1914☆『思い出の索引』★でんでんむし@アーカイブス☆わたしたちが生きてきた時代とは… [年表]
われわれはどこから来て、どこへ行こうとしているのだろうか…。この言葉の初出は、バルザックとかカーライルの『衣服哲学』とかいわれるが、はっきりしない。有名なのはゴーギャンの「我々はどこから来たか 我々は何者か 我々はどこに行くのか」と題する絵(1897年制作)。そのゴーギャンも『衣服哲学』を読んでいた可能性が大きいのだというので、カーライル説が有力らしい。
ただ、ここまで広く人口に膾炙して有名になると、元々が基本的・根源的な問いでもあるので、誰が言ったかを問題にすることもなくなっている、ともいえる。
そういうことで、まあ臆面もなく使えるわけで…。
この年は、ちょうど今から100年前!(2014記)


◯米海兵隊がメキシコのベラクルスを占領。
◯英中・チベットの国境線画定協定。(マクマホン・ライン)
◯オーストリア皇太子フランツ・フェルディナント大公がボスニアのサラエボでセルビア人青年によって暗殺される(サラエボ事件)。
◯孫文らが東京で中華革命党を結成。
◯オーストリア=ハンガリー帝国がセルビアに48時間期限付き最後通牒。
◯露がオーストリアにセルビアの回答期限延長を要求するも拒否される。
◯英外相が開戦回避のため英仏独伊の会談を図るが独が反対し不成立。
◯オーストリアがセルビアに宣戦布告、第一次大戦が始まる。
◯露が総動員を発令。
◯独が露に動員中止の最後通牒を送る。
◯オーストリア、独、仏、総動員令。
◯英、独仏にベルギーの中立尊重を要求するも、独が拒否。
◯独、露に宣戦布告。中立国ベルギー侵入。
◯独が仏に宣戦布告。仏も独に宣戦布告。
◯英が独に宣戦布告する。
◯米は局外中立を表明。伊、スペインも中立を宣言。
◯オーストリアが露に宣戦。
◯仏、オーストリアに宣戦。
◯英、オーストリアに宣戦。
◯パナマ運河開通式。
◯パナマ運河開通式。
◯独、ブリュッセルに入城。
◯タンネンベルクの戦い。以後、東部戦線は膠着状態。
◯英仏露が単独不講和を表明。(ロンドン宣言)
◯マルヌの戦いが始まる。仏軍の総反撃。以後、西部戦線は膠着状態。
◯独参謀総長モルトケが辞職。独、アントワープ占領。
◯トルコ参戦。英仏、トルコに宣戦。
◯英、キプロス島併合を宣言。
◯独オーストリア、ワルシャワ・クラフクで露軍と激戦。
◯英が日本艦隊のダーダネルス海峡への派遣を要請(日本は拒絶) 。
◯英がエジプトを正式に保護国化。
◯クエート侯国、カタール侯国が英の保護下に入る。
◯フォード・モーターが従業員の8時間労働と日給5ドルの最低賃金導入を発表
◉シーメンス事件。海軍の収賄事件で、第1次山本内閣総辞職。
◉国民党などが内閣弾劾決議案を議会に提出。衆議院で否決。
◉内閣弾劾国民大会開催(日比谷公園)。民衆が国会議事堂を包囲。軍隊出動。警官が記者や民衆に切りつける。
◉英大使、日本に対独参戦を要請。
◉元老会議で対独参戦を決定。日本が独に宣戦布告。
◉日本が独租借地の山東省に上陸。膠州、労山、青島付近を占領。
◉海軍機(水上ファルマン機)が青島戦に参加。日本初の飛行機実戦使用。
◉日本海軍、赤道以北の独領南洋諸島を占領。
◉独軍捕虜4461人収容のため、全国9か所に捕虜収容所設置。
・この年に亡くなった人にはこんな人も…。昭憲皇太后。フランツ・フェルディナント大公。
◎桜島が大噴火。死者35人、2268戸焼失。溶岩流出で大隅半島と地続きに。
◎駿河湾汽船「愛鷹丸」が戸田沖で風浪により沈没。定員の5倍121人死亡。
◎富山神通川大水害、静岡安倍川大洪水。
◎夕張炭鉱、新夕張炭鉱で相次ぎガス爆発。死者438人。
◎函館で大火。
◎福岡三菱北城炭鉱でガス爆発。667人死亡、日本最大の炭鉱事故。
◎辰野金吾設計による東京中央停車場が新築落成。
◎東京駅開業(東海道本線の始発駅が新橋駅から東京駅に変更、新橋駅は汐留貨物駅に改称)。東京駅発の一番列車は早朝の横須賀行き。
◎快進社、大正博覧会でDAT一号(15馬力乗用車)を発表。
◎日本橋三越呉服店新装開店(エスカレーターやライオン像が話題)。
◎東京六大学野球リーグ開始。
◎ニチロ(現マルハニチロ食品)設立。
◎伊藤忠合名会社設立。
◎日本楽器がハモニカの製造開始。
◎芸術座公演「復活」(松井須磨子ら)。
◎宝塚少女歌劇(現在の宝塚歌劇団)第1回公演。
◎反省社(『中央公論』の発行所)が中央公論社に改称。
◎『少年倶楽部』創刊(大日本雄弁会)。
◎下中弥三郎が平凡社を創業。
◎用紙の洋紙生産高が和紙を超える。
◎阿部次郎『三太郎の日記』 。
◎内藤湖南『支那論』。
◎「流行歌」ということばが使われ始める。
◎流行歌:故郷を離るる歌・朧月夜・まっくろけのけ節・カチューシャの唄・青島節

バルカン半島の一角で起こった一事件をきっかけにして、世界の多くの国を巻き込んでいく第一次世界大戦が始まってから、今年はちょうど100年目。しかも、開戦の日が7月末ということで、いままさに100年前!
思えば、この戦争はなにがなんだかよくわからない。とくに日本人一般にはやっぱり遠い戦争だったと言ってよい。書店の店頭には、第一次大戦の本を集めたコーナーもできている。
『世界史劇場 第一次世界大戦の衝撃』(ベレ出版・神野正史著)という本は、なかでも異色の本である。真面目一筋の堅物人からは眉をひそめられそうだが、そここそがこの本のおもしろさであろう。(説明するのはむつかしいしめんどくさいので、ぜひ手にとってみてくだされ。)でんでんむしも、この本で初めて、第一次大戦のいきさつと全容をどうにか理解することができた(かもしれない)。
地理的にはヨーロッパの主戦場から遠い極東の日本も、イギリスの要請を受ける形で参戦し、中国大陸や南洋諸島のドイツ領を攻める。実際には青島などは日本とイギリスの連合軍として戦っている。
地理的にはヨーロッパの主戦場から遠い極東の日本も、イギリスの要請を受ける形で参戦し、中国大陸や南洋諸島のドイツ領を攻める。実際には青島などは日本とイギリスの連合軍として戦っている。
いまや、青島といえばビールの名前だろうというくらいだろうが、浮かれ気味の日本人は青島陥落でまた提灯行列などをやっている。
ドイツ領が、なんでそんなところにあったのかというと、1897(明治30)年に西欧列強が競って中国大陸に手を伸ばしていたとき、ドイツは青島を含む膠州湾一帯を当時の中国政府から租借していたからだ。膠州湾の湾口にあったのが青島で、ドイツはそこに要塞を築いてドイツ東洋艦隊を配備していた。
ドイツ軍の捕虜は日本各地の収容所に送られ、日本での第九の初演奏も徳島の板東俘虜収容所で行なわれるなど、西洋人と日本の一般人の接触が生じるのも、初めてのことだったろう。ドイツのパン、ドイツの菓子、楽器の演奏、鉄棒体操などを日本人が知ったのもこのときからだったといわれる。

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