668 三木崎・三木埼灯台=尾鷲市盛松(三重県)人口ゼロの盛松地区にはなにがあったか [岬めぐり]
地図の記名表記によると、三木崎と三木崎(燈光会表記は「埼」)灯台の場所はかなり離れているようだが、灯台までいけば当然なんとか見えるだろうという期待は、見事に裏切られた。
どうしてこんなところに灯台を設けたのだろう、ほかにもっといい場所は見つけられなかったのだろうかと思いたくなるようなところに、三木崎灯台はあった。
足場の悪い斜面に、大きな樹木が茂る間に、埋もれそうになりながら、白い灯台は立っていたが、三木崎はおろか、海などもほとんど見えない。
燈光会の看板もあるにはあるが、ほかの灯台にある同じ燈光会の看板に比べると、あまりにもみすぼらしい。緯度経度情報など、修正した形跡もあるが、上から貼り付けてあるのが、剥がれそうになっていたりする。“光達距離”のところだけが白く、最近そこのデータだけが更新されたらしい。太陽光パネルで自家発電しているようなので、ときどきは係の人が見回りに来るくらいなのだろう。
その灯台の説明文に曰く。
「大台ケ原の山塊がそのまま熊野灘に没するこの地域は見事なリアス式海岸を形成しています。沖合いは波が高く古くから海の難所です。(略)
この灯台は志摩半島の大王埼灯台と紀伊半島の潮岬灯台のほぼ中間に位置し、熊野灘を行き交う数多くの船舶の目標となり、海の安全に大きな役割を担っています。(略)
この灯台が、点灯以来数多くの船人の命と貴重な財貨を人知れず救ってきたであろうことを想うとき、これからも夜毎美しい光りを沖行く船に投げ掛け続けるよう祈念するものであります。」
“点灯”とは、1928(昭和3)年のことで、83年も前のことだ。こんなところまで、わざわざ見に来るヤツはいないだろうからか、看板には金もかけていないが、この説明を書いた人の想いは伝わる。
しかし、肝心の岬が見えんのではなあ…。
どうやら、地図上に情報の記入表示が少なくてもよしとするのは、最近の傾向らしい。住宅地図を目指しているらしい通常のネット地図では、市街地以外はほとんど手抜きで、地形図としての基本的な役割さえも果たしていない。頼りにすべき国土地理院は、地形図としてはいちばん信頼できるが、情報という点ではもともと25,000分の1でもあまり精度は高くない。拡大してみても、より詳しい情報が表示されるということはない。
帰ってきてからの話だが、Yahoo!地図やMapionなども、電子国土ポータルも、三木崎周辺の地図情報は、三木崎と三木崎灯台がちょっと離れて記されているほかは、ほとんどノッペラボウというに近い。Mapionに至っては、拡大しないと灯台の表記さえも出てこない。
ほかの地図ではどうかと、全部調べる気にもならないが、試しにMapFanで見てみた。すると、灯台の西寄りに“三木崎公園”という表示があった。
行く前にこれを見ていれば、あるいはその道に園地か公園かへのガイドでもあれば、またそのときの行動が違っていたかもしれない。
交通機関と宿泊以外では、事前に周辺の観光地情報を集めたりしないで、いつも行き当たりばったりが基本の岬めぐりでは、そこで生じるギャップも楽しむことにしている。ただ、後から見ても、三木崎に関しては尾鷲市の観光情報にも入っておらず、すべて無視されていたので、地元でもここは観光スポットとしてはふさわしくないと判断しているようだ。そうわかってれば、あえてその園地か公園かにも、行ってみたかったと思うのが、へそまがりの所以である。
なるほど、MapFanにそういわれてみれば、道路から山道に入る入口に立っていた看板には「三木崎園地」という文字もあったような気がする。ところが、灯台からまた引き返してくる途中では、園地や公園などどこにもありそうになく、標識ひとつなかったので、意識にものぼらなかった。
深くて暗い森の中を歩いていると、ところどころ木漏れ日もさす。来るときには記憶になかったような大岩に行く手を阻まれたりした。踏み跡を取り違えて、あらぬ場所に踏み込んでしまったらしい。でも、こういうときはあわてずさわがず、ゆっくりともと来た道を探しながら引き返すのが正解。
次のバスの時刻もあるので、あまりのんびりともしていられないのだ。そんなこんなもありながら、土砂捨て場のある道路に戻ってきた。
よくみると、これは土砂というより砕かれた岩のようでもある。どうも気になったので、これも帰ってから調べようとしてみたがよくわからない。尾鷲市ではおもしろいことに、市会議員の数人の方々が競うようにしてホームページをそれぞれもっている。そのなかの一人の議員さんのページに亥が谷トンネルについての書き込みがあったので、その掲示板に質問を投げてみた。
その結果わかったのは、この白い土は、熊野尾鷲道路建設工事によるトンネル掘削から出た花崗岩である、ということだった。そこでまた、再び地図を見ると、42号線の熊野街道から分かれて、八鬼山の南側をぶち抜いて、新八鬼山トンネルの表記があった。まだ完成してはいないようだが、この高速道路は、どうやらさらに南へ延びて、亥が谷トンネルにつながるらしい。長いトンネルを掘り抜くと、大量の土砂が出る。ここの土が白くて一定していたのは、新八鬼山トンネル(あるいはまた亥が谷トンネル)の花崗岩をくり貫いて出たものだったからなのだ。
まるで銀閣寺の庭に敷かれた白砂のようにも見えるが、その借景となっているのは“近畿の屋根”と賀田湾と三木浦の漁港と集落である。
入江を巻いて延びる半島は、周囲の集落とも隔絶しており、そのなかの人口ゼロの盛松地区は、願ってもない場所だったようだ。
Googleマップを見ると、三木崎のある半島は、「わが谷は緑なりき」であった。そのなかで白く光るのは、Googleマップに特有でよくありがちな雲ではなかったのだ。
▼国土地理院 「地理院地図」
33度58分15.35秒 136度16分5.10秒
東海地方(2011/04/13 訪問)
そういうことだったんですか。
トンネルから出た石ねえ、他に置き場がなかったんでしょうねえ。
そのうち苔でも生えて緑色になるのだろうか。
周囲の景色からは浮かび上がっていますね。
by ナツパパ (2011-07-08 16:03)
@そういうことだったんです。ほんとにね、ここにもいつか草が生え、木が茂って緑になるのでしょうか。それとも、もっと別の未来があるのでしょうか。ナゾです。
by dendenmushi (2011-07-10 05:40)