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番外:小木港=佐渡市小木町(新潟県)「たらい舟」と「佐渡おけさ」の小木の話はいちおうは知っていたが… [番外]

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 ここから先は、項目の順は佐渡の南海岸線を、ぐるりと時計回りに辿っているが、実際の行動行程は行ったり来たりである。
 宿根木のさらに西になる強清水の民宿に泊まった翌日には、そこを通る宿根木線の路線バスで、佐渡南西端の沢崎まで行き、そこから5キロほど歩いてまた引き返す途中で潮早岬に寄り、宿根木からはバスで小木に戻って小木線のバスに乗り換えた。
 佐渡のバス路線はだいたいにおいて各路線を乗り継いでいけば、島を一周できるのだが、佐渡島全体でも沢崎鼻と潮掛鼻の間だけがバスが通っていない。それも当然で、この区間だけは海岸線に沿った道路がない…いや、ないわけではないのだが…。
 そこで、小木から出てまた小木に戻って…ということになる。
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 観光たらい舟を営業しているのは、外ノ澗のほうの船着場だが、小木線のバスを待つ前に寄ってみたら、ちょうど中型の観光バスでやってきたスーツ姿も目立つ一団が、たらい舟のお客になっていた。
 城山の東側に突き出た桟橋の周辺をちょろちょろするだけで、とにかく乗ったというだけだが、考えてみれば女性の力で櫂を漕ぐだけだから、そう遠くへ行けるはずもない。それにしては、「佐渡情話」のお弁のように、これを漕いで柏崎まで行くというのは相当ムリである。
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 この話がいつの時代にできたか知らないが、たらい舟のほうは1802(享和2)年以降のことだと思われる。この年の享和佐渡小木地震は、小木付近の海岸線の形を変えてしまうほどだったという。その結果、無数の岩礁が入り組んだでこぼこの多い、小さな入江が続く海岸になると、アワビやワカメなどが繁殖する、しかし、従来のような船ではその漁には適さない。
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 そこで考案されたのが、たらい舟なのだ。これは、現在でも小木一帯での漁に使われている。犬神平あたりを歩いていると、ところどころに転がしてあったそれは、青いFRP加工がしてあった。
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 観光たらい舟は、漁に使われているたらいよりも大きいのだそうで、「11人乗っても大丈夫」だとか。うまく前に進めることができれば、たらい舟操縦士免許が200円の手数料でもらえるらしい。
 いやー、観光イベントってのもたいへんだなあ。
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 たらい舟もさることながら、やっぱり佐渡といえば「おけさ」であろう。「おけさ」といっても柿ばかりではない。なんといっても『佐渡おけさ』である。フェリー発着所の前には、その像があった。
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 これを見ていて、思い出した。でんでんむしがこどもの頃に、近所でやっていた盆踊りでは、この『佐渡おけさ』で踊っていた。それやら月があ出た出たの「炭坑節」などと、今思うと結構ヘンなものだったが、それだけ全国に広まっていたということであろう。
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 この発祥と伝播についても、諸説が入り乱れているので、いったいどれが正しいのか、よくわからない。
 だが、歌のほうは大筋九州地方のハイヤ節が、北前船の船乗りたちによって小木港にもたらされたのが始まりで、それが金山の鉱夫たちの「選鉱場節」から「相川おけさ」となったりしたものだろう。
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 これが全国に広まったのは、1926(大正15)年に、実際に選鉱場で働いていた人がレコードに吹き込んで発売され、山田耕筰や藤原義江に絶賛されて歌手になり、大人気となってからだという。
 この頃の日本は、全国といってもその市場は広く大きかった。なにしろ、南樺太があり満州があり台湾があり朝鮮があったのだから…。
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 フェリーの岸壁には、ちょうど「こがね丸」がついて、船首部分をぱっくりと開けているところだった。この船の名も「佐渡おけさ」の“山にゃ 黄金の 花が咲く”の「こがね」なのだろう。

▼国土地理院 「地理院地図」
37.815586, 138.280377
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dendenmushi.gif信越地方(2014/05/16訪問)

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タグ:新潟県
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