792 住崎=東牟婁郡串本町潮岬(和歌山県)どうみてもひょうたんのようにはみえないのだけれども… [岬めぐり]
現在の住所表示では、その東側半分以上を一律に「潮岬」、東側を「出雲」としている、串本市街地の南に垂れ下がっているような一帯は、それぞれ別の名をもつ三つ四つの集落に分かれていた。西の一帯は、上野(うわの)とか向地という、結構大きな集落がある。
串本浦の未の方(※南西微南※)に三十二町にある。民家は所々に散在する。村から御崎まで八町。この地は串本浦より坂道を登り四町ばかり。それから御崎までは土地が平坦で高い所にあるので上野の名がある。
ここは本国の極南で、上野の地は別に南の方に一里余り海面に出る。和深浦、江住浦の辺からこれを望むと、海中に長堤を築いたかのようである。村の東に当たって出雲浦の東に張り出てだいたい東西の広さも一里近い。串本浦より坂道の登る所の広さはわずかに三〜四町、形は瓢箪の約あるがごとし奇形といえる。
その四方の海に望む所はみな絶巌を削ったかのようである。南溟に臨んでいる地なので、風も強いが、南方陽和の方なので地勢は平温和柔で、北方の猛烈の風とは違う。
ただし土地が高く平らなので水が乏しく、村民は井戸を掘って水を得ることは難しく、小谷から注ぎ出る水を汲んで朝夕に供すという。
(KEY SPOT『紀伊続風土記』現代語訳 牟婁郡潮埼荘上野浦)
串本は海すれすれの平地だが、ここはいちばん高いところで70メートルを超えるので、坂道を登ってくる。遠くから見ると、細長い台地が大きく長堤のように延びている。
串本の付け根部分が狭いのに、台地の東西は一里ほどもあるので、その形はひょうたんのような奇形だと言っている。実際はひょうたんとはおおいに違うのだが、高いところから地形を俯瞰する術のなかった時代には、現代の人間が地図を見て簡単に理解することも、なかなか把握できないでいた、ということであろう。
岬の出っ張りは、ぐるりと周回する道路があるが、バスが通るのはこの上野の集落の中の細い道で、観光バスやタクシーは西海岸を通る。
住崎は西の端に飛び出した出っ張りなのだが、車で通ってもその姿はまったくわからない。路線バスはその内側の集落の中を走るので、これまた遠い。
この岬は、アンドノ鼻の側からか、潮岬の灯台の上から眺めるのがよかろう。串本の細くなった付け根の西海岸の砂浜から、少し角度を変えて見ると、住崎の向うに御崎も顔を出す。まるで、相似形のように…。
今回は、灯台には登らなかったので、前に来たときに撮っていた灯台の上からの御崎と住崎のツーショットも、あわせて掲げておくことにしよう。
でも、これは次の御崎の項に入れたほうがよかったかも。
「住崎」の名の由来も不明だが、海の神である「住吉神社」と関係があるのではないかとも考えた。しかし、ここには神社もなにもない。地形からいうと神様を祀るのには適した岬のようにも思えるが、それがないのは、すぐ隣の御崎に遠慮して、避けたのかも知れない。
▼国土地理院 「地理院地図」
33度27分3.13秒 135度45分3.43秒
近畿地方(2011/10/06 訪問)
タグ:和歌山県
串本のダイビングサービスで聞いた住崎の地名の由来ですが、上浦海岸の港に戻る「もう、すぐ先」の「すぐ先」から変化した漁師言葉が語源のようです。
参考になりましたでしょうか。再度現地で確認してみてください。
by A.S.D (2013-02-28 08:39)
@A.S.D さん、ありがとうございます。潮岬を回るのは大変な難所だったと思われますから、その説もありですね。
前項「791 アンドノ鼻=東牟婁郡串本町串本・.. 」でも、似たようなことを書いていましたね。
この辺、ダイビングも可なんでしょうかね。
by dendenmushi (2013-02-28 21:22)