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1917☆『思い出の索引』★でんでんむし@アーカイブス☆わたしたちが生きてきた時代とは… [年表]

われわれはどこから来て、どこへ行こうとしているのだろうか…。この言葉の初出は、バルザックとかカーライルの『衣服哲学』とかいわれるが、はっきりしない。有名なのはゴーギャンの「我々はどこから来たか 我々は何者か 我々はどこに行くのか」と題する絵(1897年制作)。そのゴーギャンも『衣服哲学』を読んでいた可能性が大きいというので、カーライル説が有力らしい。
 ただ、ここまで広く人口に膾炙して有名になると、元々が基本的・根源的な問いでもあるので、誰が言ったかを問題にすることもない、ともいえる。
 そういうことで、まあ臆面もなく使えるわけで…。

1917mark.jpg大正6年 丁巳(ひのとみ)
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◯米ウィルソン大統領が“勝利なき平和”を提唱。 
◯独が無制限潜水艦作戦(再開)を宣言。 
◯米が独の無制限潜水艦作戦の再開は協約違反だと国交断絶。 
◯露ペトログラードなどで工場の大ストライキ。 
◯露、国会臨時委員会が臨時政府を樹立。ニコライ2世が皇帝を退位(ロマノフ朝滅亡・二月革命)。 
◯中国が独に宣戦布告。(すべての条約と義和団事件の議定書を破棄) 
◯レーニンが独の封印列車で露に帰国。 
◯ファイサル・イブン・フサインと英軍ロレンス大尉(アラビアのロレンス)が率いる対オスマン帝国反乱軍がアカバを奪取。 
◯露臨時政府がレーニンらの逮捕を命じる。 
◯フィンランド、露からの完全独立を宣言。 
◯露ペトログラードでポルシェビキ武装蜂起(十月革命)。ソヴィエト政権が樹立される。 
◯英、バルフォア宣言を発表(ユダヤ人国家建設を支持約束)。 
◯独、ベルタ長距離砲でパリを砲撃。 
◯ウクライナ人民共和国が独立宣言。 
◯ソ連、独・オーストリアと和平交渉開始。帝政露の秘密交渉を暴露。全権が無併合・無償金民族自決を提案。 
◯米、第一次大戦に参戦。

◉英が山東省の独権益と赤道以北独領諸島につき、日本の要求を講和会議で筋する旨約す。 
◉金・地金輸出取締令が出され、金本位制が停止。 
◉日米間で石井・ランシング協定締結(中華民国の独立と門戸開放・機会均等の尊重を約し、満州の日本の特殊的地位を米が承認)。 
◉中国の段内閣に財政支援。

・この年に亡くなった人にはこんな人も…。山路愛山。片山東熊。フェルディナンド・フォン・ツェッペリン。エドガー・ドガ。リリウオカラニ。オーギュスト・ロダン。 

◎日本工業倶楽部(理事長・団琢磨)創立。
◎理化学研究所創立。
◎三菱造船の設立、古河鉱業、大倉鉱業の設立。
◎製造業の原動機馬力数で、電動機が蒸気機関を抜く。
◎元海軍大尉中島知久平が日本初の飛行機製造会社「飛行機研究所」を群馬県尾高町(大田町に移転)で創立。
◎満鉄経営の撫順炭鉱で炭塵爆発。917人死亡。この年だけで829件もの事故。
◎北海道全域で大暴風雪。死者行方不明者160人。
◎福岡県桐野炭鉱でガス爆発361人死亡。翌年にも再爆発事故で71人死亡。
◎室蘭日本製鋼所の職工3000人が賃上げ要求スト。
◎鶴見の浅野造船所で、職工6000人の暴動。
◎大阪鉄工所因島工場で職工6000人が賃上げ要求スト。
◎東京・京都の両帝大卒業生のうち、民間会社へ就職者の数が官界へ行く者を超える。

◎東京湾で「大正六年の大津波(高潮水害)」が発生。佃、月島、築地、品川、深川地区が浸水。横浜港で多数の船が転覆、行徳の塩田も壊滅、市川、船橋など千葉県の東京湾岸一帯でも被害。(関東大水害)
◎山形米沢で大火、2300戸焼失。
◎台風による暴風雨で、近畿・東海・関東で流失家屋38910戸、死者1127人、不明者197人。東海道線が10日にわたり不通となる。
◎両国の国技館が全焼。回向院も類焼。3年後の再建までは靖国神社境内で相撲興行。
◎陸羽東線が全通。
◎横浜大さん橋が完成。
◎東京築地に「治作」(水たき料理店)開店。
◎東京深川に「赤札堂」開店。

◎日本煉乳株式会社が森永乳業に、極東練乳が明治乳業に。
◎三島海雲が乳酸菌飲料の工業化に成功。「カルピス」発売。
◎千葉県野田市などの醤油醸造業者(茂木家・高梨家など8家)が、過当競争を避けるため「野田醤油」を設立。(後のキッコーマン)
◎旭電化、日本油脂が人造バターを発売。
◎日華・吉原・日清の各製油会社が設立。
◎松下幸之助が大阪で電球ソケットの製造を開始。

◎石川武美「主婦の友」創刊。
◎永井荷風『断腸亭日乗』の執筆開始。死の前日まで42年間継続。
◎萩原朔太郎『月に吠える』
◎志賀直哉『城の崎にて』
◎菊池寛『父帰る』
◎沢田正二郎らが新国劇を結成。
◎浅草オペラが人気。客席から俳優の名を呼んだり楽屋に押しかけて体に触れるなど、“ペラゴロ”と呼ばれるファンが出現。
◎「活動写真」が「映画」という名で呼ばれるようになる。
◎流行歌:さすらひの歌・酒場の唄・安来節

dendenmushi.gif(2014/07/29 でんでんむし蛇足の記)
 中立のたてまえから参戦がし難かったアメリカが、ロシアで革命が起こったことで連合国側に加わることができるようになったというのも、歴史の皮肉というものであろうか。コトが錯綜すればするほど、そういうことも起こりやすくなる。第一次世界大戦は、大量殺人新兵器の実験場にもなってしまったが、そのなかでも無線通信の世界的な普及と進歩が果たした役割も、極めて大きい。
 年表の項目には現れることがなくても、「通信」と「暗号」、そしてその「解読」がその行間にあった。
 日本では戦争景気で浮かれたところもあったが、インフレや不作の影響も出始めている。炭鉱の事故というのは戦後までずっと続いていくのだが、労働者の待遇改善を求めるストライキも頻発する。日本でも工業化が急ピッチで進んでいく。この年目立つのは、明治以来最先端工業であった油脂化学業界の動きと、松下さんの創業であろう。その第一号製品はアタッチメント・プラグ(電灯のソケットからアイロンや電熱器など電化製品のプラグとして受電する)で、二股ソケットはこの後である。
 いずれも、まったくオリジナルな発明品ではない、最初はなかなか売れなかったのを改良と工夫でというところが、松下さんらしくていいと思うな。
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タグ:年表
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