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番外:宿根木=佐渡市宿根木(新潟県)吉永小百合さんも行った千石船の里の風情と行けなかった新谷岬… [番外]

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 小木港の弁天崎から次の岬は、2.6キロ西へ行った宿根木(しゅくねぎ)の新谷岬である。ところが、とんだチョンボがあって、新谷岬そのものの写真がない。いや、写真がないだけでなく、その現地を正確に見ていなかったことが、後で判明してしまった。
 大きな思い違いから、そのときに新谷岬と思って見ていたのは、そのもうひとつ西側の出っ張りの先っちょだったのである。どうして、こんなことになってしまったのだろう。
 記憶に頼ってふらふらしていたことへの、警告と受け止めておき、ここではしかたがないから「番外」ということにして、宿根木について項目を残してみた。
 事前になにも調査をしないでやってくると、ときにあーっと驚くようなことにぶち当たることがある。たとえば、この宿根木のように…。
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 東から来ても西から来ても、だらだらと坂を下って海岸に向かって降りて行く。道路の上から見ると、狭い細い谷の間に、このワンセットの集落が風を避けるためのように、すっぽりとはまりこんでいるのだ。屋根は黒い瓦葺きに混じって丸い石を並べたものもある。下りきると大浜と呼ばれていた浜に出るが、海側にはコンクリートを打っただけの駐車場と、岩場が頭を出している入江がある。そのあちこちには、白さがひときわ目立っている花崗岩の石柱が立っている。昔は、船を繋ぎ留めるものだった。
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 沖にも岩礁があるらしく、白い波がったっている。開かれた水路はわずかで、港のようではあるが、これでは大きな船は入ってこられないだろう。ひょっとして、あの大地震と関係があるのだろうか。
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 道路の内側には、竹の風よけと濃い茶色で塗装が統一された木造の古そうな民家が軒を寄せ合い、その間をすり減った石畳の路地が通る。建物はすべて総二階で、狭い限られた敷地のなかでの発展方向が上に向くしかなかったことが想像できる。
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 メインストリートの脇には細い水路があり、三角の板壁の家がある。これも限られた土地に合わせて家を建てたからだろう。
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 井戸があり神社があり寺がある。神社の前に架かる石橋の石材は、入江の船つなぎの石柱と同じく、尾道から運ばれてきた花崗岩(御影石)だ。
 この谷間の小さな集落には、一時期(1824(文政7)年の記録)には13艘もの回船の船主がいたという。ということは、当然その回船事業に付随する船大工を始めとするさまざまな仕事に関わる人々が集まり、120戸500人もの人が蝟集していた。
宿根木という集落の特殊性は、そのようにしてできたのであろう。現在も人が住み暮らしているが、集落始まりの頃と同じように、農漁業の生活に戻っている。大浜でバスを待っていると、軽トラックが来て止まって、荷台から作物の箱を抱えて集落に消えて行った。
 佐渡から帰って来たら、JRの駅々(JR東日本限定)に吉永小百合さんがこの路地に立っている写真が、でかでかと張り出してあったので、びっくり〜。
 もうひとつ、でんでんむし的興味から感動したことがある。
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 すり減った石畳の路地の奥に、「柴田収蔵の生家」というのがそこにあった。名前だけはちょっと知っていたくらいだが、この人は1820(文政3)年にここで生まれ、1859(安政6)年に江戸で亡くなっている。惜しい人だった、と思う。もっと長生きしていれば、きっと歴史にもっと大きく名を刻んだ人だったろう。
 “もっと・きっと”の柴田収蔵は、幕府の蕃書調所絵図調書役という、いまでいえばさしづめ国土地理院のような仕事をしていた。個人蔵とかで、一般に見ることはできないが、ペリー来航の一年前に、彼が残した「新訂坤輿略全図」(1852(嘉永5)年刊行)があり、これには“Syukunegi”という記述もちゃんと挟み込まれていて、そういうことができる愛すべき人だったようだ。
 申し遅れました。「坤輿(こんよ)」というのは、「非常に大きな輿(こし)=大地、地球」のことで、つまり「大世界地図」なのです。
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 宿根木の谷の東上の台地には、昔の小学校の建物を利用した「佐渡国小木民俗博物館」がある。なんでも、宮本常一の強い勧めがあったというが、実にさまざまな民俗資料・生活雑器などが多数集められ保存されている。
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 その隣のばかでかい新館は、「白山丸」を展示するためにできたものである。これは、柴田収蔵が江戸で亡くなる前の年に、宿根木で建造された「幸栄丸」の実物大復元船(512石積み)で、宿根木の白山神社にちなんで「白山丸」と名付けられたものだという。
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 実際には千石には足りないが、板に残されていた設計図どおりに忠実に復元された船内まで入ってみることができる。こういう船で日本の近海を周回していたのだと思うと、われわれのご先祖さんたちがやたら愛おしく思えてくる。イベントの時には、外へ引き出して、帆を張り上げることができるらしい。
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 博物館の前には、広い敷地の端にこの集落で使われたという石見が能登の瓦が黒いのと板葺き丸い石置きの両方の屋根の郵便局がある。
 この横の細い道をまっすぐに行けば、新谷岬があったのだ…。なんともかんとも…。

▼国土地理院 「地理院地図」
37.802766, 138.244566
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dendenmushi.gif信越地方(2014/05/16訪問)

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タグ:新潟県 歴史
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