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1931☆『思い出の索引』★でんでんむし@アーカイブス☆わたしたちが生きてきた時代とは… [年表]

 われわれはどこから来て、どこへ行こうとしているのだろうか…。
 この年表は、主に三種類の元資料(以前から愛用の三省堂・小学館版二種に新たに河出版をプラス)を突き合わせながら、でんでんむし自身が理解できるように、主な歴史の動き、流れをだいたいでいいから、改めてなぞってみようという目的のためにつくっている。
 その年がどういう年であったのかを、ざっくりとつかみやすいように、読みやすいようにあえて日付を省略し、同年内での時系列順にも拘らないことにしている(本邦初、前代未聞の年表!)。
 また、数多あるその年のできごとのどれどれをピックアップするかも、かなり恣意的かつ感覚的で適当ではあるが、バランスは失してはいないので偏りはないつもりである。

1931mark.jpg昭和6年 辛未(かのとひつじ)
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◯ソ連、トルコと黒海艦隊の現状維持を海軍協定を結ぶ。
◯スペインで共和革命。スペインブルボン王朝終わり共和派の臨時政府。
◯ヨーロッパの強行深刻化。独、賠償の支払い困難を表明。
◯フーバー米大統領が、独賠償と戦債支払いの一年延期を各国に提案。(フーバー・モラトリアム)
◯仏・ソ不可侵条約。
◯英、失業手当削減を含む筋腫財政法成立。ロンドン、リバプールなどで労働者の暴動。
◯オーストリアでファシストの一揆起こる。
◯英、水兵の反乱。
◯英で金本位制の停止。世界的な信用恐慌に。
◯独、ナチスなどの右翼勢力が“ハルツブルグ戦線”。これに対抗して社会民主党などが“鉄の戦線”。
◯エジプト・シリア友好条約。
◯政治犯釈放を条件にガンジーが円卓会議に出席。ロンドンで第二次英・印円卓会議。不服従運動広がる。
◯ニューヨークでエンパイア・ステート・ビルディング完成。高さ375メートル、102階建て。
◯汪兆銘らの反蒋連合が、広州に国民政府。
◯国民党が広東派と妥協、紅軍討伐を宣言。
◯長春郊外の万宝山で、入植の朝鮮農民と中国農民が大衝突。(万宝山事件)
◯関東軍が奉天郊外の柳条溝で満鉄線路を爆破し、中国軍の仕業として総攻撃を開始。
◯柳条溝事件を国政連盟に提訴。国際連盟の救急理事会招集。
◯上海で抗日大集会開催。
◯上海で蒋介石、汪兆銘、胡漢民の三者会談。広東両政府の和平予備会談。
◯国際連盟理事会が、日本に満州撤兵勧告。
◯廃帝となっていた宣統帝溥儀が、日本軍の援助で天津を脱出し満州へ入る。
◯江西省の瑞金で毛沢東が中華ソビエト共和国臨時政府を樹立。
◯国際連盟理事会が満州問題調査委員会設置を決定。

◉桜会橋本欣五郎中佐らが、民間右翼大川周明らと組んだクーデター計画が発覚。宇垣一成陸相を首班とする軍部内閣樹立を目論むが、土壇場で宇垣が拒否したため未遂。(3月事件)
◉永田鉄山ら参謀本部と陸軍省の将校が「満蒙問題解決方策大綱」を作成し、武力解決への推進をはかる。
◉参謀本部の中村大尉が北満の興安嶺をスパイ旅行中に中国軍に殺害される。事件から50日後にこれを公表し、対中国強硬論が勢いづく。
◉万宝山事件の朝鮮人と中国人の衝突原因は、水争い。日本と朝鮮の半中国感情を煽り、朝鮮各地では報復暴動が起こる。(中国人109人殺害)
◉関東軍の板垣征四郎・石原莞爾らが奉天郊外の柳条溝の満鉄線路を爆破。関東軍司令官本庄繁が、これを中国軍の仕業として総攻撃を命令。満州事変勃発(柳条溝事件)。
◉関東軍が奉天、撫順などを占領。
◉朝鮮軍司令官林銑十郎、関東軍の要請により国境を越えて満州の吉林へ進出。天皇の統帥権を犯した林は、後に“越境将軍”と呼ばれ、独断越境進撃を賞賛する軍人も現れる。
◉政府は不拡大方針を、二度にわたって声明。
◉関東軍参謀石原莞爾らが、独断で錦州爆撃を強行。国際的非難を浴び日本は孤立。

◉12対1で国際連盟理事会で日本への満州撤兵決議が可決される。
◉参謀本部のロシア班長橋本欣五郎らが、荒木貞夫中将を首班とする軍部内閣の樹立を計画。憲兵隊に検挙され、未遂。(10月事件・錦旗革命事件)
◉関東軍がチチハルを占領。
◉特務機関長土肥原賢二らが、清朝の廃帝溥儀を天津から大連へ脱出させる。
◉金輸出の再禁止令公布施行。

・この年に亡くなった人にはこんな人も…。小出楢重。北里柴三郎。山川健次郎。人見絹枝。浜口雄幸。渋沢栄一。久米邦武。アンナ・パヴロワ。アンドレ・ミシュラン。トーマス・リプトン。トーマス・エジソン。

◎北海道・東北の冷害・大凶作。娘の身売りが急増。各地で一家離散の悲劇。
◎満州事変勃発で、株式・商品の市場が大暴落。
◎ダット自動車製造が新型小型自動車製造(ダットサン)。
◎リンドバーグ夫妻が太平洋を横断して霞ヶ浦に飛来。
◎ラジオ聴取契約者が100万人を突破。
◎石川県山中温泉で大火、740戸焼失。新潟県白根町では、402戸焼失,死傷者五十余人。
◎日本航空輸送旅客機が福岡県山中に墜落し3人が死亡(初の旅客機事故)。
◎羽田飛行場(後の東京国際空港)開港。
◎満州事変の第一報をラジオ放送。臨時ニュース第1号。
◎三輪自動車「ダイハツ号」登場。
◎東洋工業はオート三輪「マツダ号」を発売。
◎清水トンネル(9702メートルは世界最長)開通により上越線全通(上野=新潟間が7時間10分に短縮)。
◎国立公園法施行。
◎大阪城の天守閣が、鉄骨鉄筋コンクリート造で再建。
◎東京中央郵便局、丸の内に完成。
◎海軍省、軍縮条約により工廠工作部の職工8200人の整理を発表。

◎文部省が各学校に新しい御真影の下賜を始める。
◎こどものおもちゃにも鉄カブトや発火装置のついた戦争玩具が爆発的に売れる。
◎新宿ムーランルージュの開場。
◎神宮体育大会で、南部忠平が走り幅跳び(7.98m)の、織田幹雄が三段跳び(15.58m)の、ともに世界新記録を樹立。
◎トーキーで失業した楽士のクラリネットを加えた和洋折衷のちんどん屋登場。
◎野村胡堂『銭形平次捕物控』をオール読物に連載開始。
◎河原崎長十郎らが前進座を結成。
◎平凡社『大百科事典』28巻を刊行。
◎田河水泡『のらくろ二等卒』少年倶楽部で連載開始。
◎婦人雑誌の付録が普通号にもつくようになり、付録合戦が常態化。

■流 行:レコードがブーム。
■映 画:邦:瞼の母・マダムと女房(初の本格トーキー)。洋:モロッコ(初のスーパーインポーズ)
■ 本 :長谷川伸/一本刀土俵入・金田一京助/アイヌ叙事詩ユーカラの研究・直木三十五/南国太平記
■ 歌 :侍ニッポン・巴里の屋根の下・酒は涙か溜息か・丘を越えて。童謡:こいのぼり・花かげ。
■ことば:生命線・いやじゃありませんか

dendenmushi.gif(2014/08/26 でんでんむし蛇足の記)
 1929年の張作霖爆殺事件で軍部に対し、厳正な処分が行なわれなかったことが、軍部の独断独走を許すことになったといえる。そのことが、ついに大陸で半島で如実に現れてくる。
 しかも、この年には3月事件と10月事件と、二度も同じ人間が軍部クーデターの企みにかかわるなど、もうめちゃくちゃである。加えて政府は、不拡大方針を二度も声明しながら、なんら実効をあげられず、軍部の制御に関して無能力をさらけだす。
 そして、民衆は生命線を守れとばかりに単純に戦争ムードにあおられ、簡単に乗せられていく…というようなことは、もちろん今だから言えることではあるが…。
 戦争おもちゃの素早い登場にも驚かされるが、でんでんむしも誰かからもらった戦闘機(車輪がついていて、転がすとバリバリと機銃が火を吹く)で遊んでいた記憶があるくらいだ。
 一方での、東北や北海道の悲惨な状況にはかまわず、これからいよいよこれからだんだんと戦争一色になっていくことになるのだが、まだ多くの日本人は深刻に受け止めていなかったのだろう。
 でんでんむしの母方の曾祖母が、広島で亡くなる。この人の実家は広島白島の電車通りにあったらしい(資料はないので後年に自分で調べた)が、その家は今も続いている。しかし、これで母方の苗字を継ぐ人間は、でんでんむしの母一人だけになってしまう。  
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