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でんでんむし@アーカイブス★むかしの人は言いました=その13 臨時特別連載「道歌」 [番外DB]

 考えてみれば、「道歌」で言っているようなことは、和歌の形式ではなくとも結構おなじみのものもあったりします。それは、ときに「ことわざ」だったり、「俚諺」だったり、「金言」「格言」だったりして、そういった形でも同じようなことを言ってるわけです。
 それらはみんな、短い言葉のなかに、さまざまな教えと思いを込めて、伝えようとした結果といえましょう。
 その意味では、「道歌」だけ…というわけでもないのですが、やはり「教えを説く」というメインテーマがはっきりしていること、数がたくさんあること、五七五七七の歌の形式で統一されていること、そのために人の口の端にのぼりやすく伝わりやすくなっていること、そんな特徴からやはり一ジャンルを形成していたのです。
 つくった人のユーモアセンスもなかなか、というものも多いですね。
 たとえば、この一首目…。これなんか、思わず笑ってしまいます。
 「知らぬが仏」ということわざを引きながら、お釈迦様が王子様(つまり俗人)だった頃の「ゴータマ・シッタルタ」の名を、うまく利用しています。
 二首目は、今でもよく言われる「叱るより褒めよう」だし、三首目は「聞くはいっときの恥、聞かぬは末代の恥」、四首目は「井の中の蛙」ですね。(すみません。この項、はじめのいくつかは10の項とダブっています。)

kokoro.jpg
13 mark.jpg らぬが仏…

何事も 知らぬが仏 しったとは いまだ凡夫の ときの名なりし

可愛くば 二つ叱って 三つ褒めて 五つ教えて 善き人にせよ

知らぬ道 知ったふりして 迷うより 聞いていくのが ほんの近道

井の中の 蛙と身をば 思いつつ 知らぬことをば ただ人に問え

人のため 身を惜しまぬは 仏なり 楽をしたがる もとはこれ鬼

下駄足駄 刻みかえれば 釈迦阿弥陀 かわればかわる ものにぞありける

聖人と いうは誰かと 思いしに おらが隣の 丘のことなり

目に見えぬ 風の姿を 月影に 映して見する 庭の呉竹

雲晴れて 後の光と 思うなよ もとより空の 有明の月

しら露を 玉と欺く あざむかぬ 蓮は見るに 任せたりけん

知るとのみ 思いながらに 何よりも 知られぬものは 己なりけり

はかなくも 消ゆるを露と 思うなよ どんなものでも 死んでゆくなり

欲し惜しや 憎や可愛やと 思わねば 今は世界が まるで我がもの

世の中に わがものとては なかりけり 身をさへ土に 返すべければ

何事も 知りたる顔の 人はただ 信を知らぬ 人というべし

何事も 目に見たことを 本とせよ 聞きぬることは 変わる世の中

おもうべき ものは身よりも 名なりけり 名は末代の 人の世の中

Dikesakura.jpg

dendenmushi.gif(2014/04/09 記)
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