SSブログ

1904☆『思い出の索引』★でんでんむし@アーカイブス☆わたしたちが生きてきた時代とは… [年表]

 われわれはどこから来て、どこへ行こうとしているのだろうか…。

1904mark.jpg明治37年 甲辰(きのえたつ)
_------.jpg
◯米パナマ運河の工事起工。完成は10年後の1914年。
◯露バルチック艦隊の太平洋派遣を決定。
◯モロッコ分割に関する仏西協定が成立。
◯バルチック艦隊がリバウ軍港を出港。
◯バルチック艦隊がドッカンバークで英漁船を砲撃。(日本の漁船と間違えたと主張するが、英露関係緊張)
◯バルチック艦隊(本隊)がマダガスカルに入港。
◯米大統領選挙にセオドア・ルーズベルトが就任。モンロー主義からの転換を示唆。
◯朝鮮が露韓条約を破棄し、日韓協約に調印。
◯第3回夏季オリンピックがセントルイスで開催。
◯国際サッカー連盟創立。
◯ニューヨーク市の地下鉄が開業。
◯モスクワ芸術座でアントン・チェーホフの戯曲『桜の園』初演。

◉御前会議で対露交渉の断絶と軍事行動の開始を決定、日露交渉の断絶をロシアに通告。
◉日本海軍が旅順港外のロシア艦隊を攻撃し、事実上の日露戦争開戦。仁川沖海戦。日本とロシアが相互に宣戦布告。
◉第一軍が鴨緑江を渡り九連城を占領。
◉第二軍が遼東半島への上陸を開始。
◉津軽海峡を突破した露艦船により、輸送船が砲撃され、高島丸・常陸丸が撃沈。
◉満州軍総司令部、総司令官は大山巌、総参謀長に児玉源太郎、参謀総長が山県有朋。
◉黄海海戦。連合艦隊と露艦隊が衝突するも、露艦隊の主力は旅順港に逃げ込む。
◉旅順港閉塞作戦開始。第三次まで行うが第二次作戦で広瀬武夫中佐戦死。
◉第三軍が旅順総攻撃を開始するも失敗。
◉旅順203高地で遺体回収のため一時休戦。
◉第三軍が第三次旅順総攻撃で203高地を占領。旅順港への砲撃開始。
◉日本軍が遼陽を占領するも、日本側の戦死者2万3533人を数え、露側を上回る。
◉沙河で日本軍が露軍主力を攻撃するも、弾薬の不足から攻撃を中止。以後、沙河を挟んで両軍が対峙。
・この年に亡くなった人にはこんな人も…。小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)。ドボルザーク。チェーホフ。

◎日露開戦を控えて、鉄道や船舶の徴用が続く。
◎文部省学生の猶予制による徴兵忌避に厳重警告。
◎愛国婦人会が日露開戦の檄文を全会員に配布。
◎開戦でたいまつ行列や旗行列が行なわれる。
◎東京の各新聞社共同企画で、「日露戦争東京市民大祝捷提灯行列」外苑で開催。10万人が押し寄せ混乱で圧死者20人。
◎東京国華座で「帝国万歳大勝利」を上演。横浜相生座でも「日露の戦争」など、戦争劇が流行。
◎東京・横浜で日露戦争の活動写真が上映されて大人気となり、戦争実写映画が次々と公開。日露戦争絵葉書も人気に。
◎大本営に写真班設置。
◎与謝野晶子が雑誌『明星』に、旅順包囲軍に参戦中の弟の身を案じ『君死に給ふこと勿れ』を掲載。
◎幸徳秋水『平民新聞』で「共通の敵は軍国主義」と戦争反対を唱える。
◎マルクスとエンゲルスの『共産党宣言』幸徳秋水と堺利彦訳で出るもすぐ発禁処分。
◎福岡で鉄道沿線の学校職員・児童に対し、出征軍人を駅で見送るよう示達。
◎出征軍人への慰問袋や千人針の風習も始まる。
◎小樽市、宮古町、三宅島で大火。
◎浦和、高岡、川越、に電気がつく。東京電灯会社では10万灯に。
◎第一次電話拡張計画が終了。全国の電話加入者数は約3万5000戸。
◎東京市街鉄道日露戦争祝勝のイルミネーション電車を走らせる。東京市街鉄道の上野=浅草間が開通、馬車鉄道が姿を消す。
◎甲武鉄道の飯田町=中野間で運転、後に御茶ノ水まで延伸。(中央線)
◎関西大学、日本女子大、青山学院大学、駒沢大学、津田塾大学、立正大学、國學院大學、拓殖大学、龍谷大学などの前身となる専門学校などが多数開設される。

◎煙草専売法施行。民営煙草がなくなる。敷島(20本入)が8銭
◎戦争で新聞・雑誌が売れ、貸本屋が不振。
◎岡倉天心『日本の目覚め』をニューヨークで発表。
◎大阪朝日新聞で『天声人語』の掲載開始。
◎丘浅次郎の『進化論講話』をはじめ、進化論の解説書がブーム。
◎東京銀座に日本初の文房具店「伊東屋」開店。
◎東京日比谷に「松本楼」(洋風喫茶店)開店。
◎三越呉服店株式会社になりデパート開業。
◎佐藤義亮が「新潮社」を創業。
◎キャベツが一般に出回るようになり、パセリやレタスも需要が広がる。
◎こどもの遊びでも「戦争ごっこ」。

dendenmushi.gif(2014/07/03 でんでんむし蛇足の記)
 ついに日露開戦で、たちまちのうちに戦争一色になっていく様子がよくわかるような、この年の年表。そして、新聞や一部学者たちのあおり、民衆の熱狂が戦争を後押しして進めていく…。
 “杉野は何処の軍神広瀬中佐”や“乃木希典の山川草木”などは、でんでんむしがこどもの頃によく絵本や話で見聞きしていたことなので、日露戦争に“勝った”ことは、その後にも永く喧伝されていたのだ。“敵の将軍ステッセル”は、この次に出てくるが、これも歌まで覚えている。
 “一太郎やあい”も絵本で見た記憶がある。こうした「戦争美談」はもちろん、この前の日清戦争のときも同様だったわけで、“水兵の母”は軍国の母の美談として、昭和20年まで国定教科書に載っていた。
 この年、でんでんむしの祖父の兄が、瀬戸内の島で事故死している。祖父よりは8つ上の26歳であった。
_----.jpg

タグ:年表
きた!みた!印(22)  コメント(0)  トラックバック(0) 

きた!みた!印 22

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

トラックバックの受付は締め切りました