○国府軍が、延安を占領。
○南朝鮮でゼネスト。
○中国各地で、反内戦、反飢餓運動が起こり、大都市に戒厳令。
○インドが独立を宣言、インド連邦とパキスタン自治領の成立。
○蒋介石、山東作戦。人民解放軍が国府軍への総反攻を宣言。
○インドネシア、独立を宣言。
○ソ連が米ソ両軍の朝鮮からの撤退を提案。
○人民解放軍が満州で新攻勢に出る。
○ビルマと英、ビルマ独立についての条約調印。
○米が朝鮮問題を国連に正式に提訴し、ソ連の撤退案は拒否。
○インドがカシミール藩主のインド編入要請を受諾し派兵。
○国連総会で、朝鮮の米ソ両軍の撤兵案を可決。
○パレスチナ分割をめぐって、アラブとユダヤが武力衝突。
○中共軍の攻勢で、国府軍が鉄嶺を放棄。
◉公職追放令、財界、言論界、地方の公職におよぶ。
◉官公労が2.1ゼネストを宣言。GHQが中止を命令。
◉国民協同党、日本民主党、緑風会(山本有三の命名)の結成。(政党の再編)
◉衆議院が解散、帝国議会が終る。新選挙法による衆参両議院の選挙で、衆参とも社会党が第一党となる。
◉政府が農地買収の開始、全国で約11万8000町歩を強制買い上げ。
◉日本国憲法を施行。
◉町内会、部落会の解散似ついての政令を公布施行。
◉吉田内閣総辞職。片山内閣の成立。(社会、民主、国民協同党の連立)
◉教育基本法、学校教育法の公布。六・三制の実施。
◉GHQが、三井物産、三菱商事の解体を指令。
◉GHQが、制限付きで民間貿易の再開を許可。
◉労働基準法、独占禁止法、国家公務員法、地方自治法、職業安定法、児童福祉法、刑法の改正(不敬罪、姦通罪の廃止)、民法の改正(家制度の廃止)など法整備が進む。
◉経営者団体連合会、日本教職員組合、全国農民組合の諸団体結成。
・この年に亡くなった人にはこんな人も…。永野修身。織田作之助。幸田露伴。横光利一。ピエール・ボナール。アルフォンソ・カポネ。ヘンリー・フォード。ヒュー・ロフティング。
◎ララ物資による副食だけの学校給食始まる。(主食は持参だったが持ってこられない子も多かった。)
◎都バス、東京=荻窪間にトレーラー・バスを運行。
◎埼玉県八高線の高麗川駅付近で、超満員の買い出し列車が転覆。死者184人、重軽傷者497人。
◎関東地方に“キャスリン台風”襲来。利根川が決壊し東京埼玉に大水害。死者行方不明者1930人。(アメリカのハリケーン式に台風には女性の名を付けていた。今風に言えばセクハラ?)
◎片山内閣が、“閣下”の呼称廃止を決定。
◎初の皇族会議で11宮家の皇族離脱を決定。
◎文部省が、宮城遥拝、天皇陛下万歳、天皇の神格化表現の停止を通達。
◎なぜか警視庁が行なったサラリーマンの生活実態調査では、平均月収は3542円、赤字1580円、全生活費の75%がヤミ買い。
◎東京地裁の山口判事が、ヤミによらず配給だけで生活することを貫いて餓死する。
◎民間貿易再開で、輸出品には“MADE IN OCCUPIED JAPAN”の表示を義務づけられる。
◎GHQが、味噌業界に対してみそ100匁(375g)につき、サツマイモ25%の混入を指令。
◎米の原爆調査委員会が被爆者の血液学調査研究開始、広島に原爆傷害調査委員会(ABCC)を設置。
◎古橋広之進が全日本水泳大会の400メートル自由形で4分38秒4の世界新記録。(これ以降泳ぐたびに記録を更新し2年間で23回の世界新記録)
◎箱根駅伝も復活。
◎トヨタ自動車が募集していた小型車の愛称「トヨペット」と決定。
◎日産重工業、4人乗り700ccの「ダットサン・スタンダード・セダン」を発売。16万円。(この年に始まった東京都宝くじは1枚20円で特賞賞金が20万円)
◎ノースウエスト航空が東京線を開設。
◎モンペをスカートに、着物を洋装に、という更生服製作が盛んに。
◎額面30銭の五重塔の通常切手発行。これから「日本郵便」と左書きになる。(この切手は使用期間が長く、印刷などの微妙な違いが多くある。)
◎軍国主義や神道思想などを表す切手葉書の使用禁止に。
◎GHQの指令で「ラジオ体操」が中止に。昭和26年に再開。
◎NHK、ラジオドラマ「向こう三軒両隣」放送開始。昭和28年まで1377回続く。
◎NHK、菊田一夫作の連続放送劇「鐘の鳴る丘」の放送開始。昭和25年末まで。主題歌「とんがり帽子」がこどもたちの愛唱歌になる。
◎NHK、「日曜娯楽版」「二十の扉」の放送開始。
◎NHKの「街頭録音」で“パンパンの声”を放送。全国で15万人いたといわれる。
◎共同募金開始。赤い羽根は翌年から。
◎少女雑誌『ひまわり』創刊。中原淳一の絵とセンスで編集、少女たちの人気とあこがれを引きつける。
■流 行:カストリ雑誌・集団見合い。
■映 画:邦:吉村公三郎/安城家の舞踏会・山本薩夫=亀井文夫/戦争と平和・谷口千吉/銀嶺の果て。洋画:アメリカ交響楽・石の花・第七のヴェール。
■ 本 :石井桃子/ノンちゃん雲に乗る・田村泰次郎/肉体の門・宮本百合子/播州平野・坂口安吾/堕落論・太宰治/斜陽・石坂洋次郎/青い山脈・山川惣治/少年王者。
■ 歌 :二葉あき子/夜のプラットホーム・ディック=ミネ/夜霧のブルース・平野愛子/港が見える丘・近江俊郎/山小舎の灯・菊池章子/星の流れに。童謡:子守歌・花かげ。
■ことば:斜陽族・アプレゲール。
(2014/09/27 でんでんむし蛇足の記)
GHQというのは、ずいぶんと細かいところまでいろいろ指令を出していて、この時代の日本人すべての生活もなにもかも指図していた。憲法だけでなく、ミソにサツマイモを混ぜろということまで指図していたとは、ちょっとびっくりするが、物資不足のなかで、いかに支配者も苦労していたかが伺える。
こういうなかでできた憲法だから、押し付けられた憲法だからというのは、近年とみに威勢がよくなっているらしい改憲論者の主張ポイントのひとつだが、理想を掲げた精神は多くの日本人も支持していたのだろう。
GHQは遠くて実感はできなかったが、進駐軍は日本のすみずみまでジープに乗ってやってきた。ギブミーとか言わずとも、それを取り囲んで手を出せば、いろんなものを載せてくれた。一度だけそうしてもらったドロップスは、なんとも不思議な未知の味がした。
なにもなくても、スイッチを入れれば聞こえてくるラジオは、さまざまな未知の世界へ導いてくれる、まったく魔法の箱のようだった。
1947昭和22年 丁亥(ひのとい)
○パリ平和条約調印。連合国とイタリア、ブルガリア、ハンガリー、ルーマニア、フィンランドの旧枢軸5か国との講和。
○英仏が50か年同盟条約に調印。
○モスクワの米英仏ソの四国外相会議で、対独、対オーストリア講和問題で米ソの対立が表面化し、決裂。
○パレスチナ問題で第一回国連特別総会開催。
○米国務長官マーシャルが、ヨーロッパ経済援助計画(マーシャルプラン)を発表。
○ソ連はマーシャルプラン参加を拒絶、西ヨーロッパ16か国が受け入れ。
○ジュネーブの国際貿易会議でガット(関税と貿易に関する一般協定)に23か国が調印。
○ロンドンの米英仏ソ四か国外相会議、対独賠償は決定、その他は決裂。
○国連総会でパレスチナ分割案を採択。
○ブルガリア人民共和国憲法を制定。
○ギリシャ北部に、国民解放戦線の自由ギリシャ政府樹立。
○ルーマニア、王制を廃し、人民共和国を宣言。
○英、最初の原子炉完成。
○中共が国府の和平提案を拒否。
○北朝鮮人民委員会の結成。
○台北で反国府大暴動が起こり、戒厳令。
○国府軍が、延安を占領。
○南朝鮮でゼネスト。
○中国各地で、反内戦、反飢餓運動が起こり、大都市に戒厳令。
○インドが独立を宣言、インド連邦とパキスタン自治領の成立。
○蒋介石、山東作戦。人民解放軍が国府軍への総反攻を宣言。
○インドネシア、独立を宣言。
○ソ連が米ソ両軍の朝鮮からの撤退を提案。
○人民解放軍が満州で新攻勢に出る。
○ビルマと英、ビルマ独立についての条約調印。
○米が朝鮮問題を国連に正式に提訴し、ソ連の撤退案は拒否。
○インドがカシミール藩主のインド編入要請を受諾し派兵。
○国連総会で、朝鮮の米ソ両軍の撤兵案を可決。
○パレスチナ分割をめぐって、アラブとユダヤが武力衝突。
○中共軍の攻勢で、国府軍が鉄嶺を放棄。
◉公職追放令、財界、言論界、地方の公職におよぶ。
◉官公労が2.1ゼネストを宣言。GHQが中止を命令。
◉国民協同党、日本民主党、緑風会(山本有三の命名)の結成。(政党の再編)
◉衆議院が解散、帝国議会が終る。新選挙法による衆参両議院の選挙で、衆参とも社会党が第一党となる。
◉政府が農地買収の開始、全国で約11万8000町歩を強制買い上げ。
◉日本国憲法を施行。
◉町内会、部落会の解散似ついての政令を公布施行。
◉吉田内閣総辞職。片山内閣の成立。(社会、民主、国民協同党の連立)
◉教育基本法、学校教育法の公布。六・三制の実施。
◉GHQが、三井物産、三菱商事の解体を指令。
◉GHQが、制限付きで民間貿易の再開を許可。
◉労働基準法、独占禁止法、国家公務員法、地方自治法、職業安定法、児童福祉法、刑法の改正(不敬罪、姦通罪の廃止)、民法の改正(家制度の廃止)など法整備が進む。
◉経営者団体連合会、日本教職員組合、全国農民組合の諸団体結成。
・この年に亡くなった人にはこんな人も…。永野修身。織田作之助。幸田露伴。横光利一。ピエール・ボナール。アルフォンソ・カポネ。ヘンリー・フォード。ヒュー・ロフティング。
◎ララ物資による副食だけの学校給食始まる。(主食は持参だったが持ってこられない子も多かった。)
◎都バス、東京=荻窪間にトレーラー・バスを運行。
◎埼玉県八高線の高麗川駅付近で、超満員の買い出し列車が転覆。死者184人、重軽傷者497人。
◎関東地方に“キャスリン台風”襲来。利根川が決壊し東京埼玉に大水害。死者行方不明者1930人。(アメリカのハリケーン式に台風には女性の名を付けていた。今風に言えばセクハラ?)
◎片山内閣が、“閣下”の呼称廃止を決定。
◎初の皇族会議で11宮家の皇族離脱を決定。
◎文部省が、宮城遥拝、天皇陛下万歳、天皇の神格化表現の停止を通達。
◎なぜか警視庁が行なったサラリーマンの生活実態調査では、平均月収は3542円、赤字1580円、全生活費の75%がヤミ買い。
◎東京地裁の山口判事が、ヤミによらず配給だけで生活することを貫いて餓死する。
◎民間貿易再開で、輸出品には“MADE IN OCCUPIED JAPAN”の表示を義務づけられる。
◎GHQが、味噌業界に対してみそ100匁(375g)につき、サツマイモ25%の混入を指令。
◎米の原爆調査委員会が被爆者の血液学調査研究開始、広島に原爆傷害調査委員会(ABCC)を設置。
◎古橋広之進が全日本水泳大会の400メートル自由形で4分38秒4の世界新記録。(これ以降泳ぐたびに記録を更新し2年間で23回の世界新記録)
◎箱根駅伝も復活。
◎トヨタ自動車が募集していた小型車の愛称「トヨペット」と決定。
◎日産重工業、4人乗り700ccの「ダットサン・スタンダード・セダン」を発売。16万円。(この年に始まった東京都宝くじは1枚20円で特賞賞金が20万円)
◎ノースウエスト航空が東京線を開設。
◎モンペをスカートに、着物を洋装に、という更生服製作が盛んに。
◎額面30銭の五重塔の通常切手発行。これから「日本郵便」と左書きになる。(この切手は使用期間が長く、印刷などの微妙な違いが多くある。)
◎軍国主義や神道思想などを表す切手葉書の使用禁止に。
◎GHQの指令で「ラジオ体操」が中止に。昭和26年に再開。
◎NHK、ラジオドラマ「向こう三軒両隣」放送開始。昭和28年まで1377回続く。
◎NHK、菊田一夫作の連続放送劇「鐘の鳴る丘」の放送開始。昭和25年末まで。主題歌「とんがり帽子」がこどもたちの愛唱歌になる。
◎NHK、「日曜娯楽版」「二十の扉」の放送開始。
◎NHKの「街頭録音」で“パンパンの声”を放送。全国で15万人いたといわれる。
◎共同募金開始。赤い羽根は翌年から。
◎少女雑誌『ひまわり』創刊。中原淳一の絵とセンスで編集、少女たちの人気とあこがれを引きつける。
■流 行:カストリ雑誌・集団見合い。
■映 画:邦:吉村公三郎/安城家の舞踏会・山本薩夫=亀井文夫/戦争と平和・谷口千吉/銀嶺の果て。洋画:アメリカ交響楽・石の花・第七のヴェール。
■ 本 :石井桃子/ノンちゃん雲に乗る・田村泰次郎/肉体の門・宮本百合子/播州平野・坂口安吾/堕落論・太宰治/斜陽・石坂洋次郎/青い山脈・山川惣治/少年王者。
■ 歌 :二葉あき子/夜のプラットホーム・ディック=ミネ/夜霧のブルース・平野愛子/港が見える丘・近江俊郎/山小舎の灯・菊池章子/星の流れに。童謡:子守歌・花かげ。
■ことば:斜陽族・アプレゲール。
(2014/09/27 でんでんむし蛇足の記)
GHQというのは、ずいぶんと細かいところまでいろいろ指令を出していて、この時代の日本人すべての生活もなにもかも指図していた。憲法だけでなく、ミソにサツマイモを混ぜろということまで指図していたとは、ちょっとびっくりするが、物資不足のなかで、いかに支配者も苦労していたかが伺える。
こういうなかでできた憲法だから、押し付けられた憲法だからというのは、近年とみに威勢がよくなっているらしい改憲論者の主張ポイントのひとつだが、理想を掲げた精神は多くの日本人も支持していたのだろう。
GHQは遠くて実感はできなかったが、進駐軍は日本のすみずみまでジープに乗ってやってきた。ギブミーとか言わずとも、それを取り囲んで手を出せば、いろんなものを載せてくれた。一度だけそうしてもらったドロップスは、なんとも不思議な未知の味がした。
なにもなくても、スイッチを入れれば聞こえてくるラジオは、さまざまな未知の世界へ導いてくれる、まったく魔法の箱のようだった。
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