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921 高座ノ鼻=備前市穂浪(岡山県)3つの岬を一望できる片上大橋北で唯一のビューポイントから [岬めぐり]

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 高座ノ鼻は片上大橋の北詰で、西に大きく張り出したぽこぽこした尾根の先端である。40メートルほどの高さの、裾を岸壁で囲まれた丸い小山が飛び出している。
 山の中腹にも岩が目立ち、岬の先端にも、ひとつだけそこに置き忘れられたようにして大岩がごろんとしている。
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 なんとなく宗教的な響きをもつ名前も、そうした全体のたたずまいから生まれたものだろうか。
 ここは片上湾のただひとつの狭い出入口の西の端であるから、細く長く入り組んだ湾内は、半分閉鎖性水域のようでもある。高座ノ鼻の後ろ、臍尾鼻との間奥には、久々井港付近が見えているが、湾の岸辺には工場なども多いので、その水質も気になるところだ。が、潮汐による海水の入れ替えも毎日定期的にあるはずだし、かき筏も多数浮かんでいるところをみると、その努力もちゃんと払われているのだろう。
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 高目鼻も、臍尾鼻も、この高座ノ鼻も、同じ場所からの眺めである。
 それは、片上大橋の北詰の西にわずかに残されている空き地で、ここまでは越鳥の集落の上からブルーラインを潜り、半分道ではない道を上ってきた場所になる。正式の車寄せスペースでもなんでもなく、太陽光発電の施設がある東側には渡ることはできない。空き地には、土砂を採取していたような形跡もあり、そのおかげで西への視界も開けている。片上大橋の上からを別にすれば、北側で唯一のビューポイントがここなのだ。
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 景色にみとれていたというわけでもないが、移動の途中でうっかり泥のなかに踏み込んでしまった。
 見た目には乾いて固まった土のように見えたのだが、そこには細かい粘土質の土がまだ水分を充分溜めたまま、表面だけ乾いたフリをしていたのにだまされてしまった。靴にべったりついた薄茶色の泥を落とすのには、一苦労したが、これこそが土石窯業、耐火煉瓦関連の工場や会社が多いというこの地域のありがたい特徴なのだ。
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 いつも、自分のブログのnice!返信としてコメントをつけておられるChinchikoPapa さんに教えられて、あっそうか!と思ったのは、刀鍛冶との関連である。前の項目でふれていたこの地域の地質的特徴について、
 
 古くから刀剣工房が発達している地域には、良質な粘土層のあることが知られていますね。焼き入れ前の“土とり”に必要なわけですが、中世以降の陶工たちは刀工集団のいる場所へ出かけて、窯をひらくケースがまま見られます。
 
 というコメントを、「落合道人 Ochiai-Dojin」ブログでもらっていた。
 なるほど、そういうわけだったのか。
 ここ備前市といえば、まずは備前焼が有名である。別名伊部(いんべ)焼きといい、愛媛県には砥部(とべ)焼というのがあって、ぱっと見た目紛らわしいが、鉄分の多い茶褐色の焼き物には、釉薬を使わず、土の色とざわざわとした感触をそのままに活かしたのが備前焼の特徴である。備前伊部を訪ねて買い求めたものなど、うちにも何点か飾っているが、そのJR赤穂線の伊部駅から南西に7キロとちょっと離れたところが長船駅である。
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 シバレンに限らず、時代剣術小説などでは毎度おなじみの“備前長船”。名刀の代名詞にもなっている、あれがここなのだ。
 実は、なんで備前長船がこんなところにと、疑問ではあった。西片上駅からは3つ目の駅が長船駅で、このあと牛窓へ行くため4つ目の駅である邑久駅に行くときに、そこを通った。
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 駅のホーム脇の看板には、名刀の里を意識したものもあるが、現在の地図からは長船付近にはそれらしいなにものをもみつけることはできない。ただひとつそれらしい備前長船刀剣博物館は、備前焼きの伊部駅西隣の香登駅に近い。香登駅はまだ備前市だが、博物館からが瀬戸内市長船町長船。伊部と博物館の位置は、5キロしか離れていない。
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 片上大橋のこちら側は備前市穂積、向こう側は瀬戸内市虫明であることは前にも述べたが、虫明では前に書いていなかったことで思い出したことがある。
 新入社員で、同じ出版社に入った山口県出身者がいた。緑川洋一(1915〜2001)の名と写真集を知ったのは、写真にもうるさかった彼のお陰であった。
 その生涯を通じて、プロにはならず歯科医としての仕事を続けながら、瀬戸内海の美しさをひたすらカメラで追い続けた、緑川洋一は虫明の出身である。故郷の海を愛した彼の写真は、誰でも、いつかどこかで見たことがあるはずである。
 当時はまだカラー写真は主流ではなく、モノクロばかりだったはずだが、なぜか瀬戸内の海の色を感じさせていた。
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▼国土地理院 電子国土ポータル(Web.NEXT)
34.719834, 134.225665
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dendenmushi.gif中国地方(2013/02/05訪問)

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タグ:岡山県
きた!みた!印(31)  コメント(2)  トラックバック(0) 
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きた!みた!印 31

コメント 2

ChinchikoPapa

拙いコメントを取り上げていただき、ありがとうございました。
備前刀工は、「古備前」まで含めますと、平安期から江戸時代初期ぐらいまで栄えた刀工集団ですので、それだけ砂鉄や炭の材料となる大量の樹木、良質な粘土が多くとれた地域なのだと思います。
近接する広島の三原刀工(尾道刀工含む)といい、瀬戸内海の北岸は同様に良質な素材を豊富に算出した地域なんでしょうね。
長船地域がもっとも栄えたのは室町時代の中・後期で、三原鍛冶とともに朝鮮半島や中国へ数十万振りといわれる日本刀を輸出していたといわれています。「折れず・まがらず・よく斬れる」という独特な日本刀は、大陸でも非常に人気が高かったようで、当時の日本の一大輸出産業になっていた様子が伝わっています。
もはや、刀工の工房があった…というよりは、国内でも戦乱が絶えなかった中世には、刀剣「工業地帯」のような様相を呈していたのかもしれません。
by ChinchikoPapa (2013-04-01 10:15) 

dendenmushi

@ChinchikoPapa さん、詳しい解説をいただき、ありがとうございます。三原・尾道がそうだったとは、知りませんでしたね。
いつも、nice!返信コメントありがとうございます。しかし、よくなさいますねえ! 感心しています。いやー、なかなかまねできない芸当です。
by dendenmushi (2013-04-01 20:03) 

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