1915☆『思い出の索引』★でんでんむし@アーカイブス☆わたしたちが生きてきた時代とは… [年表]
われわれはどこから来て、どこへ行こうとしているのだろうか…。この言葉の初出は、バルザックとかカーライルの『衣服哲学』とかいわれるが、はっきりしない。有名なのはゴーギャンの「我々はどこから来たか 我々は何者か 我々はどこに行くのか」と題する絵(1897年制作)。そのゴーギャンも『衣服哲学』を読んでいた可能性が大きいというので、カーライル説が有力らしい。
ただ、ここまで広く人口に膾炙して有名になると、元々が基本的・根源的な問いでもあるので、誰が言ったかを問題にすることもない、ともいえる。
そういうことで、まあ臆面もなく使えるわけで…。
1915大正4年 乙卯(きのとう)
◯イタリア王国ローマ近郊アヴェッツァーノで大地震(M6.8、死者約3万人)。
◯独軍がツェッペリン飛行船による英本土の空爆を開始。
◯トルコ、スエズ運河を攻撃。
◯独海軍がイギリス周辺を交戦海域に指定。(Uボートによる無制限潜水艦戦開始。無警告轟沈を宣言し対英封鎖を図る。)
◯ベルギーのイーペル会戦で、ドイツ軍が毒ガス使用。フランス兵15000人が中毒を起こし、およそ5000人が死亡。
◯連合国によるダーダネルス海峡進攻(ガリポリ上陸作戦)が失敗。
◯英仏露伊がロンドン密約調印。(伊が連合国側に参戦する代わりに、南ティロル、トレンティノ、トリエステなど領有を認める。)
◯英客船ルシタニア号が、ドイツのUボートの攻撃を受けて沈没。乗客1198人が死亡。そのうち米国人が139人。米が独に抗議。
◯伊がオーストリアに宣戦(連合国側で参戦)。独、伊と国交断絶。
◯伊とオーストリア・ハンガリーが、伊北部の国境地帯イソンゾ川付近をめぐって、十数次にわたる激戦を繰り広げる。
◯米海兵隊がハイチに上陸。革命運動を鎮圧し占領する。
◯独、ワルシャワについでブレスト、リトフスクを占領。
◯伊、トルコに宣戦。
◯スイスで国際社会主義者会議。(レーニンら11か国38名参加)
◯米、ハイチを保護国に。
◯ブルガリア、セルビアに侵入宣戦(同盟国側で参戦)。
◯英仏、ブルガリアに宣戦。
◯英、クテシオンでトルコ軍に敗れる。
◯袁世凱が中華帝国の皇帝を宣し、元号を洪憲とする。
◯昆明で帝政反対、独立を宣言し倒袁軍おこる(第三革命)。
◯露中蒙が三国協定。外蒙古に対する中華民国の宗主権に合意確認。
◯日英仏露伊の5か国が単独不講和宣言。
◉中華民国の袁世凱政権に「対華21ヶ条」を要求。
◉袁世凱政権が「対華21ヶ条要求」を受諾回答。(その後中国はその日を国辱の日とする)
◉漢口で三菱支店が襲撃を受ける。(上海、漢口など日貨排斥運動)
◉英仏露のロンドン宣言(戦後の権益に関する連合国側の秘密協定)に日本が加入。
◉台湾台南のタパニーで2500人が抗日蜂起。132人の死刑。(西来庵事件)
◉地中海を航行中の日本船が、相次いでドイツのUボートに撃沈される。靖国丸・八阪丸(金貨を積んでいた)・常陸丸など。
◉戦争景気で東京株式市場が大暴騰。一時立会停止。
・この年に亡くなった人にはこんな人も…。長塚節。井上馨。ナサニエル・ロスチャイルド。ファーブル。
◎南洋諸島の酋長ら22人が石貨などを土産に来日し話題になる。
◎南洋群島小学校規則を制定され、島民のこどものための小学校を開校。
◎長崎=上海間の海底電線が開通。和文電報取り扱い。
◎北海道落石無線局でハワイからの無電を初受信。
◎北海道落石と露ペトロパブロスク間で国際無線電信開業。
◎日本とアメリカの間でも無線通信業務開業。
◎第1回全国中等学校優勝野球大会(後の全国高等学校野球選手権大会=甲子園大会だがこのときは豊中で参加10校)が開催(朝日新聞社主催)。
◎武蔵野鉄道、池袋=飯能間で開通。
◎宮城県気仙沼で大火。
◎山口県宇部東見初炭鉱(海底炭鉱)で浸水事故。死者234人。
◎長野県上高地の焼岳が爆発し、梓川に池が出現。大正池と命名。
◎杉本京太らが邦文タイプライターの特許取得。
◎西尾正左衛門が“かめのこたわし”の特許取得。たちまち全国に普及。
◎田熊常吉がタクマ式ボイラーの特許取得。
◎早川徳次が早川式金属繰出鉛筆“シャープペンシル”を発売。
◎『婦人之友」が家庭用の仕事着として“割烹着”を発表し、普及し始める。
◎丸美屋商店(ミツワ石鹸)が、初の企業内研究所化学研究所を設置。三菱・古河・住友などもこれに続く。
◎資生堂が「花椿」の商標を制定。
◎婦人のパーマネント機械が輸入される。
◎女学生の間で袴の裾を括りあげたブルーマ普及。
◎神奈川県鎌倉町が極楽寺、坂の下、由比ヶ浜、材木座で町営海水浴場を開く。
◎米リグレイのチューインガム“世界的煙草代用品”として売りだす。
◎近代劇協会チェーホフの『桜の園』を帝国劇場で初演。
◎芥川龍之介『羅生門』。
◎徳田秋声『あらくれ』。
◎夏目漱石『道草』。
◎松井須磨子の劇中で歌う『ゴンドラの唄』が大人気に。
◎流行歌:ゴンドラの唄・乾杯の歌・現代節
(2014/07/25 でんでんむし蛇足の記)
第一次大戦にイギリスの要請を受けて参戦した日本は、ドイツの租借地だった山東省でのドイツ権益の引き継ぎや善後処理と、懸案の満蒙の権益問題や在華日本人の保護問題などを含めて対華要求を出す。
実はこの頃の中国内の情勢は極めて混沌としており、袁世凱が自分の支配がために懸命であった。要求のなかには袁世凱側が望んだものもあったが、彼らはそれをすべて日本の横暴として宣伝した。中立であったアメリカだけでなく、戦争相手国のドイツとも共謀して国内世論を煽った、とされる。
イギリス大使も、中国側の態度はまことに了解しがたいと北京政府に注意し袁大総統に直接申し入れた、というくらいだ。
同じドイツ支配地の日本占領地域でも、南洋諸島のほうはおおらかに友好ムードがあったようで、日本もさっそく学校をつくったりしている。これは第二次大戦のときにもそうだったが、その下地が第一次大戦によって、できていたのだ。
この年は、でんでんむし史上も重要な年であった。
でんでんむしの祖父(29歳)が、19歳の新妻を娶っている。といっても、式をいつどうしたのかは記録がない。婚姻の届出をして、同じ年の1か月後にはでんでんむしの父が生まれている。できちゃった婚、である。しかも、生まれたのは朝鮮の京城大和町…。
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