1126 城ヶ鼻=佐渡市米郷(新潟県)強く吹き付けてくる西風を受け止めている岩礁の浜と岬とお墓と… [岬めぐり]

大砂塵の吹き付けてくる先は、眼を開けていられないのでよく見通せないが、台ヶ鼻の出っ張りの南と西の端まで、この荒れ地が広がっているようだ。
そして、この西の端っこが城ヶ鼻で、ここはまた小さな飛び出しがあるので、ブルドーザーの侵攻からそこだけは免れているらしい。
台ヶ鼻灯台というバス停は、なんとなく中途半端な位置にある。青い門の柵がある場所からは、ずっと米郷のほうに向かって下っていったところで、道路の途中。人家も何もない場所に、バス停だけがある。

しかも、その広い道の先には、もう次のバス停が見えて…はいなかったが、すぐこの先。
そのバス停が米郷で、これも集落の東の外れにある。トタン板で囲っただけの待合所が、この風のなかではおおいにありがたい。

その裏に出ると、左手に張り出しているのが城ヶ鼻で、その下の海岸は台ヶ鼻灯台の下から続く岩礁地帯である。

沖に見えるほうが、地図では双股岩と表示がある岩島であろう。その手前にも小さな岩が白い波を食んでいる。

海岸からせり上がる斜面の上のほうには、お墓がいくつか並んでいる。こういった光景は、地方のそれもどちらかというと繁華な町ではない、辺鄙な場所ばかり歩いている岬めぐりでは、毎度おなじみの風景である。
先祖代々、その土地に生き、その土地で暮らしを立ててまた子孫にバトンを渡して、死んでいく。そういうリレーが、延々と繰り返されてきたんだなあ…。それこそ、人の歴史であり、生きていくということなんだなあ…。
お墓をみると、いつもそういう感慨があって、多少厳粛な気分にもなる。佐渡の人は何宗が多いのか(日蓮さんもいたので日蓮宗か?)わからないが、それにもかかわりなく、お墓参りにも熱心なようだ。
あちこちで、お墓に花を供え、お参りにきている人を見かける。どうも、そのお墓に供える用の花も、ちゃんと畑の隅で自分で育てているらしい。
そりゃ畑があるんだから、そうするのが普通だよね。すぐにスーパーで売っている仏花を思ってしまうこっちのほうが普通ではないのかもしれん。
上の台ヶ鼻灯台のバス停の写真で、道路脇に寄せて停めてあった軽自動車も、どうやらお墓参りのクルマらしかった。
先日の新聞に、そんな地方でも無縁墓が増えて、その処理に困っているという記事があった。墓を守る人がいなくなってしまうというのは、実に寂しいというか、バトンを受け継ぐ人も渡す人もいなくなってしまうという現実が、無残なものにも思えてくる。
西からの風が強いので、バス停のトタンの板に身を寄せて、隠れるようにして写真を撮る。

次の七浦海岸線のバスがやってくるまでには、まだだいぶ間がある。ケータイでタクシーを呼んで(でんでんむしのケータイはこういうときにしか使うことがない)長手岬のホテルまで運んでもらうことにする。
しばらくタクシーがやってくるのを待つ待合所のコンクリの床には、新聞紙が広げて置いてある。見ると、新潟日報のスポーツ面で、そこには「広島ルーキー躍動」「田中逆転弾 大瀬良好投」その隣には「19歳森…」という見出しも。2014年は4月25日付の紙面であった。

大瀬良もこの頃は次々勝てていたのだが、なかなかその後がうまくいかない。8月9日長崎の日にも勝てなかった。これも修業だな…。野球の世界も、こうしてどんどん新しい人が出てきて活躍してくれるとうれしい。バトンリレーがうまくいっているからだ。
やってきたタクシーの運転手さんに、この付近に薬局があったら寄りたいというと、首をひねっている。相川まで行かないとないんじゃないかと言う。なるほど。そうだろうな。ないだろうな。
わかっているつもりでも、ついつい忘れてしまう。
米郷のバス停から長手岬のホテルまでは、およそ2.6キロくらい。道路は集落と港の上の高いところを通り過ぎるが、その間、米郷から稲鯨と集落が続く。“いなくじら”という名前もおもしろそうだが、ここも“稲”があるしね…。米と稲が並んでいるのには、なんかワケがないといかんでしょ…。

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