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1932☆『思い出の索引』★でんでんむし@アーカイブス☆わたしたちが生きてきた時代とは… [年表]

 われわれはどこから来て、どこへ行こうとしているのだろうか…。
 この年表は、主に三種類の元資料(以前から愛用の三省堂・小学館版二種に新たに河出版をプラス)を突き合わせながら、でんでんむし自身が理解できるように、主な歴史の動き、流れをだいたいでいいから、改めてなぞってみようという目的のためにつくっている。
 その年がどういう年であったのかを、ざっくりとつかみやすいように、読みやすいようにあえて日付を省略し、同年内での時系列順にも拘らないことにしている(本邦初、前代未聞の年表!)。
 また、数多あるその年のできごとのどれどれをピックアップするかも、かなり恣意的かつ感覚的で適当ではあるが、バランスは失してはいないので偏りはないつもりである。

1932mark.jpg昭和7年 壬申(みずのえさる)
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◯米スチムソン・ドクトリン、日本の満州侵略を承認せず。
◯アイルランド行政府主席が英国王への宣誓を拒否。
◯独でナチス突撃隊禁止令。
◯ローザンヌ賠償会議で対独賠償額を20億金マルクに削減。
◯ソ連がポーランド、エストニア、ラトビア、フィンランドと不可侵条約に調印締結。
◯独総選挙でナチス党が230議席を獲得し第一党に。
◯ハンガリーで極右反ユダヤ主義者の内閣ができる。
◯英、英・ソの通商条約破棄を通告。
◯仏・ソ不可侵条約調印。

◯汪・蒋両派が妥協、南京に新国民政府を樹立。(広東政府は解消)
◯上海に上陸した日本海軍陸戦隊と、中国軍が戦端を開く。(上海事変)
◯満州国が建国宣言。首都は新京。溥儀が執政として元首に就任。
◯チベット軍が政府軍と交戦。
◯瑞金の中華ソビエト政府が日本に宣戦布告。
◯日本と上海、停戦協定に調印。
◯日本が満州国を承認し、日満議定書に調印。
◯チベットが独立を宣言。政府軍が停戦協定に調印。
◯国際連盟中国調査委員(リットン調査団)報告書公表。
◯シャム王国(タイ王国)で立憲革命が起こり、立憲君主制に移行。

◉関東軍が錦州を占領。
◉米国務長官スチムソンが、満州の新事態を承認せずと通告。
◉朝鮮人李奉昌が天皇の馬車に爆弾を投げる。(暗殺未遂、桜田門事件)
◉第一次上海事変。
◉関東軍がハルピンを占領。
◉前蔵相井上準之助が東京本郷で血盟団員小沼正に暗殺される。(血盟団事件)
◉リットン調査団来日。
◉上海日中停戦協定調印。
◉陸海軍将校らが首相官邸などを襲撃。犬養毅首相が殺害される。(5.15事件)
◉警視庁に特別高等警察部、各府県にも特高課を置く。
◉内田外相が議会で満州国承認の決意を表明。(焦土演説)
◉満州国承認。日満議定書に調印。
◉国際連盟理事会で松岡洋右全権がリットン報告に反駁。

・この年に亡くなった人にはこんな人も…。井上準之助。團琢磨。梶井基次郎。初代江戸家猫八。新島八重。ジョン・フィリップ・スーザ。ジョージ・イーストマン。

◎上海戦線の廟行鎮占領で、陸軍一等兵3名が爆弾筒を抱えたまま相手陣地に突入し爆死したと、戦争美談が喧伝される。
◎映画五社が一斉に「爆弾三勇士」を封切、ラジオ、出版、芝居と大ブーム。ところが、これは後で戦意高揚のために誇大に捏造された話だとわかる。(「爆弾三勇士」事件)
◎東京上野駅が落成し、開業。
◎総武線御茶ノ水=両国間が開通。中央線と連絡する。
◎熱海の共産党会議で一斉検挙。(熱海事件)
◎東京地裁判事尾崎陞らを共産党シンパとして検挙。(司法官赤化問題)
◎三井合名理事長團琢磨が血盟団員に暗殺される。(血盟団事件)
◎静岡県大宮町(現・富士宮市)で1200戸焼失、石川県小松町では1100戸焼失の大火。
◎地方の自力更生のシンボルとして二宮金次郎の像が大量につくられる。
◎東京市が5郡82か町村を合併、35区の総人口は497万人となる。(世界2位の規模)

◎NHKが第1回のラジオ調査、嗜好番組の1位は浪花節の57%、以下講談、落語、人情話、義太夫、民謡。
◎東京銀座に服部時計店が落成。時計塔がシンボルに。
◎日豊本線全通し、九州一周の幹線が完成。
◎富士山頂に気象観測所を開設。
◎銀座の柳が復活。
◎チャップリンが来日。
◎小林一三が東京宝塚劇場(現在の東宝)設立。
◎日本橋白木屋デパート(現東急百貨店)で初の高層建築火災。裾を気にした女店員らが飛び降りられず14人死亡、重軽傷者21人。(これ以降、女性のズロースが普及した)
◎白木屋の火事の原因は、クリスマスの飾りつけからセルロイド玩具に引火したもので、セルロイド玩具の人気が急落。金属製おもちゃが増加。
◎女の子の間ではゴムなわ飛びが流行。軍需用でゴムの輸入量が増え、ゴムおもちゃも。
◎大日本国防婦人会発足。

■流 行:コリントゲーム
■映 画:邦:生まれてはみたけれど・天国に結ぶ恋・忠臣蔵。洋:三文オペラ・自由を我等に
■ 本 :谷崎潤一郎/盲目物語・堀辰雄/聖家族・武田麟太郎/日本三文オペラ・島崎藤村/夜明け前第一部・長谷川如是閑/日本ファシズム批判
■ 歌 :満州行進曲・影を慕いて・銀座の柳・天国に結ぶ恋・島の娘・涙の渡り鳥。童謡:蛍・牧場の朝・電車ごっこ・一番星みつけた
■ことば:非常時・話せばわかる・問答無用・欠食児童・挙国一致・時局・青年将校・王道楽土

dendenmushi.gif(2014/08/28 でんでんむし蛇足の記)
 大陸で宣戦布告なき戦争に踏み出した日本。爆弾三勇士の話がガセだったというのは、いつわかったのだろうか。やっぱり、戦後になってから…だろうね? 講談社の絵本で、これも見た覚えがある。絵本の爆弾は魚雷みたいに長いもので、これを兵隊三人が抱えて、鉄条網を巡らせたトーチカに迫って行くところの絵をよく覚えていた。
 映画や歌までできた爆弾三勇士フィーバーは、首謀者の思惑通り、戦争遂行の地ならし・プロパガンダとしては大成功を収める。
 このときから、新聞やラジオなどのマスコミが、競争で話を大きくして、世の中の一部のムードが逆にことの収集がつかなくしてしまうという事例が、日中戦争の入口で、すでに発生していたわけだ。
 この頃の日本では、暗殺が横行していた。防弾チョッキの注文が多くなったといい、犬飼首相も周辺から贈られていたらしい。だが、彼は「命はいつ捨ててもしかたがないよ」と言ったという。
 話せばわかる時代から、問答無用の時代に…。中国との交渉に努め、軍部を牽制していた犬飼の暗殺は、大正末期から昭和にかけて、どうにか歩みはじめていた政党内閣制に、大きな危機をもたらすことになる。
 以前、ChinchikoPapaさんからは1921年秋の安田善次郎暗殺は、大磯でいまだに語り草になっています」とのコメントをもらっていた。その年には原敬が暗殺されていて、その影に隠れてしまっていたのだが、この時代の日本人は平気で気に入らない人間を殺していたわけで…。
 就職難に、身売りに、欠食児童に…庶民の生活は、とても戦争どころではなかったはずなのだが…。
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タグ:年表
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