964 松山鼻=神津島村惣四郎(東京都)「多幸湾」であって、「多幸港」ではない岸壁と三浦漁港の南にある [岬めぐり]

どういう曰くがあってのことか、「かめりあ丸」が着岸するところの名前は「多幸湾」であって、「多幸港」ではない。岸壁の内側には「三浦漁港」という名前があるが、貨客船は三浦港に着くわけではない。村でも、この岸壁のある港のことは、バス停なども「多幸湾」としているが、船客待合所は「三浦漁港」となっている。

大島では、東が岡田港、西が元町港と、はっきりしていた。ここでもその港の位置関係や風の影響などは、大島とよく似ているが、神津島では東の港の周辺には、漁港と待合所があるだけでほとんど人家はない

松山鼻は、その三浦漁港の防波堤のすぐ南にある。33メートルのぽっこりした岩にその名がついているが、多幸湾に入る船の上からみると、その次の岬なのに先に目立ってしまっている長っ崎に押されて、松山鼻は影が薄い。

漁港のほうから見ると、今度は逆光になってしまい、また黒っぽいだけの塊になってしまう。

漁港の反対側、待合所の北側では、天上山の偉容が迫ってくる。

500メートルちょっとの天上山は、島の最高部でとくに東側では急斜面がいきなり海に落ちているので、多幸湾に船がついてからは、見上げる山が大きく圧迫感があり、その山容がなかなかに凄まじい。白い砂が多幸湾の海面まで流れ込んでつくる扇状の傾斜も、あまり見られない光景だろう。

その斜面の手前に、なにやら囲いがあって、白い軽トラが停まっている。寄ってみると“東京の名湧水57選 多幸湧水”という立て札が、竹囲いの前に立っている。それなら試してみるかと囲いの中に入っていくと、老夫婦らしい二人連れが、ペットボトルに流れ出してくる水を入れている。どうもお仕事らしいので、遠慮しようとしたら女性のほうが声をかけてくれて、空けてくれた。そして、このボトルを持って行きなさいと、一本持たせてくれた。

島ではどこでもだいたい水には苦労するものだが、神津島ではめずらしく島のあちこちから湧水が湧きだしていて、水には苦労していないようだ。

地下水が豊富できれいな湧水が多いということは、やはり天上山の大きな山塊がもつ保水・濾過能力に負うところが大きいのだろう。
この水に関しては、伝説がある。神津島は、伊豆諸島の創生神話の中心地で、できたばかりのそれぞれの島から、それぞれの神様が集まって談合した現場が天上山なのだ。
そこでの議題は、神津島の水をどのように分けるかという“水配り問題”であったという。
このとき神様が集ったというのでもともとは「神集島」だったという説が村のページなどをはじめ広く流布しているが、これには異論もあるようだ。

村のホームページも、見るのは帰ってきてから、ブログを書くときにデータを確認し裏付けを取るために見るのが目的なのだ。事前に調べるわけではないので、「松山遊歩道:多幸湾と三浦湾の突き出した岬にある、海沿いの遊歩道」なんて情報も、後から発見したりする。
漁港付近では、それもわからなかったのだが、わかったとしてもそこまで行けたかどうか。漁港のなかには丸島という小さな岩島がある。その向こうの崖の上に、遊歩道はあるのだろう。


島の中の移動は、村営の島内バスに頼るが、青色のワゴン車が一台だけふたつのルート交互に運行している。当然、「かめりあ丸」の到着に合わせて待っていてくれたのだろう。運転手のおじさんが、岸壁で写真を撮っていて出遅れたでんでんむしに、乗りますかと声をかけてくれたので、まずはそれに乗って空港まで行くことにした。(松山鼻や湧水や天上山の多くは、翌日の帰りの船に乗る前に撮ったものである。)
ワゴン車の村営バスは、200円均一。三浦漁港の上から松山鼻の上を通り、ぐねぐねと山を越えて、東の多幸湾から西の神津島港まで行くこのルートは、途中で南に進路を変えて必ず空港に寄るようになっている。つまり、3つの「港」を結んで走るので、曲がりくねったルートの道をまっすぐに引き延ばすとT字形になる。これも、乗ってみて初めてわかった。Tの南の端が島の南端にある神津島空港なので、まずはそこへ行って、南の断崖にあるいくつかの岬を回ってみることにしよう。

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34.196341, 139.156381




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