772 メズロノ鼻・袋崎=西牟婁郡白浜町富田(和歌山県)袋の奥は袋谷で袋の口には袋崎 [岬めぐり]
白浜町の中心部は、すべて紀勢本線から西側に飛び出した半島の中に収まっているのだが、その半島の付け根の南部にあたるところには、安久川、富田川、高瀬川と三本の流れが南に向かっている。白浜空港の東側の一帯は、この水流の堆積でできた地面である。
その地面と山の境目には、いくつもの尾根や小山がでこぼこと連なっているが、中央部にある尾根には富田川に沿うようにして小倉崎という名が残っているので、そこが昔の海岸線であったと推測できる。『紀伊続風土記』の表現では、「土地が広くて肥沃な田が多く、舟運の便がある。富田の称はまことに嘘ではない。」とあるので、この付近の新田開発も、かなり古くから続けれてきたものだろう。
白浜駅の次の駅が紀伊富田駅。富田の駅を東に小倉崎に向かって走るバスは、富田橋で富田川を渡る。そこから南の河口で高瀬川と合流する左岸に飛び出しているのが、メズロノ鼻。語源不明。
当然、こういう砂洲にできたところでは、道路は海岸にはできないから、河口からはだいぶ離れたところをバスは通っていく。メズロノ鼻は、やはり遠いうえに邪魔者が多くて、道路からは見えない。ここには、立岩などもある、河口の岩の岬らしい。
高瀬川を渡るところで、高速道路の建設促進を訴える大きな看板塔が立っていたが、なるほど、全国くまなく走っているように思えた高速道路が、紀伊半島ではほとんどない。
列島の東西主要幹線からは、南に出っ張っている分だけ往来ルートからは外れてしまうわけで、そのうえ平地がほとんどない山また山の地形、加えてその必要性や経済効果からして、これまでできなかったには相応の理由がある。
高速道路が、ここに本当に必要かどうかはわからないが、42号線はそのかわりになってきた主要道である。ところどころで広くなったりしているが、やはり狭い道が多い。
メズロノ鼻のある山塊の東側を迂回するようにして、紀勢本線と並ぶようにして南に下っていくと、袋谷というところに出る。そこはまさしく袋のようになった細く曲がった入江で、入江と海を隔てている小さな細い尾根の先が袋崎。
この付近の地形は、“溺れ谷”ということばがつい連想ででてきそうな、そんなところである。紀伊半島の中心部の山の中には、この大きな半島が隆起によってできた痕跡があるらしいので、実際の形成過程はわからないが、入江の奥には細流が流れ込んでいるし、平地はほとんどないし、この小さな谷も海進によって現在のような姿になったのであろう。その谷の奥まったところのわずかな山の凹みに袋谷という名の小さな集落と船溜まりがある。
袋崎は、尾根の先端に丸い小山があり、その先には岩島が連なっていて、一見するとお弁当でももって半日遊ぶにはなかなか適した場所のように思える。でんでんむしは、昔からこういうところ、つまり他に人があまりこない場所で、自然のままの風景があって、そのなかに入り込んでひたってぼんやりできるところが、大好きなのだ。名所旧跡である必要は、さらさらない。
この近辺ではそんな気をおこす人もないらしく、道もついていない。岬の周辺は崖と岩に覆われているので、実際は見た目ほどぼんやりできないようである。
ここを利用しているのは、せいぜい鳥さんくらいのようだ。“袋崎”で出てくる情報は、青森県つがる市木造菰槌袋崎のものばかりで、白浜町のものはない。それでもしつこく探していたら、メズロノ鼻ではたくさんあった訪れる釣り人情報さえも少ないここで、なんと地学情報があった。
「ヨッシンと 地学の散歩」写真集 ( 2015/01/ヨッシンさんからこれまでのサイトは閉鎖し、新しいサーバーに移行したとのご連絡をいただきましたので、リンクを張り替えました。)
このページでは、白浜町袋崎で見られる、正断層、砂岩岩脈、ハンモック型斜交葉理、ヘリンボーン斜交葉理…といった写真があるが、残念ながら、しろうとの悲しさで…。
でも、
釣り人さえもほとんど行かないような場所にわざわざ出かけて、岩の写真を撮っているヨッシンさんに、親しみを感じてしまう。
▼国土地理院 「地理院地図」
33度38分11.94秒 135度23分30.46秒 33度37分41.71秒 135度23分43.91秒
近畿地方(2011/10/05 訪問)
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