791 アンドノ鼻=東牟婁郡串本町串本・潮岬(和歌山県)“御崎に越す本”からクシモトの地名になったと… [岬めぐり]
家数が350軒で、人数1,442人というから、『紀伊続風土記』の時代から串本は田辺より南の近郷近在では、いちばん栄えていた賑やかな浦だったのであろう。おもしろいのは、「串本」の由来が、ここで“御崎に越す本→こすもと→くしもと”であるとしていること、“潮ノ御崎→潮岬”ということだ。
二色村の巽(※東南※)二十五町にある。二色村にの小名袋と海湾を界とする。東は海を堺にして大島に向かう。この浦より坤(※西南※)五十町ばかりに差し出ているのを潮ノ御崎という。浦の名前は、御崎に越す本という意味である。土地が広くて家数が多く、漁事を専らとする。東西両面に海を受けているので漁事の利が多くて漁者に福家の者が少なくない。潮風がはなはだ烈しい土地なので、戸々に寒竹を植えて各一□をしめ、家居は普通の漁村と異なる。(KEY SPOT『紀伊続風土記』現代語訳 牟婁郡潮埼荘串本浦)
“東西両面に海を受けている”というように、串本の地形的な特徴は、細く南に向かって突き出した狭い平地の先に、まるでツツジの花をひとつ逆さにしたのを横からみたように御崎部分がくっついたようで、さらにその東には大島が大きく浮かんでいる。
現在の串本町の市街地は、東の紀伊大島に向いて広がっていて、JRの串本駅も紀勢本線が出っ張りの付け根でヘアピンカーブで方向転換したところで、紀伊大島に向いてある。東西の海の間のいちばん狭いところは、市街地で500メートルくらいしかない。
もちろん、今では『紀伊続風土記』が言うような、“戸々に寒竹を植え”たりはしていないし、他の漁港の町と変わるところはないように思える。
串本駅から潮岬行きのバスに乗ると、漁港のところからこのいちばん狭いところを横断して、西海岸を回って行く。
アンドノ鼻は、串本町の字地名が串本と潮岬に分かれるところで、その道の途中にある小さなコブのようにわずかに出っ張っている。わずかな出っ張りでも、海岸に降りて横から眺めると、その先の住崎とかぶりながらも、いちおうは岬らしく見える。
コブの上付近に、駐車場と公園のようなスペースがつくられているのは、ここから枯木灘を遠望できるように、という配慮か。
霞んでしまう海の遠望は、どこがどうといえるほど定かではないが、とにかく遠くいちばん端になっているのは、椿のハタ崎か仏崎付近とするのが、まず無難であろうか。白浜の瀬戸崎というのも、美浜の日ノ御埼までひっぱってしまうのは、やはりムリというものであろう。案外に、肉眼の遠目は利かないものだから…。
ところで、この岬の名前はなんだろう? なにを表わしているのだろう。
考えてもわからないし、資料もないので、頬被りして通り過ぎようとしたとき、ふと思いついた。
潮岬を回って、袋の串本港に入ろうとする船が、住崎を越えたところで、強い風や波や潮の影響からも解放されて、ホッと安堵の息をつくことができる…そんなことからアンドノ鼻に…。
▼国土地理院 「地理院地図」
33度27分21.95秒 135度45分43.45秒
近畿地方(2011/10/06 訪問)
タグ:和歌山県
その説は納得できます。
鼻というからには、船乗りが付けた名前でしょうから。
by ナツパパ (2012-05-12 10:16)
熊野灘にちょこっと飛び出たこの辺りが本州最南端ですよね。
ちょうと岬めぐりも半分というところでしょうか。
この辺りの海は青くて綺麗ですね。
by ぱぱくま (2012-05-13 18:04)
@ナツパパさん、ぱぱくまさん。ひさしぶりの2PaPaの揃い踏みですね。いつも、ありがとうございます。
枯木灘のほうからも東から潮岬を回ってくるのも、どちらも難所だったので、ここまでくるとホッとする…。でも、位置からすると岬を回って来るほうでしょうね。問題だったのは。
最南端から東へ回って、熊野へつなげば、いちおう紀伊半島は終りですが、漏れたところもいくつかありますね。
全体で言うと第一次目標の半分くらいまでは、この本州最南端付近で到達できそうです。
by dendenmushi (2012-05-14 05:41)