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1936☆『思い出の索引』★でんでんむし@アーカイブス☆わたしたちが生きてきた時代とは… [年表]

 われわれはどこから来て、どこへ行こうとしているのだろうか…? 
 中島京子さんの『小さいおうち』のタイトルを見たときに、すぐに思い浮かんだのはバージニア・リー・バートンの絵本(The Little House)であった。石井桃子訳の岩波書店版『ちいさいおうち』を買ったのも、ずいぶん昔のことになるが…。
 ちいさいおうちが、長い年月の間、そこに建ち続け、その間に住む人も周囲の環境もだんだんどんどん変わってしまい…という、なかなかすばらしい長く記憶に残る名作絵本だった。
 中島京子さんの『小さいおうち』は、昭和10年に“東京郊外”(当時の、だから武蔵境とか田園調布ではない、下落合か下北沢あたりだったかもしれない)に建った。2014年8月8日の朝日新聞に寄稿した“「戦前」という時代”のなかで、彼女はこう書いている。
 日常の中に入り込んでくる戦争の予兆とは、人々の慢性的な無関心、報道の怠惰あるいは自粛、そして法整備などによる権力からの抑圧の三つが作用して、「見ざる・聞かざる・言わざる」の三猿状態が作られることに始まるのではないだろうか。その状態が準備されたところに本当の戦争がやってきたら、後戻りすることはほんとうに難しくなる。平和な日常は必ずしも戦争の非日常性と相反するものではなく、気味悪くも同居してしまえるのだと、歴史は教えている。


1936mark.jpg昭和11年 丙子(ひのえね)
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 ◯スペイン総選挙で人民戦線が大勝。人民戦線内閣成立。
◯独、ロカルノ条約を破棄し、ラインラントに進駐。
◯英米仏、ロンドン海軍軍縮条約に調印。
◯スペイン国会が大統領の罷免を決議。アサーニャ大統領を選出。
◯伊、エチオピアを併合。
◯仏、第一次人民戦線内閣成立。(社会党首班、共産党閣外協力)
◯スペインのフランコ指揮の軍がスペイン領モロッコで反乱。
◯フランコの反乱が本土に及び、スペイン内戦勃発。
◯仏、賃金低下で人民戦線綱領実現を求めるストが全土に拡大。
◯第11回夏季オリンピックがベルリンで開幕。
◯ギリシャでクーデター、独裁制へ。
◯英仏、スペイン内戦に不干渉を宣言。
◯独、ニュールンベルクでナチス党大会開催。(再軍備四か年計画を発表)
◯ロンドンのスペイン内乱不干渉委員会に24か国が参加。
◯ソ連、スペイン共和国援助を声明。
◯スペイン反乱軍がフランコを国家主席に任命。
◯仏フラン切り下げ、金本位制から離脱。
◯スペイン人民戦線内閣が、バスク人の自治を認める。
◯伊の外相が独ベルリンを訪問。独伊枢軸の成立。
◯スペイン、反乱軍がマドリードを包囲。政府は首都をバレンシアに移す。
◯独伊がフランコ政権を承認。
◯ソ連、臨時大会でスターリン憲法を採択。
◯英、エドワード8世が退位、シンプソン夫人との結婚を選ぶ。
◯アメリカ州会議21か国が参加し、主権尊重、相互防衛のリマ宣言。
◯エジプトが英と新条約、英軍がスエズ地域以外から撤退。
◯トルコがモントルー国際会議でボスポラス海峡の海峡管理権を返還。

◯上海で各界救国連合会を結成。
◯紅軍、山西省へ侵攻。長征の主力部隊が黄河を渡る。主力が西北に集結。
◯紅軍が国民政府に“停戦講和一致抗日”を通電。「反蒋」のスローガンを封印。
◯徳王が関東軍の援助で内蒙古自治政府を樹立。
◯上海で救国連合会が国民政府に対し“連共抗日”を要求。
◯国民党二中全会で抗日救亡案を否決し、対日和平政策を強調。
◯共産党委員会が国民党にあてた書簡を公表。“抗日民主国共合作”と“民主共和国”の樹立を提唱。
◯国民政府が抗日運動活動家らを逮捕。
◯張学良が掃共作戦に反対し、蒋介石を一時軟禁、抗日を迫る。(西安事件)
◯中共の周恩来が調停し、蒋介石は洛陽に帰る。
◯関東軍が指揮する内蒙古軍が綏遠省に侵攻するも中国軍に敗退。(綏遠事件)

◉華北駐屯軍司令官に「北支処理要綱」を指示。華北五省に日本指導で自治を企図。
◉日本、ロンドン海軍軍縮会議からの脱退を通告。無制限建艦競争へ。
◉2月26日、皇道派青年将校が「昭和維新・尊皇討奸」のクーデター。下士官兵1400で官邸などを襲撃し
斉藤内大臣、高橋蔵相らを殺害。2.26事件勃発。
◉東京市に戒厳令布告。(7月18日解除)
◉事件の反乱部隊に原隊復帰勧告「兵に告ぐ」が出され、5時間で帰順。
◉岡田内閣総辞職。近衛文麿が組閣を命じられるも辞退。広田弘毅内閣。
◉内務省がメーデー禁止を通達。
◉立憲民政党斎藤隆夫による粛軍演説。
◉軍部大臣現役武官制の復活。
◉思想犯保護観察法、不穏文書取締法などを制定。
◉陸軍軍法会議で2.26事件の軍関係者に判決。死刑17人、執行。
◉講座派学者と左翼文化団体関係者を一斉検挙。(コム・アカデミー事件)
◉国際オリンピック委員会、1940年の第12回夏季オリンピック開催地を東京に決定。(1938年に返上)
◉五相会議で「国策の基準」を決定。大陸と南方への進出と、対ソ・対米軍備の充実など。
◉閣議で「第二次北支処理要綱」を決定。華北五省に防共親日満地帯の建設をうたう。
◉四川省成都で日本人新聞記者2名が殺害(ほか2名重傷)される。(成都事件)
◉内務省が大本教に解散命令。
◉ひとのみち教団初代教祖御木徳一を逮捕。(後に結社禁止)
◉外務省が国号を「大日本帝国」、元首の称号を「天皇」に統一。
◉日独防共協定に調印。
◉帝国在郷軍人会令を公布。民間の私的組織から陸・海軍相所管の公的機関になる。

・この年に亡くなった人にはこんな人も…。斎藤実。高橋是清。夢野久作。二宮忠八。池田菊苗。鈴木三重吉。下田歌子。魯迅。イワン・パブロフ。オットリーノ・レスピーギ。マクシム・ゴーリキー。

◎同盟通信社が開業。
◎警視庁消防部救急車六台を導入。増加する交通事故(年間2万件、死者400人)に対応するため、「119」番も開設し救急病院173か所指定。
◎東京地方、54年来の大雪吹雪となる。(2.26の前々日から)
◎ベルリン五輪に日本選手179人が参加。河西三省がラジオ実況放送。「前畑ガンバレ」を36回も連呼。三段跳びと水泳で金メダル3。
◎内務省が2.26事件を契機に特高課や治安警察強化を決定。
◎警視庁、2.26事件を風刺するような扮装や言動を禁止する旨通達。
◎阿部定事件。東京尾久の待合で情夫を殺害、下腹部を切り取る。
◎銀行の一県一行が提唱され、地方銀行の合併が促進。
◎文部省が小学校の国史教科書を国体明徴に沿って改定。
◎東京・永田町に国会議事堂が落成。使用資材はすべて国産品で。

◎初の国立公園記念切手「富士箱根」発行。
◎警視庁の赤バイが白バイになる。
◎わが国初の海底トンネル、関門鉄道トンネル着工。(全長3600m、6年後に完成)
◎全日本職業野球連盟の設立。
◎秋田県尾去沢鉱山の沈殿池ダム決壊。死者250人、行方不明者330余人。
◎常磐線日暮里駅=松戸駅間の電化工事が完成。上野=松戸間は汽車・電車の併用運転開始。
◎東京平井にライオン洗濯科学研究所設立。洗濯講習会に3年で600回開催。
この頃、主婦の洗濯法研究が盛ん。
◎北海道庁、婦女子身売り防止運動を開始。
◎長野県軽井沢の別荘が1000軒を超える。
◎内務省が自殺の続発を防ぐため、昆虫採集用の青酸カリも販売禁止に。

◎落語家・講談師250人が愛国園芸同盟を設立。カーキ色折襟に戦闘帽を制服に。
◎松竹が神奈川県大船に撮影所を開所。
◎シャリアピン(世界最高といわれたソの声楽家・バス)日比谷公会堂で独唱会。宿泊先の帝国ホテルでシャリアピン・ステーキ(1円30銭)登場。
◎横山隆一「江戸ッ子健ちゃん」東京朝日新聞東京版に連載開始(「フクちゃん」漫画の前身)
◎講談社絵本『乃木大将』『四十七士』『岩見重太郎』など。
◎江戸川乱歩『怪人二十面相』少年倶楽部に連載開始。
◎日本精神をうたうパンフレット(10銭本)が多数氾濫し、本が売れなくなったと言われる。
◎大正7年に鈴木三重吉が始めた『赤い鳥』が廃刊に。
◎“平易で健全な歌”国民歌謡の放送開始。第1回「日本よい国」。
◎日劇ダンシングチーム「ジャズとダンス」初公演。
◎東京日比谷映画劇場で米映画『真夏の夜の夢』の特別公開。初のロードショウ。

■流 行:アルマイトの弁当箱・男児のセーラー服・キューピー人形
■映 画:邦:人生劇場・赤西蠣太・祇園の姉妹。洋:ミモザ館・白き処女地・幽霊西へ行く
■ 本 :吉川英治/宮本武蔵・山本有三/真実一路・太宰治/晩年
■ 歌 :忘れちゃいやよ(扇情的と発禁に)・東京ラプソディ・ああそれなのに・椰子の実・男の純情。童謡:うれしいひなまつり・春の歌
■ことば:兵に告ぐ・今からでもおそくない・切らせていただきます

dendenmushi.gif(2014/09/05 でんでんむし蛇足の記)
 ヨーロッパでは、アーネスト・ヘミングウェイやジョージ・オーウェル、ロバート・キャパらを中心として、戦場の様子が世界中に影響を与え、またピカソのゲルニカを生んだスペイン内戦。
 そして日本では、陸軍内部の主導権争いが皇道派の壊滅、東条英機ら統制派の政治的発言力増大という結果を生み、その後の日本の進路に影響をもたらす2.26事件の年である。
 ただ、この事件を生じることになった時代背景と社会状況は、単なる失敗軍事クーデターとしてみることもできない、そういう厄介さを秘めている。東北や北海道では娘の身売り、一方軽井沢には別荘1000軒という矛盾は、なにかを突き動かさずにはいない。『赤い鳥』も飛ぶことをやめたし、決して「日本よい国」などと歌っていられるようなときでもなかった。
 陸軍がとりつくろうような、「血気にはやる青年将校が不逞の思想家に吹き込まれて暴走した」といった話ではなかったのではあるまいか。これを機に、軍部が首を縦に振らなければ内閣が成立しないという事態になってしまう。
 誰かが「龍馬信者を疑え」と書いていたが、同様になんとか維新を名乗る連中にも要注意であろう。
 この年に発表された統計データでは、初婚の平均婚姻年齢は夫が27.9歳、妻が23.9歳。かなり遅い、と思うのは、でんでんむしの両親の結婚と比較してしまうからだろうか。
 父は21歳、母は19歳で、この年に結婚している。二人が同じ屋根の下で暮らしていたことなど、結婚を急ぐ事情があったのだろうか。母はいったん家を出て実家縁者の家から嫁いでくる、という形式を踏んでいる。
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