805 岩屋崎=東牟婁郡那智勝浦町浦神(和歌山県)玉ノ浦の中間にふたつのこぶが飛び出している [岬めぐり]
浦神の入江の南側の集落は、『紀伊続風土記』では向地と呼んでいたが、山の下に細い帯のように連なるそれは、半島の半ばで途切れてしまい、そこから先へは点線の山道しかない。そのあたりがちょうど長い入江の中間で、幅がいちばん狭くなっている岸の北側には、ポコンと飛び出した小さな出っ張りがふたつ並んでいる。
ここが岩屋崎になる。電子国土ポータルの地図では、ふたつのこぶの両方に灯台マークがあり、東の方に岩屋崎に表記がつけられている。
入江の奥、弁天崎のほうから見ると、東の出っ張りの先端に、白い灯台が立っているのが、はっきりわかる。しかし、西のこぶにあるという灯台は、どこにあるのかわからない。
灯台といっても、そう大きなものではなく、三角錐の屋根を載せた白い煙突のようなものだが、水域の幅が狭いところで、航行する船の注意を促している。しかし、接近してふたつも必要な理由はなんだろう。
玉ノ浦と呼ばれる入江は、岩島や岩礁があちこちに散在している。波は静かな入江も、狭まっているところではとくに油断はできないのだろう。
岩屋崎のそばは、浦神から乗ったバスで通り抜ける。
熊野古道の大辺路でもあるからこの道は新しい道ではないし、ふたつのこぶも、よくあるように新しい道路が尾根を無理矢理ぶった切ってできたものではなく、弁天崎と同じような島が陸地とつながったような感じである。
沖には、養殖漁業のための小屋掛けの筏も浮かんでいる。西のこぶの一部は、養殖施設のために利用されているようだ。
なにしろ、通り過ぎるバスの車窓から、適当にバシバシデジカメのシャッターを押していたので、例によって写真は映り込みも避けられずひどいものだが、記録の役にはこれでも充分たってくれる。
すると、ふたつのこぶの間に、灯台が記録されている。これが、いかにも岸に近いので、東の灯台ではない、だとすると、これが弁天崎からは見えなかった西の灯台なのか?
「岩屋」という名前は、岬の名としては全国にここを入れて三か所。鼻を入れると四か所になる。対馬と薩南諸島に岩屋崎があり、山口市には岩屋の鼻がある。地名としては、淡路島にあるほか、山の名で長崎や尾道にある。神奈川県の江の島で有名なように、岩屋とは海の活動によって侵食されてできた洞窟や、巨岩のつくりだす空間を伴うロケーションの特徴を表わすものである。山では“鬼の”という形容がくっつく場合や古墳の場合も多い。
だが、ここの岩屋崎は果たしてどういう「岩屋」なのだろう。海食洞窟という可能性も、こうした波浪の影響もほとんどなさそうな入江では、どうやら考えられそうにない。
『紀伊続風土記』も、ここについてはなにも語っていないので、そう古いいわれから生じた名ではなく、単にふたつのこぶで岩が目立っていたところからついた、とも…。
そうだ。でんでんむしが幼年期を過ごした、広島県安芸郡には、岩屋観音というのもあって、そこはやはり花崗岩の露頭がたくさんある山の上であった。
▼国土地理院 「地理院地図」
33度33分47.37秒 135度54分18.07秒
近畿地方(2011/10/07 訪問)
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