806 仏崎=東牟婁郡那智勝浦町浦神(和歌山県)玉浦の辺の海中に岩が出て大小色々あるのをすべて離小島という [岬めぐり]
岩屋崎の向かいの少し東寄りで、半島の先端に近いところに飛び出しているのは、仏崎。玉ノ浦の南側の岸辺を眺めながら、バスは走る。車窓の外には入江に浮かぶ岩礁が続き、その向こうが仏崎にあたるが、ここからでは岬らしく見えない。
岬はどこでもだいたいにおいてそうなのだが、正面からがベストポジションではない。ここも、いちばん接近しているはずの岩屋崎付近からでは、岬かどうかさえもよくわからない。
だから、岬らしく見える写真は、やはり主には入江の奥の弁天崎から見たものになる。
「仏崎」…おそらくは、この命名は、岬か岩かが、仏様のような形をしている、ということか。
そう思って、写真や地図でも確かめてみたが、どうやらそんなはっきりした形跡も見当たらない。
だが、この仏崎のしゃくれたようになっている先端部分と、全体に丸みを帯びたこんもりと半島から半ば独立したような形は、入江の入口のほうから見れば、仏像のように思えるのかもしれない。岬の名前としては、「仏崎」は全国で19を数えるが、その過半数以上は九州の島嶼部にある。
仏崎のそばには鬼島という岩礁と岩島があり、鬼と仏が同居しているが、対照的な荒磯と木々の生い茂った岬との対比から生まれた名前ではないかとも考えられる。
仏崎のあるところも浦神だが、そこから北に玉ノ浦をはさんでの対岸は、粉白(このしろ)と字名が変わる。『紀伊続風土記』では、牟婁郡大田荘粉白村となる。玉ノ浦には岩磯や岩島が多いと、前に書いていたのだが、この粉白村の項には次のようなくだりがある。
○離小島
玉浦の辺の海中に岩が出て大小色々あるのをすべて離小島(はなれこじま)という。玉浦は離小島の古歌が多い。(KEY SPOT『紀伊続風土記』現代語訳 牟婁郡大田荘粉白村)
いかにも、どうでもいいような記述である。書くことがないので無理に書いたともとれそうな一文である。だが、それだけだろうか。
「海中に岩が出て大小色々あるのをすべて離小島という」と、わざわざ特筆する理由があるほど、この浦の岩礁は目立って特徴的であった、と理解するほうがよいのではないだろうか。
それに続く一文も、ここで離れ小島の古歌をいくつも引き合いに出しているのがおかしい。そのひとつに、平忠盛の六男で清盛の異母弟にあたる平忠度(たいらのただのり)の歌があった。
小夜ふけて月かげ寒み玉の浦のはなれ小嶋に千鳥なくなり
平忠度は熊野の生まれであったといい、妻も熊野別当の娘だったので、ご当地有名人というわけなのか。歌人としても名をなし、とくに『平家物語』にも語られている、名を明かさず矢を入れる箙(えびら)に歌を結びつけて討たれたというエピソードでも知られる。
一の谷の戦の前、都落ちに際して途中で引き返して和歌の師である藤原俊成の屋敷を訪ね、自作の歌百首を書き連ねた巻物を差し出し、一首なりとも勅撰集に採用してほしいと願って立ち去る。
その願いを叶えるため、俊成はいまや朝敵となった平忠度の名をそのまま出すことを憚って、“詠み人知らず”として掲載した…そんなこんなの平忠度さんも、この玉ノ浦で離れ小島を眺めて、歌を詠んでいたとは…。
▼国土地理院 「地理院地図」
33度33分47.37秒 135度54分52.22秒
近畿地方(2011/10/07 訪問)
タグ:和歌山県
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