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1924☆『思い出の索引』★でんでんむし@アーカイブス☆わたしたちが生きてきた時代とは… [年表]

 われわれはどこから来て、どこへ行こうとしているのだろうか…。この言葉を本のタイトルにしているのが、関野吉晴さんである。『グレートジャーニー全記録』(毎日新聞社、2006年刊)では、①移動編 我々は何処から来たのか/②寄り道編 我々は何処に行くのか、としているが、これもその冒険の壮途へのはなむけにもまとめにもぴったりなのだろう。
 また、ゴーギャンの絵を使っているのはNHKで、連続して流していた『シリーズ世界遺産100』のタイトルに絵とフレーズをかぶせていた。これと世界遺産を結びつけるのには、ツー・クッションぐらい必要なようにも思うが、まあそれもありなのだろう。
 でんでんむしが、この言葉に行き着いたのはずっと昔のことで、なんで啓発されたのかもよく覚えていない。だが、その興味の持続する延長線上に、歴史があり、生物学があり、考古学があり、地質学があり、天文学があり、そして…SFがあったのである。
 年表ほど具体的にその一面を捉えて展開してくれるものは、ほかにないようにも思うのだが…。

1924mark.jpg大正13年 甲子(きのえね)
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◯中国国民党全国代表大会で連ソ・容共・工農扶助の方針を明示(第一次国共合作)。
◯英で初の労働党内閣となるマクドナルド内閣が成立。(同年再び保守党内閣に戻る)
◯ソ連が、レーニンの死に伴い、ペトログラードをレニングラードと改称する。
◯英がソビエト政権を承認。この年、伊・仏も続いて、またオーストリアも承認。
◯伊総選挙でファシスト党が投票総数の65%を獲得勝利。(自分の都合のいいように選挙法を改正した結果、議席数が10倍に)
◯米国で排日条項を含む移民法(排日移民法)が成立。日本人の移民が全面禁止される。
◯ギリシャの人民投票で共和制支持、共和国宣言。
◯仏総選挙で左翼連合が過半数を得る。
◯伊社会党議員マテオッチがファシストに暗殺される。これに抗議して野党が退席、事件解明と国防義勇軍の解散を求める。
◯伊、出版物検閲法を公布。反政府派の集会を禁止。
◯独、賠償専門委員会のドーズ案を議会で承認。
◯国際連盟総会で、ジュネーブ議定書を採択。国際紛争の平和的解決をうたう。
◯スペインのアルフォンソ13世とリベラ将軍がローマを訪問し、両独裁政権同士の友好を演出。
◯孫文が軍官学校を設立。校長が蒋介石で、政治部主任が周恩来。
◯孫文が奉天派・安微派と三角同盟、北伐を再開。奉直両軍が戦闘開始。
◯奉直戦争で奉天派軍閥の張作霖が直隸派を破る。
◯紫禁城から皇帝溥儀が追放され、日本公使館へ避難。
◯第1回目の冬季オリンピック・シャモニー大会開幕。
◯米RAC社が、ロンドン=ニューヨーク間の写真電送実験に成功。
◯米陸軍航空隊のダグラスDWC編成部隊が、初の航空機による世界一周を175日かけて達成。

◉皇太子裕仁親王(後の昭和天皇)と良子女王(後の香淳皇后)ご成婚
◉政友・憲政・革新三派が第二次護憲運動を開始。
◉皇居二重橋で爆弾を投げようとした朝鮮人が逮捕される。
◉上野精養軒で護憲全国記者大会開催。
◉日本共産党が解党を決議。
◉第15階総選挙で護憲派が大勝。
◉外務省が中国内政への不干渉と満蒙の利権擁護を発表。

・この年に亡くなった人にはこんな人も…。松方正義。黒田清輝。中村彝。富岡鉄斎。ウラジーミル・レーニン。フランツ・カフカ。ガブリエル・フォーレ。ジャコモ・プッチーニ。アナトール・フランス。

◎御成婚記念により上野公園・上野動物園が宮内省より東京市に下賜、上野恩賜公園・恩賜上野動物園となる。
◎東京市営乗合自動車二系統で運行開始。都バスの元祖。11人乗りで円太郎と呼ばれる。
◎米の排日法に対し東京の15の新聞社が共同宣言。
◎東京市内の映画館の代表が、アメリカ映画の上映見合わせを決める。
◎東京医師会がアメリカ人の治療を拒否。日米開戦の噂も。
◎パリオリンピックに日本選手19人が参加。織田幹雄が三段跳びで6位入賞。
◎孫文が北京に向かう途中で神戸に立ち寄り、大アジア主義を唱え日本の対華政策に警告。
◎丹那トンネル工事で再び崩落事故。
◎青森県八戸町で大火、1223戸焼失。
◎樺太大泊=北海道小樽連絡船の「大礼丸」が、能登呂岬沖で沈没。196人死亡。
◎元警視庁警務部長の正力松太郎が「読売新聞」を買収、社長におさまる。
◎羽越線、新津=秋田間が全通。裏縦貫線が完成。
◎阪神甲子園球場完成。(甲子(きのえね)の年に因んで命名)
◎岩淵水門が完成し、荒川放水路通水式。(隅田川と分水)
◎西表島北北東海底火山が噴火。その後大量の軽石が漂流し、日本各地の海岸に漂着。
◎明治神宮外苑競技場竣工。

◎名古屋で第1回選抜中等学校野球大会開催。(大阪毎日新聞社主催)
◎洋服の実用化が進み、アッパッパと呼ばれる夏の簡単服が流行。
◎東京の交通事故死は月に15人。交通巡査に逮捕権がなく、ほとんどが轢き逃げ。
◎埼玉県大宮に盆栽村ができる。その前から盆栽が世界的ブームに。
◎東京小石川に高級住宅分譲地“大和村”。
◎広島の薬屋大下回春堂が、日本初となる液体殺虫剤「フマキラー液」を発売。
◎小山内薫・土方与志らが築地小劇場を開設。“演出”の語を使う。
◎石井茂吉と森沢信夫が、写真植字機の試作機をつくる。(実用機の完成は昭和5年)
◎精工舎がモリス型「セイコー」を発売。商標とする。
◎山崎亀吉の尚工舎時計製造所が、懐中時計「シチズン」の第1号完成。後藤新平東京市長が名付け親。

◎新聞に天気図の掲載が始まる。
◎東京浅草の玩具職人鈴木福太郎が、現在のようなけん玉を考案。
◎大阪毎日新聞社が発行部数100万部突破の社告。大阪朝日新聞社もこれを追い同様の社告。
◎谷崎潤一郎『痴人の愛』連載開始。(大阪朝日新聞)
◎宮沢賢治『春と修羅』に続いて『注文の多い料理店』を自費出版。
◎東京音楽学校演奏会で「第九交響曲」が初めて日本人の演奏と合唱により初演。
◎アメリカ映画『幌馬車』公開。人気。
◎嵐寛・千恵蔵・右太衛門・伝次郎・阪妻らのチャンバラ映画が人気。
◎キネ旬の芸術映画一位に『巴里の女性』、娯楽映画一位に『幌馬車』。
◎流行歌:月は無情・スットトン節。童謡:証城寺の狸ばやし・あの町この町・兎のダンスなど。

dendenmushi.gif(2014/08/12 でんでんむし蛇足の記)
 中国大陸では、軍閥の跋扈でわけのわからない状態が続いているが、排日運動も相変わらずで、朝鮮でも日本の支配に抵抗が続く。そのうえ、アメリカの排日も一向に解決しないどころか、法律で排日を決定的にしてしまうが、これにも対抗手段がない。
 この時期、日本はだんだんととんでもないところに押しやられようとしているように見える。
 「セイコー」よりも「シチズン」よりも、「フマキラー」は馴染みがあった。これも案外古くからあったことになる。“液”だから、これを使うためにはブリキでできた噴霧器が必要である。手押しポンプ式のものがでてきたのがいつだったか知らないが、戦後まだしばらくまではフマキラーが入った瓶にストローのついたような簡易噴霧器を入れて、口で吹きかけて霧状に噴霧する仕掛けになっていたと思う。戦後しばらくまで、この方法が主だった。
 つまり、ハエやカやゴキブリなどは、どんな家にもそこらじゅうに飛び回り這いまわっていたということだ。したがって、ハエ取りの道具だけでも、ずいぶんいろいろなものがあったが、最もポピュラーなのがハエ取り紙とハエ叩き!
 でんでんむしが仕事のうえで関係がでてくる写真植字機も、このへんで誕生しかけていた。写研とモリサワの因縁話は、ここから始まる。
 この年には、でんでんむしの祖父の父(曽祖父69歳)が広島市で亡くなっている。祖父は、これを契機に朝鮮から引き上げてきたのだろう。そして広島で家督を次ぐ。このとき祖父38歳、父は9歳であった。
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タグ:年表
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