SSブログ

1943☆『思い出の索引』★でんでんむし@アーカイブス☆わたしたちが生きてきた時代とは… [年表]

われわれはどこから来て、どこへ行こうとしているのだろうか…? 
  そういう時代のなかで、そのとき自分の親や祖父母は、どこで何を考えて、どう生きていたのだろうかと、いつも考えていた…。ただ、でんでんむしの場合には、記録がほとんど残っていないので、それもわずかな記録から想像をめぐらせてみるしかない。
 やはり、歴史年表と個人の関係は、あまりにも遠すぎる。遠い昔のことはわからないが、それでも近世のことであれば、自分の祖先の誰かもそこに生きてきたというつかみかたも、まったく不可能ではあるまい。『思い出の索引』というのは、読む人見る人によって、さまざまな想いがあふれてくる(かもしれない)…そんな程度のことである。

❖年表の元ネタ主な参考資料:
三省堂『コンサイス世界年表』三省堂編修所編。河出書房新社『昭和・平成 家庭史年表』下川耿央・家庭総合研究会編。小学館『昭和・平成 現代史年表』神田文人編など。

1943mark.jpg昭和18年 癸未(みずのとひつじ)
_------.jpg
◯ルーズベルトとチャーチルがカサブランカで会談。枢軸国の無条件降伏、シチリア、イタリア本土上陸作戦を確認。
スターリングラード全域で、独軍が降伏。
米英、対独空襲を強化。
カチンの森でポーランド将兵の遺体を多数発見。
ワルシャワ・ゲットーのユダヤ人が、反ファッショ武装蜂起。SSが鎮圧。
ソ連、ロンドンのポーランド亡命政府と国交断絶。
北アフリカの独伊軍が降伏し、戦闘終了。
米英首脳の戦争指導会議で、第二戦線の結成。
独伊、ユーゴのパルチザン部隊を攻撃。
アイゼンハワーを総司令官とする連合軍が、シチリア島に上陸。
伊、ファシスト大評議会が、ムッソリーニの統帥権剥奪、立憲王政復帰を決定。
伊、ムッソリーニ首相の罷免、逮捕。ファシスト党解体。
米英首脳がケベックで会談、フランス上陸作戦を決定。
伊、連合国と秘密休戦協定に調印し、無条件降伏。
独軍が伊・北部中部を占領。ムッソリーニは救出され、ファシスト共和政府樹立。
米軍がナポリを占領。
伊、独に宣戦布告。
米英ソの外相がモスクワで会談。
英、連続ベルリン夜間大空襲を開始。
ルーズベルト、チャーチル、蒋介石の米英中カイロ会談。(カイロ宣言)
米英ソ首脳のテヘラン会談。(ソ連の対日参戦など)
ソ連、チェコ亡命政府と条約調印。
英、フレミングがペニシリンを創製。

◉南京政府が戦争完遂に関し日本と共同声明。米英に宣戦布告。
◉南京政府に日本租界を返還、治外法権撤廃の日中協定調印。
重慶政府も米英と治外法権撤廃の新条約。伊も続く。仏も租界返還を声明。
蒋介石が国民政府主席に就任。軍政両面を掌握。
◉フィリピン共和国の独立宣言。ラウレルが大統領に就任、対日同盟条約に調印。
雲南省でベトナム革命同盟会結成。
統一マラヤ国民組織結成。
◉ビルマ独立を宣言、日本と同盟条約に調印。
◉インドのチャンドラ・ボースがシンガポールで独立連盟。自由インド臨時政府の樹立を宣言。日本政府が承認。
イラン、イラクが対独宣戦を布告。

◉2.1日本軍、ガダルカナル島から撤退を開始。2.7完了。(太平洋の戦局主導権が米軍に移る)2.9大本営はガ島から“転進”したと発表。5.30“玉砕”に変わる。地上戦闘の戦死者・餓死者は2万5000人。
◉3.1ニューギニア増援の日本輸送船団8隻、ダンピール海峡で全滅。3600人が海没。
◉4.18連合艦隊司令長官、山本五十六がソロモン上空で待ち伏せた米軍機に撃墜され戦死。
◉5.29アッツ島の守備隊2500人が玉砕。
◉7.29キスカ島の日本軍、霧にまぎれて撤退に成功。
◉11.25マキン島、タワラ島の守備隊5400人が玉砕。

◉電力消費規制を強化、軍需産業に70%。
◉朝日新聞が中野正剛の「戦時宰相論」を掲載、発禁となる。
◉理化学研究所で大サイクロトロンの組み立て完了。(実験開始前に終戦となり占領軍によって破壊)
◉御前会議で大東亜政略指導大綱を決定。(マレー、蘭印の日本領土編入、ビルマ、フィリピンの独立など)
◉学徒戦時動員体制確立要綱を決定。国民徴用令改正。女子学徒動員を決定。
◉官庁、工場、人口の疎開方針を決定。
◉国内必勝勤労対策。(男子就業禁止の17業種、25歳未満の未婚女子の勤労挺身隊へ動員)
◉御前会議で戦争指導大綱を決定。絶対防衛戦を後退、絶対国防圏を設定。
◉理工系、教員養成系学生以外の徴兵猶予を停止。
◉中野正剛が倒閣運動容疑で憲兵隊に拘引され、割腹自殺。
◉第一回学徒出陣。徴兵適齢を一年引き下げ19歳に。
◉都市疎開実施要綱を発表。

◎木炭のほか、薪も配給制になる。
◎出陣学徒の壮行会、雨の神宮外苑競技場で挙行。徴兵猶予停止による出陣学徒7万人が雨中行進。
◎文部省、学童の縁故疎開を促進。
◎陸軍省が各雑誌の表紙に「撃ちてし止まむ」の標語掲示を要求。この標語ポスター5万枚を町内会に配布。
◎文部省が英語の追放を主眼とした学制改革案。
◎商工省が決戦下衣料生活最低標準案を立案。“米英の模倣主義を排し、女子学生のスカートはすべてモンペにする”と。
◎鳥取地震。死者1083人、全壊家屋7485戸。
◎九州・四国地方に台風被害。死者行方不明者970人、全壊家屋6574戸。

◎谷崎潤一郎『細雪』中央公論連載を禁止される。
◎NHK、“ニュース”を“報道”に。
◎英語雑誌名が禁止され、「サンデー毎日」は『週刊毎日』に、「キング」は『富士』、「オール読み物」は『文芸読物』に改題。
◎スポーツ用語も日本語化。“セーフ”は「よし」、“アウト”は「ひけ」、“ラクビー”は「闘球」。野球の隠し球は武士道に反すると禁止。
◎大東亜戦争記念国民映画「海軍」が特別公開。
◎東京都が空襲に備えるため、上野動物園に猛獣を殺処分するよう指令。
◎大日本婦人会、竹ヤリ訓練など国防修練を全国27支部で展開。
◎大日本婦人会、「決戦です。すぐ長袖を切りましょう」を合い言葉に、“短袖モンペの日”を制定。
◎東京銀座で街路灯の撤去式。西宮球場の銀さん、後楽園球場の鉄製椅子など、各地で鉄材供出のため撤去。

・この年に亡くなった人にはこんな人も…。大原孫三郎。林銑十郎。倉田百三。藤島武二。新美南吉。山本五十六。島崎藤村。鈴木梅太郎。木村栄。中野正剛。徳田秋声。中村不折。セルゲイ・ラフマニノフ。カミーユ・クローデル。ビアトリクス・ポター。

■流 行:“見よ東条のハゲ頭〜”など種々の替え歌が流行る
■映 画:邦:姿三四郎・花咲く港・無法松の一生。
■ 本 :岩田豊雄/海軍・武田泰淳/司馬遷
■ 歌 :勘太郎月夜唄・印度の星・加藤隼戦闘隊・若鷲の歌。童謡:。
■ことば:撃ちてし止まむ。

dendenmushi.gif(2014/09/17 でんでんむし蛇足の記
 でんでんむしが、父の最後を知りたいと思うようになったのは、高校生の頃で、しきりに戦記物を読みまくった。そんななかには、緒戦の勇ましいばかりのもあったが、戦争というものを知りたいと、手当り次第に読んだ。
 題名も著者も忘れているが、ガダルカナルの一木支隊などの記録もあって、その巻頭の写真で、長いヤシの浜辺に日本兵の死体がはるか彼方までぎっしりと並んでいたのが、今も眼に焼き付いている。
 戦後になって、どうやら父はソロモン諸島のブカ島で戦死したと、祖父を訪ねてきた人から聞いたらしい。生き残って生還した人は、戦死した同じ部隊の遺族を訪問して…そういう不文律があったらしい。けれども、その人にしても、それがいつのことか、どのようにして死んだのかなど、くわしいことはやはりなにもわからないらしかった。
 それから祖父は、遺骨のない自分の息子の墓石に、「昭和20年8月13日 ソロモン諸島ブカ島にて戦死」と自分で彫った。8月13日は祖母の命日であった。
 その「ブカ島」をついに発見したのは、ずっと後になって読んだ、高木惣吉著『太平洋海戦史』(岩波新書 昭和34 改訂版)のなかで、そこには三か所にでてくる。
 
 かくて残った陸海軍部隊が八月八日コロンバンガラ島に退却して集結を見るや、三度方針が變わって中部ソロモンを持久戦に移し、ボーゲンヴイル島の南部地區と、北部ブカ地區の守備兵力を増強してボ島を確保することに改められたのである。(注*八月八日=昭和18年の。*かくて=中部ソロモン情勢が急迫、現地陸海軍は中央の方針に拘らずソロモンを主作戦としてムンダ方面の防備を固める。しかし、敵の砲爆撃は熾烈を極め、機械化部隊の圧迫にあって陸上部隊の奮闘も力及ばず、8月8日ムンダ飛行場を捨てざるをえなくなった。かくて…)
 
 その頃、ボ島配備の陸海軍地上兵力は三萬五千、外にブカ島約六千、又第一航空戦隊及び第十一航空艦隊の可動機數約三七◯機であった。(総機數七七三)(注*その頃=昭和18年秋。ボ島=ボーゲンヴイル島。)
 
 米軍はこの日ラバウルとブカ島を空母二隻の艦載機で攻撃したのであった。(注*この日=昭和18年11月2日)
_----.jpg

タグ:年表
きた!みた!印(17)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:地域

きた!みた!印 17

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

トラックバックの受付は締め切りました