37 月島の「川向こう」。堤防を階段で越えると正面に見える隅田川右岸は江戸の出島だった [月島界隈]
月島ができる前は、築地・明石町・佃島・越中島のすぐ沖は、佃島とお台場がぽつぽつと浮かぶ海だった。
浜離宮の隣は、いくつかの広大な大名屋敷があったところで、松平越中守の下屋敷にあった浴恵園など、庭園に海の水を取り入れた汐入りの庭もあったことが、明治2年の絵図にも記されている。離宮のすぐ隣には大きな入江のような地形も見える。
幕末に咸臨丸でアメリカに渡った勝海舟らが活躍した幕府の軍艦操練伝習所があったのは、波切神社の東側いまの市場駐車場ビルのあたり。維新後の一時期は、そこには文明開化の象徴の一つでもあった、築地ホテルという大きなホテルができていた。
この地一帯は、維新後は海軍省の所有になって、多くの海軍施設ができる。場内には海軍の発祥地の碑も建っている。
江戸時代、いまの中央区(築地・銀座・日本橋・八丁堀・新川など)一帯自体が、家康が江戸の町づくり計画で、神田の山を取り崩して海岸を埋め立ててできた町並みであった。そのため、川(というより堀割運河のようなものだったろうが)でかなり細かく区切られていた。いまその川は、そのほとんどが道路や公園やビルになっていて、神田川と日本橋川・亀島川しか残っていない。
聖路加タワーや聖路加看護大学がある明石町のあかつき公園のあたりは、広めの入江になって江戸湾とつながっていた。
おそらくちょうど長崎の出島を連想したであろう幕府は、このあたりを外国人居留地にした。早くにはシーボルトも住み、江戸時代蘭学発祥の地となった。アメリカ公使館もこの地に永くあり、石造のプレートなども残されている。
また、運上所(税関)も、いまは料亭治作のところにでき、その関係でか、日本で最初に電信の交信が行なわれたのもここであった。
石川島の北側、江戸時代の埋立地新川はいまより少し小さく、その分隅田川の河口がもっと広くひらいていた。中州のあたりもまだ川で、大川の名にふさわしく、ここでは現在の倍くらいの川幅になっていた。永代橋はいまの橋より少し北側の箱崎町にあって、深川を結んでいた。
越中島は深川とは橋で細長く、つながる文字通りの島であったが、その島に沿うようにして堆積ができ、明治になったころには軍の調練場になっていた。
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前に書いていた「晴月佃勝豊散歩」では、こんなことも書いていた。そこでは別項目に譲ったのでふれていないが、月島対岸の明石町には、中津奥平藩邸があり、そこで蘭学の灯火が光を放ち始めたという歴史のひとこまも忘れてはなるまい。聖路加看護大学の斜向かいの交差点の真ん中には、「解体新書」の碑と並んで福沢諭吉の碑も建っている。 公使館の名残の石は、聖路加タワーの隅田川側にも置かれている。
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明治の浮世絵で、明石町界隈がよく見られますね。
きっとハイカラで素晴らしい雰囲気を持った町だったのでしょうね。
by ナツパパ (2011-02-23 12:45)
生活のほとんどが多摩地区で完結してしまうので、都心の地理が全然わからない私ですが、歴史の話をまじえたご案内に、自分でも地図を持って歩いてみようかという気になってきました。
by お水番 (2011-02-23 14:01)
おはようございます。
永代橋の向こうに佃島も描かれている歌川国芳の浮世絵に、東京スカイツリーそっくりな尖塔がスカイツリーのある方向に描かれていると東京新聞が特集記事を出したのに興味を引かれ、江戸の古地図と首っ引きになっています。
調べてみたところ、尖塔はどうやらスカイツリーの方向ではなく、日本橋箱崎町のすぐ対岸、目の前の佐賀一丁目あたりに立てられた、井戸堀り用の仮設の櫓ではないかと思っています。
近々、永代橋を渡ってみたいなあと思います。
by お水番 (2011-02-25 11:18)
@dendennmushiさん この界隈は江戸時代から様変わりしましたね。勤務地が新川なので古地図と比べながら「へぇーっ」と唸ることもしばしばでした。江戸や明治初期の時代に行ってみたいものですね。
by ぱぱくま (2011-02-26 09:39)
@そうですね、ナツパパさんと同じくでんでんむしも明石町や築地付近はこんんなに賑やかで開けていたのかと、明治の錦絵を見て思った記憶があります。
by dendenmushi (2011-02-27 06:49)
@東京の都心23区内も、見方によってはある種不思議なところなんですね。お水番さんのような多摩地域だけでという方には、新鮮でよけいおもしろいかも知れません。最近、そんなガイドも盛んに出るようになりましたね。
by dendenmushi (2011-02-27 06:54)
@国芳の絵のことは知りませんでしたが、さすが東京新聞ですね。この新聞がなんで中日になってしまうなのか、いまだに釈然としないでんでんむしです。
古地図もおもしろいです。佐賀町の辺りには、今でも倉庫のような三角屋根の家並が残っていてなんとなく昔を想像させます。
by dendenmushi (2011-02-27 07:10)
@おや、ぱぱくまさんも古地図フアンですか。当ブログでは、だいぶ前に岬めぐりのひとつにかこつけて、江戸切絵図のことも書いていました。ほんと、古い地図を見ていると、その時代への想像が膨らみますね。
新川が勤務先とは…。今日の項目で書きましたように、でんでんむしの仕事場も新川に移りました。
by dendenmushi (2011-02-27 07:17)