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1941☆『思い出の索引』★でんでんむし@アーカイブス☆わたしたちが生きてきた時代とは… [年表]

 われわれはどこから来て、どこへ行こうとしているのだろうか…? 
  そういう時代のなかで、そのとき自分の親や祖父母は、どこで何を考えて、どう生きていたのだろうかと、いつも考えていた…。ただ、でんでんむしの場合には、記録がほとんど残っていないので、それもわずかな記録から想像をめぐらせてみるしかない。
 やはり、歴史年表と個人の関係は、あまりにも遠すぎる。遠い昔のことはわからないが、それでも近世のことであれば、自分の祖先の誰かもそこに生きてきたというつかみかたも、まったく不可能ではあるまい。『思い出の索引』というのは、読む人見る人によって、さまざまな想いがあふれてくる(かもしれない)…そんな程度のことである。

❖年表の元ネタ主な参考資料:
三省堂『コンサイス世界年表』三省堂編修所編。河出書房新社『昭和・平成 家庭史年表』下川耿央・家庭総合研究会編。小学館『昭和・平成 現代史年表』神田文人編など。

1941mark.jpg昭和16年 辛巳(かのとみ)
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◯米英英が、米参戦の場合の秘密戦略会議を始める。
○ブルガリアが日独伊三国同盟に加盟。独軍、進駐。
○米議会が武器貸与法を可決。
○ユーゴも日独伊三国同盟に加盟するが、軍部が反乱、反独政府組織。中立を表明して加盟取り消し。
○独軍がギリシャとユーゴに侵入し、両国が降伏。
○北アフリカ戦線で、ロンメル将軍の独軍が英軍を破る。
○米、グリーンランドを占領。
○ソ連、日本との中立条約に調印。
○アイスランドが、デンマークからの独立を宣言。
○米が国家非常事態宣言を出し、独伊の在米資産を凍結する。
○独軍、対ソ奇襲攻撃。独ソ戦の開始。
○伊、ルーマニア、フィンランド、ハンガリーがソ連に宣戦。
○ユーゴでチトーが人民解放パルチザン部隊を組織。
○英ソが相互援助条約に調印。米ソも協定。
○米、すべての侵略国への石油輸出を禁止。
○ルーズベルトとチャーチルが大西洋上で会談。米英共同宣言(大西洋憲章)を発表。
○ソ連、自由フランスなど6か国と9の亡命政府が、大西洋憲章への参加を表明。
○独軍がモスクワ大攻勢。ソ連政府はクイビシュフに移る。
○米、10億ドルの対ソ武器貸与借款を決定。中立法を改正し、米船の連合国向け武器輸送を許可。
○ソ連軍がロストフで対独反撃開始。
○独軍がモスクワ総攻撃をかけるも。退却。
○英が、フィンランド、ルーマニア、ハンガリーに宣戦布告。
○12.8米英が日本に宣戦布告。
○独伊が米に宣戦布告。
○英、国民兵役法を制定、徴兵年齢を51歳まで引き上げ、女性の兵役も義務化。

○何応欽の国民党軍が共産党指導の新四軍を包囲攻撃(皖南事件)。
○国民政府が新四軍に解散を命令。
○重慶の国民参政会大会に共産党は不参加。
○重慶政府の軍事委員会が中共過激党徒の活動制裁条例12か条を制定。
○中国共産党が国民政府蒋介石に国共調整臨時弁法12か条を要求。
○中共が反日独伊の反ファシスト国際統一戦線を呼びかけ。
○独伊が南京政府を正式承認、枢軸各国も続く。
○重慶政府が独伊と国交断絶。米英ならびにソ連と軍事合作を検討協議。
○米ノ軍事顧問団の先発隊が重慶に到着。
○12.9重慶政府が日独伊に宣戦布告。
○ベトナムでホーチミン指導下のベトナム独立同盟(ベトミン)結成。
○タイ・フランス領インドシナ紛争が終結。(国境紛争の調停会議で東京条約を締結)
○インドネシア、日蘭石油民間協定を停止。
○イランに英ソ両軍が進入し、南北に分けて駐屯。
○イラク政府軍が、英軍と交戦、敗北。

◉東条陸相が戦陣訓を通達。
◉内閣情報局が総合雑誌編集部に「執筆禁止者リスト」(非左翼自由主義者)を提示。
◉国防保安法を公布。国民学校令を公布。生活必需物資統制令を公布。
◉モスクワで日ソ中立条約に調印。
◉ハル米国務長官と駐米野村大使の日米交渉開始。
◉仏教各派の合同、プロテスタント各派の合同が進む。
◉全国の隣組が一斉に常会を開催。
◉御前会議で「情勢の推移に伴う帝国国策要綱」を決定。(対ソ戦準備、南部仏印進駐)
◉大本営が関東軍特別演習(関特演)を発動。満州に70万の兵力を集結。
◉在米の日本資産が、米の凍結令公布により凍結措置。(英、フィリピン、蘭印も続く)
◉日本軍が南部仏印に進駐。日・仏印共同防衛議定書に調印。
◉文部省教学局が「臣民の道」を刊行し、各学校に配布。(国家=天皇と家とのつながりを強調、女性は家父長を敬い家を守ることを要求)
◉米、石油の対日輸出全面禁止を発表。
◉翼賛議員同盟の結成。
◉御前会議で、「帝国国策遂行要綱」(対米英蘭の戦争準備、防錆総司令部)を決定。
◉湖南作戦開始、長沙占領。
◉連合艦隊に作戦準備を命じる。
◉ゾルゲ事件。尾崎秀実ら検挙。
◉大学・専門学校の在学年限短縮を決定。
◉第三次近衛内閣総辞職。東条英樹内閣、陸相現役のまま組閣。
◉御前会議で対米交渉最終案と帝国国策要綱を決定。来栖三郎大使を米に派遣。
◉重要産業統制令による、鉄鋼統制会を始め各統制会が続く。
◉国民勤労報国協力令を公布。
◉言論・出版・集会・結社等臨時取締令を公布。

◉南雲機動部隊が南千島のヒトカップ湾を出港。(ハワイ作戦開始)
◉日本の最終案に対し米がハル・ノートを回答。大本営政府連絡会議でこれを最後通牒と結論。
◉12.1御前会議で、対米英蘭を決定。
◉12.8南雲機動艦隊の艦載機による真珠湾攻撃、日本軍のマレー半島上陸で太平洋戦争(大東亜戦争)開戦。日本、対米英宣戦布告。
◉マレー沖海戦。
◉日本軍が香港島を占領。グアム島占領。ルソン島上陸。英領ボルネオに上陸。ウェーク島上陸。

・この年に亡くなった人にはこんな人も…。九鬼周造。桐生悠々。南方熊楠。ジェイムズ・ジョイス。ヴァージニア・ウルフ。ルー・ゲーリッグ。ラビンドラナート・タゴール。

◎宮本百合子が「教育」一月号に「主婦の政治的自覚」発表。一般夫人の隣組活動も名流夫人の国民精神総動員運動参加も、婦人の政治的成長を示すものではないと批判。
◎新聞紙等掲載制限令を公布。国家機密の掲載制限を強化。
◎神奈川県警察部特高課、隣組新聞への政治・経済記事の掲載禁止など、取締り方針を通達。
◎治安維持法が改正され、予防拘禁の制度を追加。
◎逓信省、市内電報・慶弔電報の取扱いを中止。電話加入申し込みも時局に必要なものに限る。
◎陸軍省報道部、「最低の生活、最高の名誉」の標語で、国民生活を最低限度に切り詰めるよう訴える。
◎東京のデパートに「公定価格の窓」を設置、生活必需品とその公定価格を掲示。
◎大都市の婦人を動員、「ひまわりを植えましょう」運動が起こる。(油を取るため)
◎毎月一回のラジオ番組「常会の時間」が始まる。
◎帝都高速度交通営団、東京地下鉄道と東京高速鉄道を併合して営業開始。
◎北海道美唄炭坑でガス爆発、死者170人。
◎山陽線の網干駅構内で列車衝突。死者65人、重軽傷者71人。
◎豊肥線、大分の中判田=竹中間の河原内川鉄橋で客車が脱線、川に墜落して死者44人、重軽傷者72人。
◎臨時郵便取締令が公布され、外国郵便物の開封検閲を実施。開戦後は暗号などを使う外国宛郵便物の差し出しも禁止。
◎英米蘭からの日本人引き揚げ開始。

◎12.8午前7時にラジオの臨時ニュースで開戦を伝える。この後、ラジオ放送は中継は東京発に限り、都市放送(第2放送)と気象通報は放送中止。
◎閣議で、対米英戦の呼称を(支那事変(日中戦争)も含めて)「大東亜戦争」と決定。
◎不要不急貨物の運送禁止令。
◎広島の呉海軍工廠で、戦艦「大和」(69,100トン)が完成。
◎東京羽田飛行場の拡張工事が完了し、滑走路が2本になる。
◎東京の主要銀行の屋上に、高射砲陣地を構築。
◎鉄・銅製品特別回収で、名古屋逓信局は鉄製ポスト5000個を回収。

◎食料増産のため国鉄線路脇にトウモロコシを植えることに。
◎各地の節分ではマメ抜き。
◎全国で桑畑の整理。横浜市は桑畑62ヘクタールをつぶして米麦生産へ。
◎小麦粉を3分の1に減らして肉や野菜をつめた純日本式パンの試食会開催。(標準国民食も決める)
◎大都市で米穀の配給通帳制・外食券制を実施。
◎月二回肉なし日を導入。肉屋で犬やタツノオトシゴ、オットセイの肉販売も可能に。(どの程度実施されたのか疑問だが?)
◎厚生省が、大豆、馬鈴薯、人参など栄養野菜21種の空閑地栽培方法を全国に通牒。
◎「備荒動植物」の調査で、雑草1000種、動物100種が食糧になるという。(げんごろうの天ぷら、とんぼの佃煮など)
◎東京麹町の町会が、水産空地利用として外堀にコイ1万匹を放流。
◎商工省、買い占め、売り惜しみを禁止。
◎たばこ不足で入手にも行列するようになり、買うときは空き箱を提出が求められる。
◎東京市内の野菜不足が深刻化。行列買い。
◎作付統制令により、スイカ、マクワウリ、イチゴなどの不急作物の栽培禁止へ。
◎これまであまり普及していなかったキャベツが、一個で大勢食べられると人気になる。

◎情報局が映画の国家管理を断行。製作中の娯楽映画はすべて制作中止。映画会社10社の劇映画制作は、松竹・東宝・大映の3社に統合。
◎家庭婦人雑誌約60誌の発行人が警視庁に呼ばれて、整理統合を要請される。その結果、80誌が17誌になる。154誌があった教育雑誌も29誌に統合。
◎横浜の伊勢佐木警察署が、カフェなどの店名から“敵性横文字”の追放を指示。
◎全国の映画館でニュース映画の強制上映開始。
◎李香蘭(山口淑子)の日劇出演にファンが殺到し警官隊出動
◎マネキン人形の青い目を黒目に、金髪も黒髪に変えることを決定。
◎俳優の芸名を禁止。大河内伝次郎は大部勇に、坂東妻三郎は田村伝吉に。
◎東京目黒のアメリカン・スクールが閉鎖。
◎アメリカ映画8社を閉鎖、アメリカ映画の上映も禁止。(アメリカではディズニーの「ダンボ」が、前年には「白雪姫」が公開されて人気)
◎国民学校令施行。尋常小学校を国民学校と改称、義務教育年限を8年に延長。教科も国民科、数理科、体練科、芸能科に統合。成績は優良可。儀式も重視、宮城遥拝や軍事教練も課す。
◎国民学校の正課に取り入れられた模型飛行機制作も、全国的ブームに。
◎文部省が絶対音感教育を導入、ドレミファの階名がハニホ音名唱法となる。
◎東京の新聞社通信社8社が共同主催で、米英撃滅国民大会開催。

■流 行:産業戦士・月月火水木金金
■映 画:邦:戸田家の兄妹・馬・江戸最後の日・次郎物語。洋:スミス氏都へ行く(戦前最後のアメリカ映画)
■ 本 :下村湖人/次郎物語・三木清/人生論ノート・高村光太郎/智恵子抄・山本有三/路傍の石
■ 歌 :戦陣訓の歌・さうだその意気・森の水車。童謡:めんこい仔馬・おうま・花火・ほたる来い・うぐいす・七夕さま・船頭さん・たき火
■ことば:ABCD対日包囲網・子宝報国・ニイタカヤマノボレ・進め!一億火の玉だ


dendenmushi.gif(2014/09/15 でんでんむし蛇足の記)
 4月から始まっていた対米交渉も、7月に日本軍の仏印進駐があると、アメリカは在米日本資産を凍結し、8月には石油の全面禁輸という対応に出てきた。交渉は行き詰まりの最終局面を迎える。11月初めの御前会議では、武力発動の時期を12月初頭とし作戦準備を行なうこと、12月1日午前0時までに交渉が成立しなければ、対米英蘭戦争に踏み切ることなどが決められていたという。
 外交努力は当然ながらなされたが、ハル・ノートはそうした外交官らを失望させるものであり、対米主戦論者にとっては開戦決意固め国論の統一を計るうえでは好都合だったともいえる。
 これらについては、日米のみならずイギリス、ソ連、蒋介石の中国などの思惑が背景にからんできて、その評価や解釈も諸説(陰謀説も)があって定まらないところがある。
 ルーズベルトは、日本に先に攻撃させるために、とうてい日本が呑めない提案をしてきたのだという説なども、完全に否定できない一面もあり、広く受け入れられていそうだ。チャーチルは、日本の対米攻撃を知っておおいに喜んだというが、それはその通りだろう。
 ともかく、こうして日本はとうとう大陸だけでなく太平洋まで戦線を拡大してしまう。改めて年表を整理してわかるのは、日中戦争をやっていたので、国内でもとうに戦争態勢がすみずみにまで浸透していたことだ。
 それにしても、開戦前から国内ではもう食料不足が始まっていたとは…。
 この年に限って、また童謡の名作がぞくぞくと登場してきたのは、いったいどういうわけなのだろうか。
 母は、この年に23歳で亡くなっている。今ならそんなことでは亡くならないが、当時の医療ではしかたがなかったのだろう。落胆した父は、招集もされていないのに自ら志願して海軍軍属として南方へ従軍して行った、と聞いている。落胆した…という表現は果たして当たっているのだろうか。それとももうちょっと違う思いもあったはずではなかったか。
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