607 鷲岬=与謝郡伊根町字亀島(京都府)伝統の保存と環境の変化とはマッチしない [岬めぐり]
伊根の舟屋に舟が見えないのは、すでに漁船の大型化が進み、二階が住居で一階がガレージという狭い構造では、マイシップが入らなくなり、本来の機能が失われつつあるからではないだろうか。丸い湾の狭い岸に沿って、ズラリと並ぶ舟屋の風景は独特である。この古い特徴のある家並みは保存が求められ、自由に改築もできないだろう。しかたがないので、一階の舟庫は残しながら、物置にでも使うしかしかたがない…これは今回の再訪で舟屋を見て思った勝手な想像である。
どこにもそんなことは書いてないので、事実とは異なるのかも知れないし、現在でも100%舟屋の機能は発揮されているのかも知れないが、そういう情報もまたどこにもないのでよくわからない。
伝統的なものの保存と、現在を生きるための環境の変化とがマッチしないということは、きわめて当然に発生する矛盾である。
しかし、伊根町役場や伊根漁協、観光協会、商工会などのページを探してみても、現在の舟屋の実際は不明であった。情報発信機能がどうも充分でないらしい。いつまでも「ええにょぼの里」でもすむまい。それは、もしかしたら、現在の伊根が心ならずもおかれている、中途半端なポジションに対し、誰も明解な未来像を描けないでいるからではないか。
青島が囲いをしている伊根湾では、昔はクジラなどをここに追い込んで捕獲する漁もあったらしい。その作戦では重要な場所になるのが、青島と結んで湾を網で仕切る亀島である。これは島ではなく、湾の東に丸く長く出っ張っている岬で、そのいちばん外海に面した部分が鷲岬なのである。
断崖が連続する鷲岬側は人が立ち入ることもないが、湾側の亀島地区には一本の道路が青島と向かい合う亀山まで延びていて、神社がある。神社があればお祭りがあるのは通り相場だが、ここの亀島の祭りも数隻の御座船?のようなものが繰り出す盛大なものだったらしい。だが、それも今では記録に残るくらいで、その原因も漁法の変化というより、地域がもつパワーの総体的な衰勢によるものとみるべきだろう。
漁法といえば、前に来たときには、青島の付近で大型船が網を巻き上げていて、その周辺にカモメが群舞していた光景を思い出す。大きなクレーンをもった船が、網を高く引き上げていた。それは、定置網ではないだろうが、底引き網でもなさそうだ。ここでは、漁協が施網(まきあみ)船団をもっていて、もっぱら共同作業による漁業が行なわれているらしいのだが、その実際もよくわからない。もし、そうなら、それも立派な観光資源になるのに…。前には、東平田で大勢の人が横づけされた船の周囲の広い岸壁で、大きな網を広げていたが、あれがそうだったのだろうか。
あるいはまた、今に活きる共同作業は、昔の追い込み漁の伝統が生きているのだろうか。
エチゼンクラゲが問題になったとき、ここ伊根でも食用化の試みがあったという話を記憶していたが、あれはその後どうなっただろう。道の駅に店を出す漁協の加工品としては、“さばへし子”と“伊根ぶりのみそ漬”があげてあるきりなので、結局それも成功しなかったのだろうか。
とにかく、伊根はいろいろナゾ含み。
北側の大原付近から眺める鷲岬の急峻な絶壁は、大規模な崩落があったことを思わせる。
最高点は220メートルの岬の中心は、南側の岩ヶ鼻のほうから見ると、険しさがなく、岬も湾よりのなだらかな傾斜が印象に残る。青島も見る場所によって、随分大きさが違って見える。あたりまえ? うーん、そういう意味じゃなくて…。
岬も、見る角度と方向によって、景色と印象が変わってしまうのがおもしろい。最後の一枚は別にして、ひさしぶりに灰色の写真でない岬。やっと、雨も止んで、空もだんだん明るくなってきた。
▼国土地理院 「地理院地図」
35度39分47.04秒 135度18分9.27秒
近畿地方(2010/06/09 訪問)
タグ:京都府
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