1910☆『思い出の索引』★でんでんむし@アーカイブス☆わたしたちが生きてきた時代とは… [年表]
われわれはどこから来て、どこへ行こうとしているのだろうか…。この言葉の初出は、バルザックとかカーライルの『衣服哲学』とかいわれるが、はっきりしない。有名なのはゴーギャンの「我々はどこから来たか 我々は何者か 我々はどこに行くのか」と題する絵(1897年制作)。そのゴーギャンも『衣服哲学』を読んでいた可能性が大きいというので、カーライル説が有力らしい。
ただ、ここまで広く人口に膾炙して有名になると、元々が基本的・根源的な問いでもあるので、誰が言ったかを問題にすることもない、ということらしい。
そういうことで、まあ臆面もなく使えるわけで…。
◯日露両国は米国提案の南満州鉄道中立化案を拒否
◯清中国革命会の蜂起、失敗。汪兆銘の摂政王暗殺失敗。
◯清が幣制則例を制定(銀本位制の導入)
◯英自治領として南アフリカ連邦成立
◯リスボンで共和制革命。
◯独ウイルヘルム二世と露ニコライ二世がポツダムで会談。ペルシャ北部での露の自由行動と独のバクダード鉄道計画を承認。
◯地球がハレー彗星の尾の中を通過。
◯フランスの飛行家がロサンゼルスで1383ヤード(約1269メートル)の高度飛行の世界記録。
◉寺内正毅陸相が韓国統監を兼任
◉韓国警察事務を日本に委託させる。
◉幸徳秋水・管野スガら検挙。(大逆事件)
◉第二次日露協約調印。秘密協定で満州を両国の特別利益地域に分割。
◉韓国併合: 日韓併合条約調印。
◉韓国併合: 朝鮮総督府設置(韓国統監府改組)寺内統監が朝鮮総督。
◉大審院で大逆事件第1回公判(非公開)。
◉朝鮮の政治結社に解散命令。
・この年に亡くなった人にはこんな人も…。梅謙次郎。小林富次郎。マーク・トウェイン。エドワード7世。ロベルト・コッホ。オー・ヘンリー。フローレンス・ナイチンゲール。アンリ・ルソー。アンリ・デュナン。レフ・ニコラエヴィチ・トルストイ。
◎日野熊蔵大尉、戸山ヶ原で飛行実験に失敗。その後代々木練兵場で(グライダー式単葉機の飛行に成功。高度10メートル、距離60メートルだがこれが日本初の記録。
◎徳川好敏大尉、代々木練兵場で高度70メートル、距離3000メートル、4分の飛行に成功。(アンリ・ファルマン複葉機)
◎帝国在郷軍人会発足(会長寺内正毅)。
◎白瀬中尉ら28人が「開南丸」で南極探険に出発。
◎鈴木梅太郎が世界初のビタミンであるアベリ酸の発見を発表。
◎宇高線の岡山=宇野間が開通。宇高連絡船も宇野=高松間開業。
◎有楽町駅開業。
◎江ノ島電鉄線の藤沢駅=鎌倉(小町)駅間全線開通。
◎呉服橋駅(東京駅の仮駅)開業。
◎京阪本線の大阪天満橋=京都五条間が開業。
◎箕面有馬電気軌道(後の阪急電鉄)が梅田=宝塚間・石橋=箕面間で開業。
◎京都・嵐山電車が開通。京都=嵐山間9銭。
◎東武鉄道、浅草=伊勢崎間が全通。
◎函館本線函館=旭川間で、直通旅客列車運転。
◎北海道で初のラッセル車導入。
◎北海道の有珠岳鳴動、地震頻発。山腹噴火により明治新山を生む。
◎東海・関東・東北にかけて、明治期最大の大洪水。死者行方不明者全国で1379人。
◎岩手県で大豪雨、大洪水再び。
◎逗子開成中学の生徒ら12名が乗ったボートが遭難し全員死亡(哀悼歌『真白き富士の根』が流行)。
◎石川県輪島町、横浜市で大火。青森市でも大火(全市7519戸焼失)。
◎北海道で暴風雪、漁船37隻が沈没。死者不明者80余人。
◎山陰で暴風雨。死者不明者41人。
◎房総で暴風雨。千葉茨城で漁船遭難、死者者1055人。
◎高知に初めて自動車が登場。この年、全国では121台の自動車保有。
◎自転車は全国で、23万9500台。
◎不二家開業。
◎丸美屋、ミツワ石鹸を発売。
◎芝浦製作所、タングステン電球の製造開始。
◎中国から麻雀が持ち込まれる。
◎尋常小学読本唱歌発行。「虫のこゑ」「春がきた」「われは海の子」「こうま」など。
◎柳田國男『遠野物語』。
◎石川啄木『一握の砂』。
◎徳富蘆花『自然と人生』が女学生に人気。
◎文芸誌「白樺」創刊(武者小路実篤・志賀直哉ら)
◎文芸誌「三田文学」創刊(永井荷風)
◎流行:水師営の会見・なんて間がいい節
(2014/07/15 でんでんむし蛇足の記)
ついに韓国を併合し名称も朝鮮としてしまう。これから1945年まで35年間にわたって、朝鮮は日本の一部とされ、しばらくは歴史年表にもあまり出なくなる。
日本でも飛行熱が高まり、軍人が空を飛び、民間人も飛行機の製作を行なう人も現れる。
前年のアメリカの満州鉄道の中立化提案には、日露が共同してこれを拒絶するわけだが、このことは結構いろいろな問題に気づかせてくれるように思う。
アメリカの強引なやりかたは今でも変わっていないという感想もあるが、これで日本に対する悪感情を勝手に増幅させたのではないか。
歴史にタラもレバもないとはよく言われることだが、しかしまた、逆にもしこのアメリカの提案を受けていたら、その後の歴史はどう動いただろうか…。
これは、そういう微妙な転回点になり得るポイントだったかもしれない。
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