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1142 弾崎=佐渡市鷲崎(新潟県)佐渡最北端の岬は“弾崎”でそこに立つ灯台は“弾埼灯台”で… [岬めぐり]

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 佐渡島の北部は、明確にとんがっているわけではない。大野亀から弾崎(はじきざき)までの間は、ほぼ東西に向いて直線距離で5キロもあり、大野亀から二ツ亀まではちょっと北東向きに、二ツ亀から弾崎までは東寄りに、道を歩いて行く。
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 藻浦の集落があるので、そこらは広く大きな道路が通っていて、海豚瀬(いるかせ)という名のついた海を眺めながら、バスの時間までは十分に時間があるので、のんびりと行く。
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 藻浦から弾崎の東端までは、これが佐渡最北の海岸段丘ということになるのだろう。標高50メートルのラインで、くっきりと段丘が区切られている。藻浦、弾野の海岸集落のはずれから、ジグザグ道が段丘に上っている。
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 藻浦から見る弾崎の眺めは、その台地が海豚瀬に落ちるところである。
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 二ツ亀を見納めにしながら、急坂を上っていくと、灯台がはっきりと大きくなる。
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 坂を上りきったところから左へ脇道に入って行くと、灯台は近い。
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 そう辺鄙な場所ではないし、いちおう佐渡島最北端というキャッチもあるので、燈光会の看板もある。そこには、“映画「喜びも悲しみも幾年月」の舞台として知られる、佐渡島最北端の地、弾埼に灯台が設置されたのは、大正8年(1919年)12月1日です。”とあった。
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 だが、まず「幾年月」ではなくて、「幾歳月」だからね。こういうのを燈光会ともあろうものが堂々と掲示してはいけないよね。
 ここでも、お約束に従って、灯台の名前のほうでは「弾埼灯台」となっている。しかし、灯台の名には「崎」ではなく「埼」を使うというのは、いわば海上保安庁のローカル・ルールであって、「弾埼に灯台が設置されたのは」と、地名としても定着している岬の名までを一律に「埼」にしてしまうのは、なんかすごいファッショのような気もする。
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 ちなみに、この付近の住所表示地名は鷲崎で、その範囲は賽の河原から内海府海岸の北部一帯までと広い。
 灯台の門柱にはめ込まれた金属製の表札には、灯台の名と並んで「弾埼無線方位信号所」とある。無線方位信号所(レーマークビーコン)というのは、沿岸を航行する船舶に自船の位置を知らせるためのシステムだが…。さては、この白い高い塔がそうなのか。厳重に鉄柵で囲まれた灯台の敷地内にあるので、そうなのだろう…。
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 だが、まてよ。確か無線方位信号はGPSに取って代わられているはずなので、廃止になっているのではないか。調べてみると、廃止計画そのものが21年度ですべてケリがついているはずなので、とうに終わっていた。
 すると、この高い白い鉄塔は、ただの信号塔にしては大掛かりだし、それとは違う別の使命をもつものなのだろう。
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 弾崎が佐渡最北端というのは、一般に認められているようだが、実は細かいことを言えば、緯度がわずかに高いのは、藻浦の漁港のほうである。
 けれども、そこでは絵にならんから、やっぱり最北端はここであるとすることに異論はない。
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 周囲の木も刈り払われて、広い空間があるもの、灯台から展望があるわけでもない。もう少し、海が見えるとか、そういうロケーションがあればいいのだが…。
 と、細い道が草原の間を抜けて先へ行こうとしているので、そこを辿って行くと、すぐに柵で通せんぼされてしまう。
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 小高くなった柵の向こうには、海が見える場所があって、こちらに背中を向けた男女の像が立っているほか、ベンチなども置かれているのに、灯台からはそこへ行くことはできない。
 “はじき野フィールドパーク”とかいうものがあって、この付近の土地を占有しているらしい。その権利を主張し、柵を越えて入るなと警告する文字がぶら下がっている。なんとも、気分のよくない光景である。
 はじき野フィールドパークが有料施設であるのならば、正規の入り口がどこかをガイドし、そちらへ回ってくれと掲示すればよいことだ。
 フィールドパーク内の灯台に背を向けた像は、灯台守夫婦のつもりなのだろう。どうやら、柵の向こうからは、隣の灯台を借景にして夫婦の像を見せようという魂胆らしい。
 すでに絶滅してしまった灯台守は、典型的転勤族であったから、全国あちこちの灯台を転々としている。木下惠介が雑誌で見た手記を題材に、自ら脚本を書いてメガホンを撮ったこの映画の中では、“弾埼灯台”に勤務したのは1941(昭和16)年の日本が米英と戦争始める前後の時期になっている。
 なんという偶然だろう。ちょうど、この岬めぐり本編と並行して掲載中の年表でも、1941年、1942年をアップしたばかり…。
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▼国土地理院 「地理院地図」
38.332066, 138.514723
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dendenmushi.gif信越地方(2014/05/18訪問)

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