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920 臍尾鼻=備前市鶴海(岡山県)片上湾のヘソには鶴の海が延びていてそこは眠狂四郎生みの親の故郷だったし… [岬めぐり]

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 高目鼻から西には、住吉島があって、そのさらに奥には横島という小島があり、もっと奥には唐島がある片上湾の南は、鶴の首のように細くなった水道が3キロも入り込んでいる。「鶴海」という地名は、そんなところから生まれたのではないかと思わせる。
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 そんな海で、まるで円墳のようにきれいな丸い出っ張りが目立っている。それが臍尾鼻である。臍の緒のイメージからの名かもしれないが、“さいびはな”と読むべきか、“せいびはな”と読むべきか、微妙なところである。
 この岬も、でこぼこの半島の先端部で、最高点は56メートル。人家や構造物もないが、道だけが二重に取り巻いている。みかんなどの果樹でも植えてあるのかと地図を見ると、果樹マークではなく針葉樹マークのみだが、どうやら大きな木もないようだ。
 なかなかふしぎな場所のように見える。
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 臍尾鼻の北側は久々井で、ここにも天然の良港というやつが開けている。鶴海にも久々井にも、あるいは北側に入り込んでいる入江に面した東片上でも、海に面した立地を求めてきた工場がたくさんある。
 このように深く複雑に入り込んだ片上湾をはじめ、岡山県南東部の海岸線のでこぼこを見ていると、これは海進によるいわゆる溺れ谷を見ているのではないか、という感じを強くする。
 こういった風景こそ、多島海のイメージを代表するものでもあろうが、これが海だけでもダメで、島だけでもダメ。その点で、この岡山南部の地形は本土の岬が出入りするでこぼこがあるために、いい味をだせるのだろう。
 ブルーラインを通るみんなも、写真に撮りたくなるところなのだが、この日はお天気がどんよりとしていて、あまり瀬戸内海のお勧め代表写真にはどうしてもならない。
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 臍尾鼻の背後に見える、岩が削られて尖ったような山が明地山で、あるいはこれもこの地域の特産の粘土層のある場所なのかと思ったが、どうも確認できない。
 その向こうが久々井峠で、かつては鶴海までやってこようとすれば、陸路ではこの峠を越えて片上へ出るか、巡航船で片上湾を奥まで詰めて行くしかなかった。片上からは片上鉄道という柵原鉱山から鉱石を運び出すためにつくられた軽便鉄道(現在では廃線になっている)で、山陽本線の和気まで行くのが普通だった。
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 鶴海はそういう地域で、ここが柴田錬三郎(1917~1978)の故郷でもある。岡山県のこの付近、いろんな人が出てくるのでおもしろい。
 “シバレン”と、みんなが親しみを込めて呼んだこの作家のことでは、今回初めて清河八郎が大伯父にあたると知って、なんとなく符合するものに驚いた。湯島にいたころには文京区の界隈をよく歩いたが、そのときに伝通院で清河八郎の墓を発見した。柴田錬三郎も墓を同じ伝通院においたのは、なにか意図があったのか。
 備前市東鶴山公民館の「備前玉手箱」のページに、こどもでも読めるように懇切ていねいに柴田錬三郎が紹介されていて、なかなか楽しいのだが、そのなかに「鶴山小学校の幼き諸君へ」 という母校の後輩たちに贈った一文があった。
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 この手の文章としては、司馬遼太郎のが有名だが、それほど格調高くないものの、素朴に気取らず、故郷の田舎のこどもたちへ向けて原稿用紙に書いた手紙として、今も校長室に掲げられている。「勉強がきらいなのに、大学へ行かなければ偉くなれないからがまんして大学へ行くという考えはまちがいです。…」というのが、なんともいいと思ったが、同時に、現在の東鶴山小学校のこどもたちにはどう受け止められているのだろう、とも思う。
 東鶴山小学校は、唐島や明地山の南西、細く長い鶴海のどんづまりから、さらに1.7キロも奥に入ったところにある。
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dendenmushi.gif中国地方(2013/02/05訪問)

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タグ:岡山県
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