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1926☆『思い出の索引』★でんでんむし@アーカイブス☆わたしたちが生きてきた時代とは… [年表]

 私たちはどこから来て、どこへ行くのか? 
 これは、過去からこれまでの人類の永遠の疑問のように思えます。人びとは、この疑問に解を見出そうと、叡智を絞ってきました。 
 その結果、宗教が生まれ、哲学が発達し、さまざまな歴史が記され、宇宙や地球の謎が解かれてきました。人類が築いた学問体系とは、結局は、冒頭の疑問に取り組んできた成果なのだと思います。(池上 彰『おとなの教養 私たちはどこから来て、どこへ行くのか?』序章冒頭 NHK出版新書 2014/04 刊) 
  
❖年表の元ネタ主な参考資料:三省堂『コンサイス世界年表』三省堂編修所編。河出書房新社『昭和・平成 家庭史年表』下川耿央・家庭総合研究会編。小学館『昭和・平成 現代史年表』神田文人編など。

1926mark.jpg大正15年・昭和元年 丙寅(ひのえとら)
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◯ギリシャで独裁政権。共和国憲法を廃止。
◯ルーマニア・ポーランドが同盟条約調印。
◯独・ソがベルリン条約で友好中立を約す。
◯英で炭鉱ストライキからゼネストへ。275万人が参加。
◯ポーランドとポルトガルで軍部のクーデター。
◯英・トルコがモスル協定、仏・ルーマニアは友好条約を調印。
◯常任理事国になれなかったブラジルが国際連盟を脱退。
◯仏で左翼連合政権が終わり、ポアンカレ挙国一致内閣が成立。
◯ギリシャの独裁政権が倒れ、総選挙で共和派が辛勝。
◯ソ・アフガニスタンが中立不可侵条約。
◯独が国際連盟に加入し、常任理事国となる。
◯ポーランドで独裁政権。
◯英帝国会議がロンドンで開催、バルフォア宣言でイギリス本国と自治領の地位は平等と、王への共通の忠誠をうたう。
◯イラン・トルコ・アフガニスタンが相互安全保障条約。
◯蒋介石が広東で戒厳令。共産党員を逮捕。(中山艦事件)
◯段祺瑞が臨時政府執政を辞し下野。
◯国民政府が北伐を決定。
◯蒋介石が国民革命軍総司令官に就任。北伐を開始。長沙、漢陽など占領。
◯張作霖が天津で安国軍総司令に就任。

◉京都帝大はじめ全国の社研学生を検挙。初の治安維持法適用。
◉赤尾敏ら在郷軍人会などと第1回建国祭。
◉大阪松島遊郭移転にからむ疑獄事件発覚。
◉労働農民党結成(委員長:杉山元治郎)。
◉平野力三らが全日本農民組合同盟を結成。日本農民党の結成。
◉文相が学生の社会科学研究と批判の絶対禁止を通達。
◉福岡連隊差別事件への抗議運動をしていた、松本治一郎ら全国水平社幹部が、爆破陰謀容疑で一斉検挙される。
◉日本共産党再建、社会民衆党、日本労農党など結成。
◉大正天皇崩御。摂政裕仁親王が践祚。
◉昭和と改元。12月25日から12月31日が昭和元年となる。
◉昭和天皇が西園寺公望に「元老として補弼せよ」と勅語を下す。

・この年に亡くなった人にはこんな人も…。加藤高明。島木赤彦。尾崎放哉。渋川玄耳。尾上松之助。クロード・モネ。ライナー・マリア・リルケ。

◎東京京橋電話局にダイヤル式電話機導入。400人いた交換手が18人に。
◎東洋レーヨン、日本レイヨンの設立。
◎社団法人日本放送協会設立。
◎人見絹枝がスエーデンの国際女子陸上競技大会で個人総合優勝。
◎日本航空が大阪=大連間の定期航路。
◎日本郵船が香港=サンフランシスコ間航路を開設。
◎北海道十勝岳再噴火、144人死亡。
◎山陽本線広島の安芸中野駅付近で特急列車が脱線転覆。死者34人。これ以降に車体の鋼鉄化が進む。
◎東京で貸家が急増。家賃を下げても不況で借り手が増えず。
◎同潤会が代官山に建てた文化アパートが人気で申し込みが殺到。
◎東京隅田川の永代橋が完成。高強度のマンガン鋼を橋梁に使用したのは世界初。
◎東北帝国大学の八木秀次と宇田新太郎により八木・宇田アンテナの考案特許取得。
◎豊田佐吉が豊田自動織機製作所を設立。
◎陸軍陸地測量部が5万分の1地形図の内地測量を完成させる。

◎関東地方では大正時代までは台所は板の間に座って調理というスタイルだったが、立ち式台所が普及し始める。(関西以西では土間床に立つ方式だった。)
◎電熱器が人気に。
◎杉野芳子がドレスメーカー女学院開校。
◎大阪の浦上商店(後のハウス食品)がホームカレー発売。
◎東京浅草の和菓子屋舟和の小林和助が考案した“みつ豆”が大人気で普及。
◎東京銀座で資生堂が道行く人の服装を調査。午後の1時間で、男性は洋装が797で和装が349、女性は洋装22に対し和装は494だった。

◎吉川英治『鳴門秘帖』。
◎川端康成『伊豆の踊子』。
◎改造社『現代日本文学全集』刊行(円本時代始まる)。
◎子どもの遊びにアウト鬼、水雷艇長などの集団対抗のゲームが登場。
◎大正天皇崩御で、お正月用の遊び道具おもちゃが消える。
◎流行歌:鉾をおさめて・モン巴里・ヨサホイ節・国境警備の歌。童謡:この道・など。

dendenmushi.gif(2014/08/16 でんでんむし蛇足の記
 関東地方では台所は板の間に座って調理していたというのは、初めて知った。ちょっとびっくり。 
 それにしても、三度三度の食べることというのは、人間にとって、なんという試練であろうか。水道もない、ガスもない。煮炊きをするのはかまどや七輪である。かまどでごはんを炊くということからして大仕事で、はじめに火種になる紙などと燃えやすい細く割った木や枝で火をつけ、それからだんだん薪が燃えるようにしていく。
  これもほっておいてはダメで、火の番をちゃんとして薪をくべていき、燃え方が悪い時には竹の筒を吹いて息を送り込んでやらなければならない。そしてはじめちょろちょろなかぱっぱ…。
  電熱器が人気になったというのは、実によくわかる。まさに革命的な熱源だったろう。 
 でんでんむしの父は11歳、母は7歳のこの年、短かった大正時代が終わる。
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タグ:年表
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