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963 砂糠崎2=神津島村砂糠山(東京都)20,000年も続いた後期旧石器時代を生き繫いだご先祖さまたちは偉大だなぁ [岬めぐり]

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 砂糠崎と祗苗島の間を回り込んで多幸湾に入った「かめりあ丸」は、天上山の下で湾内をくるりと向きを変えて桟橋に接岸する。ここが終点なので、乗っていた人はみんな下船し、今度は入れ違いに神津島を出発する乗客が乗り込んでいく。
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 砂糠(さぬか)という名には、“ヌカのようなスナ”という意味以外にはなさそうだ。それでも、その音(おん)から連想したのは、サヌカイト(讃岐岩)のことだった。だが、叩くときれいな音(おと)を出すサヌカイトと砂糠は、やっぱりなんの関連もないだろう。
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 砂糠崎のある岬には、140メートルの砂糠山があるので、おそらくはここもそういう流紋岩由来の細かい砂があるのかもしれない。多幸湾に面する天上山の斜面は、白い砂が流れ落ちている。その山頂のほうはちょっと黒くなっている。
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 砂糠崎の黒曜石の層は、海岸の断崖の中間に露出している。この層は、ほぼ同じ高さで、天上山の裾野近くの山まで続いている。
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 また、反対側の祗苗島にまで、その層が連続しているのがわかる。砂糠崎と祗苗島の間には、式根島と新島が見える。こうして島が見えているのは、丸木舟で往来するにしても、心強いものがあっただろう。
 しかし、この崖によじ登って、黒曜石を採取するのは、なかなか大変そうだが、もちろん採掘に適した場所は、島のどこか別の場所にもあったのだろう。
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 黒曜石の現物は、博物館でしか見ることがない。つい最近も、関野吉晴さんの『グレートジャーニー』展を、上野の国立科学博物館に見に行ったついでに、本館で石器として使用され発見された黒曜石を、つぶさに見てきたばかりだ。
 黒曜石は、特別に切れ味の鋭い貴重な石材や刃物として、金属というものを知らない人々の間で珍重(というより必需品だった?)された。それが広く求められていたことは、神津島の黒曜石が海を越えて関東に広く運ばれていたことや、大分県姫島の黒曜石が、中四国一円と種子島や大阪まで(当時は大隅海峡も瀬戸内海も陸地であったと推定されている)の広い範囲で使われていた例などで明らかになっている。姫島の黒曜石には、独特の色があるので産地の特定識別が容易なのだという。
 似たようなことはサヌカイトについてもあり、このことでまた改めて思うのは、石器時代の人々の活動範囲の広さと移動しようとする精神と活力である。
 神津島から採取した黒曜石を、丸木舟(これも想像だが)で島伝いに運ぶにしても、掘った人がそのまま関東各地の需要地にまで、一貫して運搬したのだろうか。それとも、すでに分業システムができていたのだろうか。利島村のページにいうとおり、“黒曜石を採るための中継地”としての位置づけが利島にあったとすれば、後者の可能性も捨てきれない。
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 でんでんむしにとっては、黒曜石にはまた別に独自の思いがあり、その言葉とセットになった古い昔の記憶が呼び覚まされてくる。
 相沢忠洋という人の名と、彼が赤城山麓の関東ローム層の中から黒曜石の打製石器を見つけた、いまでは有名なエピソードを知ったのは、いったいいつのことだったか、記憶が定かでない。だが、そのことが長く深く印象に残ってきたのは、中学生の頃に憧れていた「考古学」という専門の世界の、にわかには信じがたいほどドラマチックな一端を覗けたからだろう。
 これもおぼろげな記憶では、確かでんでんむしなどの世代が最初に得た知識は、「日本には石器時代はなかった」というものだったはずだから、大学教授でも専門家でもない相沢青年が、行商のかたわら考古学に興味をもち、仕事の道すがら1949(昭和24)年に発見した「旧石器」と「日本の旧石器時代」が、それまでの学会の常識をひっくりかえして、定着するまでには、それなりの時間を要したということだろう。
 翌年に相沢が明治大学と共同発掘にこぎつけた後も、その成果報告には相沢の名前はなかったというのも、当時の学会や研究者の応対姿勢と合わせて印象的なことだった。
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 考古学や歴史学では、“在野の研究家”が活躍したり、脚光をあびたりすることが稀にあるが、だいたいは無視されるケースのほうが圧倒的に多いはずである。そういう意味では、2000(平成12)年に毎日新聞のスクープにより発覚した “東北旧石器文化研究所”の旧石器捏造事件も、はなはだ劇的でもあり、このケースでは岩宿とはまた別の観点から、学会や専門家の姿勢が問われた事件であった。…と、そんなことにまで思いは飛んでしまう。
 相沢忠洋が岩宿で発見した槍先形尖頭器は、果たして神津島の黒曜石だったのだろうか、それとも神津島よりもっと近い長野県霧ヶ峰や和田峠からきたものだったのだろうか。
 
 日本列島の後期旧石器時代は、約35,000年前に始まり、縄文時代へと移行する約15,000年前までの約20,000年間続いた。遺跡は北海道から沖縄まで約10,000ヵ所以上が確認されている。(http://ja.wikipedia.org/wiki/ 日本列島の旧石器時代)

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dendenmushi.gif関東地方(2013/03/23〜24訪問)

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