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1112 出崎=佐渡市羽茂大石(新潟県)一時期佐渡の中心的地域であった羽茂も金山の発見以降は通り道になって… [岬めぐり]

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 出崎も前項の大迫鼻と似たような、岩礁の飛び出しである。岬というには大迫鼻よりも地形的に切迫した感じもないが、遠目にも目立つ大木が、道路に上にかぶさるように立っている。
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 海岸に飛び出した岩場は、大きく二つにまたがっている。というより、東の大迫鼻からこうした岩場が連続して並んでいるのだ。
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 そのうちのひとつには、地理院地図では1.3メートルの水準点を表記している。そういった点でも、地図上あるいは地形的にはここは陸と海の際立った接点なのでもあろう。
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 道路脇には立派な三波石のような石組が立っているが、どういう意味があるのだろう。ここは羽茂平野の東の外れで、バスは市振崎も遠くに望む大石湾を離れて、平野を北へ向かう。
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 このバスは、羽茂高校前まで行く。そこは、海岸からは直線距離で2キロほど平野の奥に入ったところである。その先の羽茂本郷が、この地域の中心であるらしい。
 どうやら、雨はあがったようだ。
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 羽茂本郷から北へは、山越えで羽茂小泊を経て弁天岩で西海岸に出るルートがあり、ここを小木線の路線バスが走っている。国道350号線は、荒磯山から南は山の中を小木まで通っているが、やはり昔の主要道は羽茂を通ったはずである。
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 そして、このルートの重要性は、相川で金山が発見されてからは、ますます重要なものとなった。相川からは南への最短ルートであり、これ以降小木が本土と佐渡を結ぶ渡海場として定められたからである。
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 佐渡市では、ジオパーク推進や世界遺産推進のための組織を設けたようで、その関連の「佐渡学センター」が作成している「佐渡市歴史年表(簡略版)」 によって、上杉氏がやってきてから金山発見され、明治に至るまでの推移をかいつまんでながめておくことにしよう。

 ●安土・桃山時代
1586 秀吉、上杉景勝に佐渡の支配を命ずる
1589 上杉景勝佐渡を攻略する
1592 景勝、佐渡各地で検地を行う
1595 秀吉、越後・佐渡の金山代官を景勝に命じる
    鶴子銀山で初めて坑道堀りが開始される(石見の国から3人の見立人が訪れる)
1600 佐渡の検地を行う
 ●江戸時代
1601 相川金銀山の開発、枡年貢騒動
1603 大久保長安、佐渡代官となる。
   佐渡金銀山に直山制を採り入れる
1605 佐渡で大船4艘を建造、金銀輸送や奉行の送迎等に供する
1608 小木蓮華峰等の弘法堂建立
1614 小木町が渡海場に定められる
1617 佐渡237か村で屋敷検地始まる(元和)
1621 相川で小判を作る
1629 中山街道ができる
1637 切支丹信徒約100名を相川中山峠で斬罪される
1643 佐渡奉行伊丹康勝、13か条の郷村制度を発令する
1645 相川春日神社に佐渡最初の能舞台建つ
1647 相川町大火、上相川の民家632軒、佐渡奉行所全焼する
1649 佐渡奉行伊丹康勝、慶安の石直し帳を全島で作成
1652 小比叡騒動 蓮華峰寺焼かれる
1653 相川札の辻を基準として一里塚を設ける
1654 佐渡河崎・羽二生で製塩を開始する
1661 佐渡で飢饉
1681 小倉大納言実起父子流罪
1693 佐渡奉行萩原重秀、全島で実測検地を開始(元禄検地)
1714 佐渡出鋼をもって始めて銅銭を作る
1750 佐渡一国農民強訴す
1761 五八ケ村重課のため越訴
1793 佐渡奉行所において油を専売にする
1799 蒲生君平来島
1800 黒沢金太郎相川において金太郎焼を創業
1803 伊能忠敬佐渡海岸測定完了
1808 佐渡奉行所、島内6か所の番所及び各裏目付所に鉄砲・長柄等を配備
   弾野・鹿伏に遠見張番所を設ける
   新発田版、佐渡に大筒を配備するため、鉄砲頭以下96人を渡海させる
1810 黒船襲来で佐渡防衛のため人数用意の幕命あり
   亀田鵬斎、佐渡の小木に渡り3か月余り滞在する
1815 佐渡奉行水野藤右衛門、奉行所内に「素読所」を設置し、素読指南を開始
1823 佐渡奉行所、相川羽田浜に広恵倉の建設を決める
1825 妙宣寺五重塔が作られる(重文)
   佐渡奉行所の学問所・武術所・医学所建設が落成、開講する
1838 不作に察しで、上山田善兵衛上訴する
1838 吉田松陰来島・真野榔陵参拝
   佐渡天保一揆、高田藩と幕府軍佐渡天保一揆鎮圧のため佐渡に駐屯する
1840 佐渡天保一揆の判断下る。
1846 佐渡奉行所、鶴子銀山の床屋跡に鋳立小屋を建て大砲を鋳造する
1858 相川町大火、1331軒、佐渡奉行所・学問教諭所(終教館)焼失
1863 佐渡奉行岡松久微、農兵隊を組織する
   佐渡警備のため長岡藩藩兵230人湊町に、高田藩220人石田屯所に駐在
 ●明治時代
1868 夷港(両津)を新潟開港場の補助港とする
   佐渡奉行所跡に佐渡裁判所をおくが廃し佐渡県を置く
   佐渡県が新潟府の管轄となり民生方役所と呼ばれる
   幕府雇用のイギリス人鉱山技師ガワー、佐渡に来島、火薬発破法を伝える
1869 佐渡県が越後府に併せられる
   佐渡県を再び置く
   佐渡鉱山が官営鉱山となる
1870 奥平謙輔廃寺合院令実施
   日本で始めて鉄船を両津で作る
1871 佐渡県が相川県と改める
1872 司馬凌海、日本最初の独和辞典を発行する
1874 内務省駅逓局所轄郵便取扱所設置される(?)
1875 佐渡の地租改正がはじまる
1876 相川県を廃し新潟県に合併、相川支所を置く 
   新潟ー夷間に不定期汽船往復を始める
1880 自由民権運動起こる。鵜飼郁次郎国会期成同盟に参加
1881 小木ー出雲崎、新潟ー夷間に定期航海始まる
1885 越佐汽船会社設立
1889 佐渡鉱山が宮内庁御料局所轄となる
1890 相川暴動起こる(新発田より軍隊出動)

▼国土地理院 「地理院地図」
37.824647, 138.324917
desakiM.jpg
dendenmushi.gif信越地方(2014/05/15訪問)

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タグ:歴史 新潟県
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